第18話 決断と決別


 彼ら彼女らは戦った。

 それは自らの国を守る為の、大切な者達を守る為の戦いだった。

 彼ら彼女らの中には家族がいた。恋人がいた。友人がいた。

 自らが傷つけられる恐怖に怯え、大切な者達を奪われる苦痛に嘆き、それでも、彼ら彼女らは戦った。

 ひとり、またひとり、消えていく事の痛ましさ、愚かさに、眼を背けたのは一体誰だったのだろう。

 それでも戦わなくてはいけない、と言いながら、何が始まりだったのかさえ、誰も知ろうとはしない。

 全ては、この国を、人間達を蹂躙する、異形の者達が悪いのだと。

 粗野で醜悪で異常なあの者達が全てを狂わせたのだと、皆は言う。

 人間達を踏み躙り、嬲り、祈りを届ける為に伸ばした手さえ叩き潰して、踊り狂って嗤っていた異形の者達。

 初めは父親だった。

 その次は母親。

 その次は姉。

 そして、妹達。

 共に戦っていた友人達は、数えきれない程に。

 白銀の短剣を携えて、全てを見ていた彼女は泣いていた。

 全ては自らがいけなかったのだ、と。

 床に伏せ、嗚咽を零し、髪を振り乱し、涙で濡れた頬は赤く腫れ上がっていた。

 それならば、同じ目に合わせてやらなければ。

 例え、それが、どんな相手だとしても。


 ***


 一面に広がる泥のようなそれに、手にした燭台を放り投げた。

 腐敗した肉の匂いと緑色の炎が、その存在を主張するかのように暗闇の中に充満している。

 嫌な匂いだ。

 そう思いながら、それでも、この森に呑み込まれその力の一部になってしまわぬようにするには、これしか方法がないのだ、と言い聞かせる。

 床に転がる大量のカトラリーの中からフォークを一つ手に取り、指先で回しながらのアステリアスは小さく息を吐き出した。

 壁に埋め込まれた、規則正しく動いていた時計達の針は折れ曲がり、それでも自らの役目を全うしようとしているのか、無様に震えている。

 大声を上げてのたうち回る目の前で燃える何かは、それでも炎の中で、煙と灰を撒き散らしながら嗤っていた。

 狂ったように、愉しげに。

 静かに湧き上がる怒りは激しい嵐とはならず、けれど、内側をゆっくりと冷たく研ぎ澄ましていく。

 目の前は金色の羽根が身体にまとわりつくように舞い散っていて、眼を眇めたアステリアスは、手にしていたフォークを地面に放り投げ、気怠げに視線を持ち上げた。

 苦痛に顔を歪めながらも口端を持ち上げた女が、一際大きい時計の短針に腰掛けている。

 つばの広い帽子は既に汚れ、真っ赤なロングドレスは、裾がほつれて惨めたらしく見えるけれど、女は悲嘆に暮れる事はない。

 女の白い手が振り上がると、周囲に広がっていた金色の羽は一斉に意志を持ったかのように、アステリアスに襲い掛かる。

 アステリアスは小さく息を吐き出すと、地面を蹴り、空中で身体を捻って器用に全てを避けていた。

 世界が驚く程に緩慢に見え、身体もそれに合わせてついてくる。

 ぼんやりとそれを実感しながら、アステリアスは胸元に手を当て、瞼を閉じると、白い光を溢れさせた。

 あたたかでやさしい、懐かしい光。

 その光の中から白銀の短剣が現れると、アステリアスはしっかりと柄を握り締めて、眼を開いた。

 身体中の血管が沸騰するように熱を帯び、骨は軋んで痛みを齎し、胸を突き破る程の速さで心臓が拍動する。

 それは自らには大き過ぎる力である事を、アステリアスはよく知っている。けれど、それが此処では自らを、そして彼女を守る力である事も。

 深く長く息を吐き出し、呼吸を整えながら短く吸い込むと、爪先に力を込めて、アステリアスは駆け出した。

 女が金属のように鋭くなった羽を自らの目の前へ集め、防御するけれど、アステリアスはそこに躊躇なく短剣を振りかぶり、斬りつける。

 刃と羽根が互いの侵食を拒むかのように火花を散らし、力が拮抗しているのを、女は悦んでいるのだろう、笑みをより一層深くしていた。

 魔物達は光の力を恐れるけれど、女にとって、そんな事は瑣末な事に過ぎない、とでも言いたげな様子だ。

 どんなに痛め付けても、どんなに傷つけても、どんなに苦しめたとしても、この屋敷に住む魔物達は、決して命乞いをしたりしない。

 苦しみ痛みに悶えたとしても、泣き喚いて許しを請う事はない。

 家族は、友人は、仲間達は、ずっと苦しんでいたのに。ずっと痛い苦しいと泣き叫んでいたのに。

 この魔物達をいくら同じ目に合わせても、決して同じようには苦しまない。

 どうして、と、アステリアスが短剣に力を込めると、白銀の刃に凝縮した光が溢れ出してくる。

 金の羽はそれに怯えるように霧散し、その拍子に、女の帽子が地面に落ちていく。

 その瞬間、鳥のように眼を丸くした女の顔は、白銀の刃に斬りつけられていた。

 酷い悲鳴を上げて顔を押さえ、痛みに悶える姿を見ても、アステリアスは何も感じる事はない。

 床に広がっていた泥は灰となって消えていくけれど、緑色の炎は時計を燃やし尽くす事はなく、中途半端に歪ませたきりで、壊れた秒針の耳障りな音がホールの中で不気味に響いている。

 周辺にまで火が回らない事に舌打ちをして、アステリアスは床に転がる鳥籠を蹴飛ばした。

 痛みを堪えながらドレスを赤黒く染めた女は、後生大事に抱えていたその鳥籠を見て、頭をことりと傾ける。

 アステリアスはその彼女の前、真っ赤に染まった床に立ち、手にした短剣を持ち上げた。

 白銀の短剣に映る女は、苦しみに悶えながらも真っ赤に濡れた唇を引き上げて、狂ったように、愉しげに、声を上げて嗤っている。


「さようなら」


 もう二度と、出会いませんように。

 呟いて、アステリアスは手にしていた白銀の短剣を振り下ろした。

 真っ赤に染まった床に散らばる羽は、すっかりと血を吸い込んで黒色になり、惨めに無様に固まっている。

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