第26話 夜明けの国と白銀少女

 

 男は長く旅をしていた。

 辿り着いたばかりのその国は、まるで夢のように素晴らしい場所なのだと聞き及んで、足を向けた場所だった。

 男が見上げた大樹の周囲は大きな広場になっていて、風が吹き込み、木漏れ日が心地よく揺れている。

 大樹はその国を守るかのように優しくその枝葉を伸ばしていて、その根本には、二つの銅像が寄り添うように立っていた。

 大きな角を持つ異形の姿をした男と、それに寄り添うように手を取り合った女性の銅像だ。

 魔物と人間が手を取り合っている姿、だろうか。

 男が知る限り、魔物と人間がこうして協力し合うような場所は、世界でもあまり多くはない。

 人間同士とて諍い合う事が少なくないのだから、異種族であれば余計に溝が深くなってしまうのだろう。

 男は旅をしていく中でも不思議と魔物を怖がる事はなかったが、それが何故なのかは、男自身、よく理解していない。

 生まれ故郷では人間しか見た事がなかったものだし、両親と姉、二人の妹も、魔物に関わりを持つ事はなかった筈なのに、何故だか全員が、異形の姿のそれらを知っていたのだ。

 身近に感じているかのような彼らの生態を知らずに恐れないというのは、ただ単に怖い思いをしていないだけかもしれないけれど、と銅像を眺めていると、背後から「見ない顔ですね」と声をかけられて、男は慌てて思考の海から意識を浮上させた。

 振り向くと、立ち襟の黒い祭服を身につけた、神父のような出立ちの男がにこりと笑っているけれど、その口からは大きな牙が生えている。

 目に当たる部分には角のようなものが幾つも生え、背中には骨で出来た羽が生えているけれども、彼はその低く穏やかな声音で話しかけてくるからだろうか、やはり恐怖心は現れない。

 魔物だ、と男は内心で驚きながらも、小さく頭を下げた。


「此処は夢のように素晴らしい国、と聞いていたんだが、魔物と人間が共存してる国なんだな」


 その言葉に、神父は嬉しそうに口端を引き上げて頷いている。


「遥か昔、天から降臨された女神様が、人間と魔物は酷い戦争をしていたのを見たそうです」


 その戦いに大層胸を痛めた女神様は、その身体に満ちた大いなる魔力全てを使って願われた。

 どうか、二つの国が、全ての人間と魔物が救われて、共に手を取り合える世界でありますように、と。

 そうして二つの国は統合され、二つの種族は共に暮らすようになったという。


「この像は、その女神様の教えを讃えて作られたものなのです。素晴らしいお話でしょう」

「ああ、まあ、そうだな」


 神父の言葉に、男は曖昧に頷いた。

 まるで御伽噺のようで釈然としない気持ちではあるけれど、言い伝えというものは得てしてそういったものだ。

 けれども彼は気を悪くしたでもなく、牙が生えた口の端を引き上げて、笑ってみせる。


「どうか、貴方にもよい出会いがありますように」

「ありがとう」


 男は彼に手を振って、街の中へと進んで行った。


 綺麗に舗装された道は広く取られ、しっかりとした石造りの建築物がその両端に続いている。

 アーチ状にくり抜かれた建物には小さな店が収まっていて、どの店も入り口の側に小さな看板を掲げていた。

 建物と建物の間には細い路地があり、きゃあきゃあとはしゃぐ子供達が集まる水場もある。

 其処には沢山の腕と頭だけを出した長い黒髪の魔物がいたのだけれど、腕を器用に使って子供達が転んだりしないように優しく身体を支えたり、泣いた子供をあやしたりしている。

 微笑ましい光景に口端を緩めて通りかかった貴金属店には、羊のような角を持つ片目を隠した黒髪の男が女性達に囲まれていて、面倒そうに商品の解説をしていた。

 独特の香辛料を使った料理や、色とりどりのフルーツを使った菓子などを出している料理屋では、大きな体を揺らした男とも女とも子供とも老人ともつかない不思議な生き物がせっせと調理をしていて、客の来店に、カトラリーで出来た両手を打ち鳴らして喜んでいる。

 すれ違ったつばの広い帽子を被った真っ赤なロングドレスの女性は、金色の小鳥達と戯れていて、彼女が大切そうに両手で抱えている鳥籠には、金色の目玉が二つ、浮かんでいた。

