私の上司は二刀流

澤田慎梧

私の上司は二刀流

「鳥山課長ってさ、『両刀』らしいよ」

「リョートー? なにそれ」

「だからほら、両刀遣いとか二刀流とか、そういうアレよ」


 ある週末の仕事帰り、一緒に呑んでいた江巳子えみこが不意に、そんなトンデモナイことを言い出した。


「え、どういう、こと?」

「どういうことって、言葉のまんまよ。男でも女でもOKってやつ」

「それ、マジなの?」

「マジもマジ。だって部長が言ってたんだもん。『鳥山クンはああ見えて二刀流だから』って」

「マジか……」


 形容しがたい、お腹にズンと響くような衝撃が体を駆け抜ける。

 鳥山課長は私の上司。優しくて面倒見が良くて仕事ができて、おまけに何より顔がいい。

 うちの部署のみならず、社内の若手女子の多くが狙っている「優良物件」だ。

 むしろ、あんなに完璧超人なのに結婚はおろか彼女の気配すらしないので、社内の七不思議のひとつに数えられているくらいだ。


 ――ちなみに、他の七不思議には「バレバレなのにカツラを続ける社長の謎」や「誰も姿を見たことがない幻の専務」等があるのだけれども、今は関係ないので詳細は割愛したい。


「あーあ! あたしも密かに狙ってたのに、両刀じゃなぁ……」

「ちょ、ちょっと江巳子! 声が大きい」


 思わず江巳子の口を塞ぐように窘める。

 両刀遣い――正確には「両性愛者バイセクシュアル」は、いわゆる性的少数者の一つ。読んで字のごとく、男女どちらも性愛の対象になる人達だ。

 一昔前には酷い偏見や差別を受けていたらしい――いや、今でも確実に偏見を持たれている。今の江巳子の言い草がいい例だ。社会の性的少数者への理解も随分と進んではいるけれども、世の中から偏見や差別はなくなってなどいない。


 私も、人のことは言えない。課長が――憧れの人が「両刀遣い」と聞いて、とてもショックを受けている。「心のどこかで」どころか、はっきりとした偏見が私の中にもある証拠だった。


 その後は何だか呑む気にもなれず、私と江巳子は早々に店を出ると、それぞれ帰路に就いた。

 駅前の歓楽街を、独り当て所もなく彷徨う。時刻はまだ九時を過ぎた頃。街はまだ眠らず、夜はこれからといった雰囲気に包まれている。


 何となく、家に帰りたくなかった。一人静かな場所にいたら、自分の中の差別だとか偏見だとかに押しつぶされてしまいそうだったのだ。

 ――と。


「あれ、安齋さんじゃないか」


 背後から私の名前を呼ぶ男性の声があった。

 振り向いて、思わず息が止まる。声をかけてきたのは鳥山課長その人だった。


「か、課長……」

「こんな時間にこんな所で、女の子の一人歩きは感心しないなぁ」

「さっきまで江巳子……高垣さんと呑んでたので。駅まで行ってタクシーを拾おうかと――」


 そこまで言いかけて、ふと気付く。課長は一人ではなかった。すぐ隣に、いかにも「マッチョ」といった風情のいかつい髭面の男性が立っていた。

 年の頃は課長と同じく三十代半ばくらい。なんだか値踏みするような眼で私のことを眺めている。


「鳥山くん、その子は?」


 髭面男が口を開く。騒がしい夜の歓楽街の中でもよく響く、迫力のある低音ボイスだった。しかも心なしか険のある感じがした。


「同じ部署の安齋さんだよ。ああ、安齋さん。こちらは熊田さんと言って、僕の……友人なんだ」


 課長が少し言いよどんだのを、私は見逃さなかった。

 「友人」という言葉が出てくるまでの間はあからさまに怪しい。もしかすると、この熊田という男は課長の「いい人」かもしれない。


 ――この時の私は、やはり酔っていたんだと思う。おまけに憧れの人の性的指向を受け止められなくて、そこに更に恋人らしい男性が現れて、半ば自棄になっていたのだろう。

 気付けば、こんなトンデモナイ言葉を口にしていた。


「課長の事情は部長経由で伝え聞いてますので、気を使った言い方をしなくても大丈夫ですよ。課長と熊田さんは、そういうご関係では?」

「えっ? そういうご関係って……ああ、なるほど。はは、部長にも困ったものだね。人が秘密にしていることを部下にペラペラ喋るなんて。――そう、熊田さんとはそっち関係で知り合ったんだ」


 課長の言葉に、脳天をかち割られたような衝撃を受ける。

 自分で引き出した答えのくせに、私はなんて身勝手な生き物なのだろうと自己嫌悪に陥る。「課長の口から否定してほしかった」という、つい今しがた打ち砕かれた独りよがりな願望が、頭の中でグルグルと回る。


「安齋さん大丈夫かい? 顔色が真っ青だよ。何なら僕らでタクシー乗り場まで送るから――」

「いえ、結構です! お二人でこれから楽しもうという時に、引き留めてしまってすいませんでした!」


 余計な言葉の混じった謝罪を撒き散らしながら踵を返そうとする。

 けれども、何故か足が真っ直ぐ動いてくれない。地面が、視界が揺れる。


「おい鳥山くん。このお嬢さん、ちょっとヤバいんじゃないか?」

「ですね。安齋さん、少し休んだ方がいいよ。すぐ近くに僕らがいつも場所があるから、そこへ行こう」


 今度は課長の口から、正気とは思えない言葉が飛び出した。

 「いつもヤッてる場所」というと、間違いなくアレだろう。そんなところに私を連れ込もうというのか?

