第35話 小さな違和感

「では、行きますか」

「そうね」

 そして二人で中野の部屋へと入る。中野はその時、ノートパソコンで何かをしているところだった。

「ああ、すみません。メールが入っていたものですから」

「いいですよ。そう言えば中野さんって、栗橋亜土さんの弟子に当たるそうですね。栗橋さんってどんな方でしたか」

 未来は片付ける時間を与えるため、そう話を振っていた。こういう雑談力も、聖明にはないものである。

「そう、ですね。非常に才気溢れる方で、とてもではないですが、追いつけないっていう感じの方でした」

 中野はノートパソコンをシャットダウンしつつ、溜め息とともに答えた。その様子からも、慕っていたことがよく解る。

 それだけに、未来の中では疑いもまた強くなっていた。可愛さ余ってという言葉があるように、その才能に惚れているからこそ、許せない何かが出てくるものだ。

「では、検査をさせてもらいます。今回はパソコンの中まで確認することはありませんので」

 程よく和んだところで、初めて田村が口を開いた。しっかりと今のやり取りを手帳に書き留めていたようで、ぱたんと小さなノートを閉じる音がする。

「ええ。どうぞ。身体検査もあると伺いましたが」

 中野がそこで緊張した表情になる。他人に身体を触れられるというのは、何もなくても緊張するものだ。

「大丈夫ですよ。彼女、本郷先生のところの平山さんにお願いしています。年齢も、お二人は近いのでは」

「え、それを言うなら、田村さんの方ではないですか」

 どう見ても同じくらいだと、中野が驚いた。

「まあ、そうですね。今年で三十です」

「やっぱり。私は三十二です」

「あ、それなら、本郷先生と同い年ですね」

「ええっ! あの先生。若いわね。准教授というから、もっと上なんだと思ってた。若作りなんだって」

 年齢で大盛り上がりの三人だ。そこからしばらく、聖明の見た目で盛り上がることとなった。

 あれだけ嫌がらせを受けたのだから、話のネタにされても文句は言えまい。それに事実、准教授にしては若い方に入るだろう。だから若作りなのではと疑惑を持たれても仕方がない。

「うわあ。私たち、おばさんね」

「いやいや。それはないでしょ。おばさんって、うちのお母さんくらいの年代の人のことですよ」

 どうしようという田村に、未来は冷静に突っ込んでしまった。嫌味な刑事としか思えなかった田村だが、非常に普通の女子の部分があるのだ。

 おそらく、警察という男社会で突っ張って生きる必要があるためなのだろう。それは理学部物理学科という、極端に女子の少ない環境で生きていた未来にもよく解るところだった。

「三十になると、心理的に何か違いますよね。じゃあ、平山さん。お願いします」

 一通り笑い合ってから、中野がそう言った。もう顔に緊張感はない。

「では、遠慮なく」

 ここで聖明と似たような台詞を吐いてしまうところに、二人の似た者同士感が出る。師弟関係になくても、同じ場で研究するとどうしても何かが似てくるものだ。

「私はカバンの中を拝見しますよ」

 田村はその間に済ませると、部屋の隅に置かれていた三つのカバンを指差した。それに中野はどうぞと頷く。

「三つか。やっぱり長くここにいるせいですか」

「そうね。女性が圧倒的に少ないから、物の貸し借りが出来ないでしょ。どうしても多くなるわね」

 未来の質問に、中野は苦笑して答える。

 それはよく解るところだ。現地調達できる場合はいいが、こんな山の中で化粧品や衛生用品が切れては困る。ついつい荷物を余分に持ってきたくなるものである。

 未来はそんなことを考えつつ、中野の身体を丁寧に触れて確認した。その時、何か違和感を覚えた気がしたが、勘違いだろうか。小さな違和感で、もう一度触れても解らない。どこにもおかしなところはない。しかし、何かが気になる感じだ。一体、何なのだろうか。

「どうかしましたか」

 僅かに首を傾げる未来に、何かあったのかと中野は不安そうだ。それを、田村はカバンを探りながらもしっかり見ていた。

「ううん。気のせい。ごめんなさい」

「いえ」

 やはり気のせいか、もしくは中野が痩せているせいだろう。未来はそう判断して、取り敢えず自分の心の中だけに留めておくことにした。本人に確認するのは失礼に当たるかもしれない。それだけ、慎重を要することだ。ここで話題にするのは止めておく。

「こちらも問題ないですね。やっぱり研究用の物も多いですね。USBや本といったもので、カバンの一つが占拠されてる」

「ええ。それは他の物と明確に分けておかないと、化粧品の粉が付くと大変ですから」

「なるほど」

 それはよく解ると、未来は頷いた。どれだけ気を付けても、化粧ポーチから零れてしまうことがある。重要なものは分けておくのが一番だ。

「そうですね。解ります」

 それに田村も同意し、それで検査は終わりとなった。しかし、二人は廊下を少し進んだところで止まり、そして申し合わせたように未来の部屋に入っていた。

「どうでしたか?」

「怪しいものはなし。持ち物は一般的な女子ね」

「そうですか」

「そっちはどうなの?」

 何か怪しいと思ったのはあなたではと、田村は未来を睨む。あの場で言わなかったということは、中野が怪しいと思う何かがあったのではないのか。

「ううん。犯人の証拠とか犯罪の証拠じゃないんですよ。ごめんなさい、ちょっと調べてからでいいでしょうか。本郷先生と市原君を利用すれば解ると思いますから」

 そう言われると、強くは確認できない。が、察するところはあった。

「なるほど。怪しい部分があるわけね」

「そういうことです」

 ニュアンスで何となく理解した田村は、これ以上追及しないと約束した。

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