 少し先に行けば、テントを張った市場もあり、入り口には魔物らしい厳つい鋼の鎧で出来た身体の男が見張りをしているのだろうか、仁王立ちをして異常がないかを確認してはいるけれど、心地良い気候のせいか、時折こくりこくりと船を漕いでいる。

 市場の中を歩いていても、魔物と人間が、分け隔てなく暮らしているのが見て取れた。

 すっかり気分が良くなり、市場で美味しそうな香りのする料理の一つでも購入しようかと周囲を見渡すと、後ろから、とん、と小さな衝撃があった。

 男が首を傾げてそちらを向くと、目の前で白銀に輝く髪がさらりと流れていて、思わずその軌跡に目が奪われた。

 奥底を覗き込めそうな程に透き通る青い瞳に、水色のワンピースを着たその少女は、慌てた様子で口元を押さえると、すぐに頭を下げている。


「ごめんなさい、よそ見をしていて。怪我はありませんか?」

「あ、ああ……」


 あまりの事に驚いて、男はしどろもどろになりながら、耳元で揺れる耳飾りの石を触れた。

 故郷では幼い頃から身につける風習がある耳飾りだけれど、昔から、その石に触れると、不思議と落ち着いてしまうのだ。

 少女はその耳飾りがもの珍しいのか、ぼんやりと見つめている。


「ちょっと、どうしたのよ」


 道端で見つめ合ったような状態だった二人の間に、ストロベリーブロンドの少女が突然割り込むと、男と少女を交互に見つめて溜息を吐き出していた。

 彼女はレースやフリルをふんだんに使った桃色のワンピースを着ていて、背中には蝙蝠に似た小さな羽が生えている。

 人間に近い姿だが、彼女も魔物なのだろう。

 その肩には小さな茶色の毛玉に似た生き物が二匹並んでいて、男を見るなり飛び跳ねたり、きいきいと鳴き声を上げている。

 もう、静かにしなさいよ、と少女が嗜めると、その首にしているリボンを結び直されていた。

 突然の事に呆然としていると、白銀髪の少女がくすくすと笑みを零して姿勢を正し、改めて頭を下げている。


「私がぶつかってしまったから。ごめんなさい」

「いや、大丈夫。気にしないで」


 それより、と男は言って、まじまじとその少女を見つめた。

 見目がよく、綺麗な外見の少女だけれど、何故だか不思議と彼女を知っている気がするのだ。


「君、何処かで会った事がないかい?」


 そのやりとりをつまらなそうに聞いていたストロベリーブロンドの少女は、男の言葉に眉を顰めると、口説くならちゃんと時間と場所と格好を選びなさいよ、と冷やかした。

 自らの発言を顧みた男は、ばつが悪くなり、思わず頭の後ろを掻いてしまう。

 いや、そういうんじゃあ、なくって。

 そう言いながら、どう言い訳したものか、と困り果てていると、白銀髪の少女はその様子を見て、何故だか嬉しそうに笑っていて。

 周囲からも、絶えず誰かの笑い声や話し声が聞こえていて、男は釣られるように、自然と笑みを零していた。


「此処は、いい国だな。誰もが助け合って、笑い合って、生きてる」


 まるで夢みたいに幸せそうに見える、と言うと、彼女は何故だか、泣き出しそうな顔で笑っている。

 今にも涙を零してしまいそうなその表情に、男が手を伸ばすと、彼女はその手を取って、真っ直ぐに男の瞳を見つめて唇を開いた。


「私の名前は、クレアシオン。この国の古い言葉で、〝新しい始まり〟を意味する名前なの」


 一音一音に思いを込めるかのように告げた、彼女のその言葉に、男は目を細めてゆっくりと頷いた。


「いい名前だな」

「ありがとう」


 私の大切な人が考えてくれた、とても大事な名前なの。

 何かを確かめるかのように見つめてくる彼女の透き通る青い瞳に、ある筈もない、いつかの言葉を思い出す気がして、男は少女の手をしっかりと握り締める。

 もう二度と、決してこの手を離してはいけない。

 何故だかそう強く感じるかのように、彼女の皮膚の感触は、男のそれにとてもよく馴染み、伝わる体温は二人の境界を溶かしていく。


「ねえ、貴方の名前を、教えてくれませんか?」


 そう言って、少女が見つめた男の瞳は、夜明けの空の色をしていた。


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夜の国と白銀少女 七狗 @nanaku06

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