亡国の哀愁 ~黒魔術と白魔術~

冬城ひすい

人として在るべき姿

「アルベール、貴方は私を守ってくれますか?」


自然都市ラピス。

それは豊かな自然と文明が共存する一つの国のことである。


清らかな水流が都市一帯を縦横無尽に駆け回っており、領内には心地よい風の吹く草原が広がる。

水の精霊・ウンディーネと風の精霊・シルフの加護の恩恵を受けるラピスは、人も動物も全てが穏やかで優しい心を持っていた。

その評判は大陸各地に轟き、大国とまではいかないまでも大きな発展を遂げている。

身分の差に縛られず誰もが自由と博愛を謳える、そんな理想郷がラピスである。


エリスは王族の血統を引く王女の一人である。

そして、アルベールはエリス王女の騎士兼世話役に信任された同い年の少年の名だ。


星々の瞬きが彩る紺碧の夜空のもと、エリスは問うたのだ。

アルベールが満天の星空から街並みに視線を移せば色とりどりの明かりが灯っている。

その一つ一つが民の生命いのちともしびである。


それからアルベールはやんわりと微笑むエリスに顔を向け、はっきりと言う。


「ええ、わたしは貴方の剣であり、盾です。命に代えても貴方だけは――」


そっとアルベールの口にエリスの人差し指が当てられる。


「それはダメだよ。私は貴方がいなくなることを許さない。……ねえ、昔みたいに話してほしいな。私は貴方の――アルベールのありのままが好きなんだから」


エリスの月光を宿したように美しい銀髪がやんちゃそうに揺れる。

それを見たアルベールも態度を改める。


「エリスがそれでいいなら。エリスは相変わらず王女の役割は嫌いか?」

「そうでもないよ? 人々の暮らしが少しでも良くなるように努力することはとっても楽しいもん。でもただ一つ、ドレスは堅苦しいかも……」

「はは、それはお前がふと――」


アルベールの頭にエリスの鋭い手刀が刺さる。


「ぐふっ……!?」

「大袈裟だね……もうっ。小さい頃から騎士団長に育てられてきたのを知っている私から見れば、演技がバレバレだよ」


エリスは遠い過去を懐かしむように青い瞳を細める。

その瞳に映すものはきっと何よりも尊いものだとアルベールは想像する。


「そういえば十歳の時に騎士団長にぼこぼこにやられて、不貞腐れて三日三晩部屋に籠城したことがあったよね」


アルベールはバツが悪そうに額に手を当てる。


「言うなよ……。オレにも男としてのプライドがあったんだ。……好きな女の前でかっこ悪いったらなかったからな」

「うん? 何か言った?」

「ああ、いや何でもない。相変わらず星が好きなお前に見惚れてただけだ」


アルベールの言葉にエリスは頬を染めて微笑む。

その慈愛に満ちた眼差しに、彼は心が温かくなる。

互いが互いの気持ちに気づいている。


幼い頃から仲の良かった二人の結婚を止める者は誰一人としていないはずだ。

現王と王女でさえ、心の中では微笑ましく――でも関係の進展がない二人をじれったく思うほどだった。


今回も進展はなく、そっと話題が転換される。


「ね、最近火の精霊・サラマンダーの加護を受けるホムラ帝国が隣国の私たちを邪魔に思ってるんだって」

「ああ、あいつらの性根は腐っているからな。貧富の激しい身分制度に奴隷制なんて枠もある。それに汚職と欲求をどろどろに混ぜたのがホムラ帝国だ。オレたちラピスを邪魔に思ってるのも程度の差はあれ昔からだろ? 今更気にする必要があるのか?」

