傘を2本持ち帰る話

三浦常春

傘を2本持ち帰る話

 今日のおれはサイキョーだ。何たって剣を二本持っている。


 腰丈の少し小さな剣に、胸まである大きな剣。それぞれ右と左に携えて、ずんずんと行き慣れた通学路を歩く。


 背中には傷が目立ち始めたランドセル。しかも青色だ。


 幼稚園の時に一生懸命にお願いして買ってもらったけど、今となっては「やっぱり緑がよかったなぁ」なんて思ったりもする。


 弟か妹が生まれたら交換してもらおうかな。


 母ちゃんは「子供はもういらない」って言うけど、そんなの分からないもんな。


 よく吠える犬のいる家の角を曲がって大通りに出る。


 この大通りはガードレールがないから雨の日なんかは最悪だ。バシャバシャ水を跳ねさせながら車が通る。何回もこの通りでクツとズボンを濡らされたから大嫌い。いくら傘で防いだって、ほんのちょっとの隙間から激しいヤツをぶちまける。


 こういうのを「理不尽」っていうんだけど、「理不尽」を避けるためにおれも少しだけ約束を破る。


 ほんのちょっとだけ遠回りをするんだ。


 通学路以外は通っちゃダメって言われているし、クラスの女子に見つかるとほぼ確実に先生にチクられるけど、濡れるよりはずっとマシだ。


 遠回りをする時に必ず通るのがゴミステーションの前で、ほんのたまに大きなカラスがゴミをつついている。そんな時は剣を振り回して突撃する。そうするとカラスはパッと散って、電柱の上から憎たらしそうににらみつけてくるんだ。


 この時に忘れちゃならないのが、何たって剣をへいにぶつけないこと。


 剣を振り回して、塀やらガードレールやらに当てて壊したクラスメイトを何人も見てきた。けれどおれはそんなことをしない。


 母ちゃんは滅多に剣――もといかさを買ってくれない。


 おれは物を大切に扱う派だから、クラスメイトみたいに骨を折ったり台風傘にして遊んだり、そんなことはしない。


 傘は傘らしく、雨の日に差して雨を弾かせる。


 そうやって大事に使っていたら、三年生になったっていうのに、一年生が使うような黄色くて小さい傘をまだ使っている。


 誕生日プレゼントに頼むようなものでもないし、サンタさんに頼んだって「傘なんて……」って笑われるに決まっている。


 もしも壊したら、壊してしまったら、母ちゃんは買ってくれるのかな。


 そんな考えは浮かばなかった、と言えば嘘になる。けれど実行に移さなかったのは、多分、おれ自身が黄色の小さな剣に愛着を、そして何よりも誇りを持っていたからだ。


 三年生にもなると、一年生の頃に使っていた傘を持ち続けるヤツはいない。クラスでただ一人。笑われても、ダサいと言われても、この傘はおれが大事にしてきたことの証なんだ。


 そう思えば思うほど、ますます黄色の剣が愛おしくなる。


 それはそれとして、やっぱり大人が握るような大きく長い剣に憧れるんだけど。


 大通りを抜けて横断歩道を渡って、そうすると魔の側溝ゾーンが見えてくる。両側に家の立ち並ぶこの道には、石も傘の先端も、ありとあらゆるものを飲み込む穴が空いている。


 クラスメイトの傘の先端が、この場所で何度折られただろうか。


 傘を杖のようについて歩くおれにとっても他人事ではないから、ちゃんと先端を浮かせて歩くことが重要だ。腕が疲れてきたら肩に担いでもいいし、脇に抱えてもいい。


 とにかくリスクは犯さないこと。これが大事なんだ。


 魔のゾーンを抜けて、ようやくおれの家に到着する。錆ついて開けるたびに耳が痛くなる門を開けて、塀に埋め込まれたポストを覗いて、ようやくおれの任務は完了する。


「あんたって子は……またお父さんの傘を持ち出して!」


 玄関を開けた瞬間、鬼の形相をした母ちゃんが出迎えた。


 これから出かけるのか、それとも帰って来たばかりなのか、赤い花をあしらったワンピースにコサージュをつけている。


「いいじゃん、別に。壊してないんだから」


「いつ壊すか分かったもんじゃない。いい加減にしないと、お母さん、その傘しまっちゃうからね」


「げえ……分かったよ」


 かかとの高い靴が散らばる玄関を踏み歩いて、錆びた傘立てにを納める。


 父ちゃんの傘は背が高い。おれの胸くらいの長さで、握るのにも苦労する。スポンジ状の包みに覆われたつかはほんの少し擦り切れていて、雨を弾くチェック柄の布も汚れている。開いてみると骨にガムテープが張ってあることだって知っている。


 父ちゃんは、こんなに大きな傘を持って出勤していたのだろうか。


 クラスメイトはゴミだと笑う。

 だけど、おれと母ちゃんにとっては紛れもなく宝物だ。


 父ちゃんの隣に黄色の剣を差す。


 やっぱり小さい。パッと見では柄の太さは同じように見えるけど、握ってみるとかなり違う。両方握りながら帰って来たからよく分かる。


 身長百二十一センチメートル。クラスの中では一番小さい。だけどいつか、父ちゃんの傘が似合う男になりたい。


 大きくなって、紺色のスーツを着て、チェック柄のネクタイを締めて、父ちゃんの傘を差すんだ。


「今日もありがとな、父ちゃん」


 靴を放り投げて、線香の香る居間に走り込んだ。

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