第24話 境界条件

「憲太君」

「大丈夫か」

 吉田と聖明が駆け寄ると、憲太はゆっくりと頷いた。しかし、ショックで声が出ないようである。いや、適切な言葉が思い浮かばないというところだろう。

「吉田さんはここを頼みます」

 聖明は憲太のことを吉田に任せ、辻と一緒に中に入った。

 その瞬間、襲ってきたのは噎せ返るような血の臭いだった。嵌め殺しの窓しかないせいで、小屋の中に臭いが充満してしまっている。

「これはまた凄惨な。先生、大丈夫ですか」

「ええ。事前情報があったおかげで」

 しかし何とか吐かないでいるだけで精一杯だ。聖明は傷口の断面を確認すると、さっさと小屋の外に退避した。現場を荒らさないようにだ。

「ううん」

 その断面は、想像したとおり綺麗なものだった。細胞を極力壊さないよう、すぱっと切られたというのが正確だろう。ひょっとすると、亜土の時と同じように、生きているうちに切られたのかもしれなかった。

「先生」

「大丈夫か」

「は、はい」

 吉田がずっと背中を擦っていたおかげか、憲太の顔色は少しましになっていた。それに返事が出来ている。

「ここを離れよう。丁度良く、警察も来たみたいだし。いいですよね」

 サイレンの音が遠くから聞こえている。だから聖明は、現場から出てきた辻に確認した。

「ええ。いいでしょう。ただ、屋敷からは出ないようにお願いします」

「もちろん。吉田さん、運転できますか。免許を持っていないもので」

 聖明がそう言って肩を竦めると、吉田は少し笑った。

「ええ。持っています。辻さん、車を借りても」

「どうぞ。それで現場に来るよう、田村に言ってください」

 どこまでもマイペースな聖明に圧倒されてしまった辻は、そんなことを頼んでしまった。しかし、強力な味方であることは間違いない。少なくとも、聖明が落ち着いているおかげで、大きな混乱はないのだ。

「解りました」

「それと、謎はさらに大きくなりました。先生、ちょっと考えておいてください」

 だから、ついでとばかりにそんなことまで依頼してしまったのだった。




 辻の言う謎とはもちろん、誰がどうやって殺したか。そこに尽きる。

 今回は亜土の時と逆で、容疑者たちの誰もあの屋敷から出られなかった。その状況で、明らかに連続する事件が起きてしまったのだ。

「つまり、容疑者が変化した」

「いや、違う。不可能状況を可能にする条件を探せってことだ」

 辰馬のずれた発言に、そんなわけないだろうと聖明は冷たかった。そのやり取りに、憲太は呆れつつも苦笑する余裕が生まれていた。

「どちらも不可能条件を含んでいる。そうですよね」

「そのとおり。どうして防犯カメラが作動しなかったのか。それにだ。どうしてここにいるメンバーがいる時に犯行が行われたのか。防犯カメラの映像を消したのならば、わざわざ自分が容疑者に入る時にやる必要はない。それは今回も同じだ。まったく不可解だよ」

 憲太の問いに、どうしたものかなと聖明は首を捻った。現在、場所は聖明の部屋だ。ここならば気兼ねなく喋れるだろうと、未来も含めて四人でいる。

「確かに不可解ですね。しかし、不可解なのは鍵です。どうして栗原家の人たちだけが通行可能なのか。明らかに容疑者から外れる人だけを通行可能にした。そう思いませんか」

 未来の意見に、そうだろうなと聖明は思う。つまり、容疑者の範囲を変えたくないのだ。それもまた不可解である。

「ううん。犯人が示す境界条件ってことかな」

「それ、なぜ必要なんですか?」

 それこそ不可解だと、未来は眉間に皺を寄せる。

 そもそも、栗原家の人間だけ通行可能なのがおかしいのだ。犯人は被害者を呼び出していたに違いない。しかし、犯人自身はどうやって出たのか。つまり、謎が深まっただけだ。犯人側に境界条件である意図はない。

「そうだな。謎ばかりが積み重なっている。しかし、境界条件ではあるんだよ」

「どういうことです?」

 未来の思考におかしいところはなかった。だから、思わず聖明を睨んでしまう。その聖明は、解り切っていることじゃないかと肩を竦めた。

「犯人はここのシステムに詳しく、そして勝手に条件を変えることが出来るってことだよ」

「ああ、そうですね。それは確かに、システムを使いこなせる人間が犯人という条件になり得ます」

 そちらに思考をシフトしなければならなかったのか。未来は相変わらず切り替えの早い聖明に感心してしまう。

「つまり、犯人は勝手にシステムを弄ってるってことですか。今、研究のデータを取っているところですよね。そんなことをして、データがおかしくならないんですか。絶対に避けるべきことですよね」

 それって大丈夫なのかと辰馬は気になって質問していた。すると、それは前提がおかしいよと指摘される。

「前提」

「すでに栗橋亜土が死んでいることで、システムとしては不具合だと思わないか。この家のシステムは彼が生活するのを補助するために構築されていた。ということは、彼の生活そのものがシステムに必要なんだ。それを欠いている状態である今、ちょっとした書き換えは犯人にとって障害ではないんだよ」

 聖明はだから余計に考えることがあるんだと、大きく溜め息を吐いた。バラバラ死体とは言えない、一部だけを持ち去るという行動も気になる。

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