 流石に身の危険を感じたけれども、体は全くいう事を聞いてくれない。そのまま、課長と熊田に両脇を抱えられて、捕獲された宇宙人みたいな恰好で歓楽街を運ばれていく自分を自覚しながら、私は意識を失った――。


   ***


 ――スパン! スパン!


 何かがぶつかり合う音が耳に響いて、私の世界は急速に息を吹き返した。

 眩しい。どうやら私はソファか何かに寝かされているらしく、LED照明の光が視界を覆っていた。


「――ハァハァッ! く、熊田さん、今日はもうここまでにしましょう」

「はっはっはっ! だらしがないぞ鳥山くん。俺はまだまだ満足してない――ぞ!」


 ――スパン!


 再び何かがぶつかり合う鈍い音が響いた。

 そこでふと気付く。私は課長と熊田が「いつもヤッてる場所」へ連れ込まれたんじゃなかったか?

 ということは、この「スパン!」という音は、もしや?


 そのまま、怖いもの見たさも手伝って二人のいる方を見やると――。


「くわぁー! 参った!」


 課長が何か棒状のもので、熊田に殴られていた。


「えっ? えっ? ええっ!? なに、これ?」

「お、安齋さん気が付いたかい?」


 私が目を覚ましたことに気付いて、課長が駆け寄ってくる。

 先程まではスーツ姿だったのに、なんだか今の課長は奇妙な恰好をしていた。

 身体を包むのは青色のジャージ。その頭は、バイク用のヘルメットにも似た謎の被り物の中に納まっている。顔全面を覆う透明なフェイスガードの奥で、いつもの端正な顔が、少し汗に濡れて輝いていた。


 ――最も奇妙なのは、課長が手にしている謎の棒だ。

 全体的に黒くて、手元に近い所には竹刀のような鍔が付いている。右手には長い棒を、左手には少し短い棒を持っていて、なんだかみたいにも見える。

 熊田も同じような恰好で、やはり左右にそれぞれ黒い棒を持っていた。


「か、課長……これは一体?」

「これは一体って……。部長から聞いているんだよね? 僕がをやってるってこと。――ああ、そうか。実際に見るのは初めてなんだね。マイナーなスポーツだからね」

「おい鳥山くん。マイナーとは聞き捨てならんぞー」


 課長の言葉を咎めるように、熊田が後ろから棒で頭をポコンと叩く。棒は何か柔らかい素材でできているらしく、課長はノーダメージな様子だった。


   ***


 ――ここまでくれば言うまでもない事かもしれないけれども、全ては私、というか江巳子の勘違いだった。

 課長は確かに「両刀遣い」――「二刀流」だった。ただし、「スポーツチャンバラ」という競技の。


 スポーツチャンバラはその名の通り、「チャンバラ遊び」を競技化したものらしい。竹刀ではなく「エアーソフト剣」と呼ばれる柔らかい剣で、剣道よりもざっくりとしたルールで打ち合う、れっきとしたスポーツなのだという。


 課長は数年前からこのスポーツチャンバラを始めていて、熊田は同じサークルの先輩だそうだ。

 「それならそうと最初から言ってくれれば良かったのに」とも思ったけれど、こちらが勝手に勘違いをしていただけなのだから、課長に非はない。

 私達に秘密にしていたのも、前に部長に話したら「いい大人がチャンバラごっこか」と笑われて恥ずかしい思いをしたかららしいし。

 とりあえず、部長にはどこかで天誅を食らわせておこうと思う。


 ――息を整えてから、課長は熊田とは別の選手と練習を始めた。

 なるほど、確かにとてもスピーディだし動きが自由だしで、見ているだけでも楽しい。なにより、課長の必死な顔なんて、めったにお目にかかれるものじゃないので、眼福だった。


「お嬢ちゃん、目つきがあぶねぇぞ」


 熊田が私の横に座って失礼なことを言ってきた。……自覚があるだけに、なんだかムカつく。

 そう言えば、この人は最初から私への当たりがきつかった。初対面のはずだけど。

 ――と、そこまで考えて、ふとある考えに至った。そしてよせばいいのに、私はそれを口にしてしまっていた。


「もしかして、熊田さんって私のライバルですか?」

「……悪いか?」

「いいえ、別に」

「鳥山くんに、バラすかい?」

「そんなことしませんよ。そちらこそ、どうなんです?」

「俺だって、そんな野暮なことはしねぇよ」


 会話はそれで終わった。

 そしていつしか、私の心の中に巣くっていたモヤモヤは、どこかへ霧散していた。 


 それからしばらく後、私は課長と同じサークルに入会した。

 スポーツチャンバラに興味を持ったのも確かだったけど、半分は邪な理由だ。熊田は何も言わずにいてくれた。


 そして二人して、課長の真剣な姿に心ときめかす日々を送ることになる。

 課長も罪な人だと思う。その無自覚な二刀流で、男も女も関係なくハートに華麗なる一本を決めてしまうのだから。


(おしまい)

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