「私はいつでも警戒しておく必要があると思うんだ。もし彼らの軍勢が本気でラピスを滅ぼそうとしたら、呆気なく倒れてしまうと思うから」


エリスはこの国の行く末を想う。

王が呼びかければ多くの義勇兵が集まるだろう。

だがそれは心だけ。

平和を国是とするラピスには騎士団千人の兵力しかない。

民間義勇兵を募集したところで、付け焼刃になるかすら怪しい。

対して隣国のホムラ帝国は、大陸屈指の武力を誇る軍事国家だ。

消極的に見てもラピスの百倍、十万人は下らない。


「もしその時が来たらアルベールのを使ってほしい。私のためじゃなくて、民衆のために」

「……ああ、分かってるよ」


彼は万が一の事態など起こるはずがないと思っていた。

不戦ふせんちぎりを交わし、表向きは仲良くしている国だから。



♢♢♢



「はあ……っ……はあはあ……クソッ! クソが!!」


アルベールは王城のテラスから赤々と燃え盛る街並みを見下ろす。

ホムラ帝国の魔法部隊により南門は破られ、騎士団のほとんどがそちらに向かっているが、それは悪手だ。

東門と西門は機を図っていたかのように同時に破られ、南門を遥かに凌駕する量の戦士たちがラピスを蹂躙していく。

もはやどこを向いてもくれないの魔法陣が展開され、辺りは火の海になりつつある。


「エリス! 今すぐ逃げよう! 地下からならまだチャンスはある!」


騎士団長からエリス王女の亡命を指示され、それを現王と王女に認められた。

たとえ認められなくとも、この惨状を焼き付けてしまえば勝手に逃がしていただろう。

アルベールの焦燥に駆られた様子を見ながら、エリスは首を横に振る。


「私は民衆を見捨てることができない。私の命は彼らと共にあるから――それが王族としての責任だから」

「お前が今ここで死ぬ必要はない! オレは――」

「ね、アル。私と約束したこと、覚えてる?」

「だが――」


エリスは冷静さを欠いているアルベールの顔を引き寄せ、唇を奪う。


「なに、を……」

「アルってこうしてみるとやっぱり男の子だね。背が高くてあったかくて、力強い。好きだよ、アル。私は最期まで貴方を好きで居続ける。だから――」


凄まじい風の奔流がアルベールの身体を浮き上がらせる。

一度地上から引き離されてしまえば彼に抵抗する方法はない。


「エリス!」

「――貴方が守るって言ってくれた時、嬉しかった。本当に、ありがとう」


ラピスの街並み。王城。エリス。

守るべき存在がぐんぐんと遠ざかっていき、やがてそれらが激しい炎に包まれるのを視界に映した。



♢♢♢



「や、やめろおおおおおおおおおおお!!!」


アルベールは剣を無茶苦茶に振り回すホムラ帝国の皇帝・ザッカライトを色のない瞳で見下ろす。


「『やめろ』? 貴様はラピスの人々を――エリスを殺した。許せるはずがない」


アルベールはかつて一度だけ、エリスを守る時だけに使った黒魔術を身に宿す。

大陸の魔法使いでも一握りしか使えない悪魔の呪法じゅほうだ。

それは赤黒く明滅する生き物のようにアルベールを包み、揺らめく。


「な……!? そ、そうか! そうであったか……! ならばあやつを返せばわしの命は助かるんだな!?」


その言葉にアルベールの瞳が光を取り戻す。


「生きているのか」

「生きてるともさ! よし、わしが案内してやろう!!」


案内された場所は薄暗く、異臭漂う地下牢獄だった。

かつてのラピスにはこんな趣味の悪いものはなかった。

ホムラ帝国が流れゆく月日の中で創設した施設だろう。


「ほれっ! そこを見て見るがよい!!」


「エリスっ!!」


そこにいたのは身体中に縄で縛られた跡があるエリスの姿だった。

焼け爛れた左腕は侵攻された日の傷だと如実に語っていた。

そして、以前の清澄な輝きを誇っていた青い瞳は片割れが失われ、もう片方はアルベールを見ることなく、虚ろなままだ。


アルベールは黒魔術で牢獄を破壊すると、エリスを抱き寄せる。

その温もりは今にも消えそうなほど冷たかった。

それでも心臓は動いている。


「エリス、オレだ! アルベールだ! お願いだから返事をしてくれ!!」

「……ある……」

「ああ、そうだ。オレはお前の騎士のアルだ! 迎えに来たぞ!!」


すぐに白魔術でエリスの残酷な傷跡を癒していく。

あれだけの傷をつけることができるザッカライトの残虐性にふつふつと怒りが湧き上がってくる。


「そなた、アルベールと言ったな。そなたがそやつの飼い主だったとはのぉ。そやつに懸想しておるのか」


アルベールが治癒する中、ザッカライトはひたすらに汚い言葉を吐き続ける。


「確かに容姿は申し分ない。そやつの抵抗は激しかったが、それを強制するのもまた一興での! 最後には『アルベール、アルベール』と泣き叫んでいたのぉ! あまりに抵抗があるものだから、最終的には生け捕りにしていた王と王女の首を目の前で落としてみたら、この通りじゃ。従順な奴隷になってつまらないったら――」

「黙れ」


ラピスの治癒を終えたアルベールは振りむくことすらなく、黒魔術のもやを纏わりつかせる。


「ぎゃ、ぎゃあああああああああああああああああああ!!!」


ジュクジュク。

気色悪い音を立てながら、靄がザッカライトを咀嚼していく。

身体の末端からぞりぞりと削っていき、最後に残った頭部も搔き消えた。


アルベールは地下牢獄からエリスを支えながら、地上に出る。


「なあ、エリス。一緒に帰ろう。少ないが生き延びたラピスの民もいる。オレは今そこで世話になってるんだ。ここからやり直そう」


努めて明るい声を出すが、エリスの反応はない。

そっと顔を向けると、彼女は言った。


「貴方は……だれ? ここは……?」

「オレだよ! アルベール! そしてお前は自然都市ラピスの――」


その言葉にエリスは首を傾げる。

アルベールは冷や水を頭から浴びたように冴えわたってくる。


白魔術も黒魔術も双璧を成す、まさに二刀流の魔法だ。

白魔術は再生を司り、黒魔術は破壊を司る。

それらは非常に強力な反面、行使には代償を伴うのだ。

白魔術は術者の命を削り、黒魔術は術者が心の奥底で願ったことを叶える。

特に後者は潜在的に思ったことであったとしても必ず叶えてしまう。

そして、今回アルベールが心の奥底で願ったもの――それは『ラピスの辛い記憶を消してやりたい』だった。

歪みはいい思い出も含めてすべてが消えてしまったこと。


アルベールは頬から伝う透明な涙を乱雑に拭う。


「オレはアルベール。君――エリスの剣にして盾だ」


傷ついた身体も心も、アルベールの手によって最初に戻ってしまった。

それなのに、エリスと名付けられた少女は澄んだ青い瞳を向け、微笑んで言うのだ。



「アルベール、貴方は私を守ってくれますか?」

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