第45話 指摘すべきことは
「最後に、尚武さんとはどうでしたか? 弁当を差し入れていたそうですけど」
「ええ。あまり食べておられないようでしたので、時々。奥様や憲太様とは離れて暮らしてられますから、余計に食生活が疎かなようでした。最初は迷惑そうでしたが、最近ではすんなり受け取ってくれて、美味しいと」
そこで三浦は言葉に詰まった。
ひょっとしたら吉田の次に、最近では近しい存在だったのかもしれない。しばらく、下を向いて黙っていた。さすがに涙を流すことはなかったが、必死に堪えているのが解った。
「すみません」
「いえ。家族とも別居していたんですね」
「ええ。独りになりたいと、そう常々言っておられました」
心の病は、まだ治っていなかったのだろうか。
そう簡単なものではないということなのだろう。
ひょっとして、尚武は独りになろうとして出掛けた。そこを襲われたのだろうか。そこで、三浦への聞き取りは終わりとなった。
こういう場合、どう決着を付けるのがいいのだろうか。
正直、まだ解っていないこともあるが、犯人は一人に絞り込まれている。解らない部分は、自供してもらうのが手っ取り早いだろう。
しかし、何だかすっきりしないものだ。問題を解いている途中で答えを見てしまうような、そんな後ろめたさがある。
もちろん、聖明がそういう思いに駆られる理由はただ一つだ。
「じゃあ、先生。ここはひとつ、格好良くお願いします」
一時間前、辻から言われた言葉だ。
何が格好良くだ、ただの職務放棄だと思うのだが、上手く説明できるのは聖明しかいないと言われると、まあそうかと引き受けるしかない。
「しかしなあ」
果たして自分の得た解は正しいのだろうか。たしかに答えとして、つまりこの事件の解として示されるのは一人だけだ。
だが、どうも釈然としない。動機なんて犯人にしか解らないものだが、やはり行動が曖昧だと思える。それに何より、どうして犯人は境界条件を自ら設けていたのか。
それに憲太の気持ちはどうなのだろうと、そんなことも考えてしまう。それはやはり、尚武のことを詳しく知ってしまったからだろう。しかし、起こってしまった事象であり、死とは不可逆的なものだ。自分がどんな言葉を掛けたとしても、それは無意味だろう。
それを考えると、自分が犯人を指摘し、そして対峙することで、解決を早めることに貢献できるのならば、少しは意味があるか。
ここに来る前、憲太のところに赴いていた。辰馬と一緒におり、どんな形であれ決着を付けてほしいと言われている。それでも聖明はつらつらと余計なことを考えてしまうのだ。
それは脳と腕。その差に真っ先に気づいたことによる、責任感なのかもしれない。
いや、同じ研究者として、思うところが多いと言うべきか。
何にせよ、この事件が解決するからといって、聖明の気持ちがすっきり晴れることはない。
「先生。大丈夫ですか」
あまりに思考に没頭し過ぎて、危うく部屋を通り過ぎるところだった。それを止めたのは、犯人と指摘すべき中野だった。
「中野君」
「先生が何を話に来たのか。もう解っています。どうぞ」
立ち話では時間が掛かるからと、中野から部屋へと招いた。そこまでされると、聖明も腹を括るしかない。
いや、この場合、指摘する必要すらないようだから、相手の話を聞いて理解する覚悟を決めたというべきか。
部屋の中はすっきりと片付いていた。パソコンもすでにテーブルの上にない。この屋敷のシステムに精通しているのだ。どこかで聖明の行動をしっかり見ていたのだろう。
そう、それこそ、敬愛する亜土の脳を取り出した場所で、自らの罪を指摘する者の動きを
「さて、どこからお話ししますか」
部屋の中を一通り見終わった聖明に、中野は先に座ると質問を促した。どうして指摘する彼が躊躇う必要があるのか。それが可笑しくて仕方がない。
「そうですね。正直、俺はこの事件をどう捉えるのが正しいのか。それすら悩んでいる状態です。それなのに、まあ、体よくあなたの話を伺う役割を任されたというのが正確です。もちろん、警察に研究者としてどうかという論点がなかった以上、他に適任がいないのかもしれないですが」
聖明は中野の前に座りながら、どうしたものかと正直な気持ちを伝えた。
相手が殺人犯だという思いは、初めから持っていない。ただ、何かただならぬ思いを持ってこれを行った。それだけだ。
「研究者としてこの事件を捉えて頂けるだけでも、私にすれば嬉しい限りです。もし、この場に先生がいらっしゃらなければ、事件をずっと秘密にしていました。もちろん、栗原尚武の腕は、もっと見つからない、そして辱めを受ける場所に放置される。そういうシナリオでした」
「よほど、許せないようですね。それはどうしてですか」
まさかここから話を聞くことになるとはと、聖明は少々驚いていた。しかし、すぐには話してくれなかった。中野がそれはまだ早いと制止したためだ。順番がある。
「そうですね。では、スタートからお願いします」
向こうに主導権があるのかと、思わず苦笑してしまったが、笑いはすぐに引っ込めた。今、この場での主役は彼女だ。
「ありがとうございます。まずは栗原先生、つまり栗原亜土について話させてください。それがなければ、この事件がどうして起こったか。理解していただくのは難しいと思います。勝手ですが、お付き合いください」
「ええ、もちろん」
苦笑の意味を正確に読み取られ、聖明は気恥ずかしくなる。
しかし、そうなると、気になるのは最初に会った時のことだ。どうして自分をじっと見たまま固まったのだろう。そう簡単に惚れるタイプではなさそうだ。それに何より、外見で判断するタイプではないだろう。
「栗原先生は、本当に素晴らしい研究者でした。あんな実験をなさらなければ、たぶん、あの事件を思いつくことはなかったと思います」
「例の数字だけで表記される、何かの変数を実験していたものですね」
やはりあれは亜土が始めたものだったのかと、これには納得だ。
どう考えても、あの数字は中野にとって不快なものでしかない。
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