第9話 鳥籠と時守り


 屋敷の入り口を入って直ぐにある大きなホールには、時を刻む規則正しい音が幾つも重なり、広い空間の中で響いている。

 正面にある壁には、数百数千もの時計が一面に埋め込まれていて、それは、一度全てを溶かし、壁に塗り込み、再びその働きを取り戻したかのように歪だというのに、正しく時を刻んでいる。

 その中央には一際大きな時計が飾られていて、アステリアスは口を開け呆けた表情のまま、それを見上げていた。

 その大きな時計の長針に腰を掛けているのは、根本から引き千切られたような血塗れの金色の翼を幾つも集め、膝に乗せた金の鳥籠に閉じ込めてしまった女で、豊満な胸元を見せつけるようなデザインの真っ赤なロングドレスに、足元まで届きそうな程に長い艶やかな黒髪、表情が垣間見える事無いかのようにつばの広い帽子を被り、まるで何処ぞの貴婦人かのようでもある。

 けれど、魔物特有の異形の姿——猛禽類のような鋭い爪のある手足を持ち、血に濡れたような真っ赤な唇で、彼女は静かに微笑んでいた。


「彼女はミストポルカ。この屋敷の時を管理している」


 フィーネはそう言うと白いワンピースの裾を翻し、躊躇なく彼女の足元へと歩いていくので、アステリアスは慌ててその後ろを追いかけた。

 ミストポルカという名の女は、ごきげんよう、と妖艶な声で挨拶をして、金の鳥籠を愛おしげに撫でている。


「ごきげんよう、ミストポルカ。頼みがあるのだが」

「どのような御用でしょう?」

「彼に服を用意してはくれないだろうか」


 問い掛けに、彼女の頭は地面へ向けるかのように不自然に曲がったまま止まり、背後の時計達は一斉にその機能を止めていた。

 まるで彼女と連動するかのような周囲の動きにアステリアスが驚いていると、再びかちこちと秒針が動き出している。

 広いホールの中には女の甲高い嗤い声が響いていて、辺り一面に反響し、いつまでも耳に残ってしまうかのように、アステリアスには感じられた。


「薄汚い生き物にそのような戯れをなさるだなんて。お人形さんには、あまりに難しいのではありませんか?」


 ミストポルカの言葉に、フィーネは僅かに眉を寄せた。

 以前ならば起きる事のなかった微かな変化に、ミストポルカは密やかに唇の端を引き上げる。


「彼は人形ではない。アステリアスという」

「ふふ、良いでしょう。この度は貴方のお好きに」


 何かご要望が?

 ミストポルカにそう問い掛けられ、フィーネに視線を向けると、彼女は小さく頷いているので、アステリアスはにこりと笑みを浮かべた。

 フィーネはアステリアスの為に、服を用意して貰おうとしているのだ。

 アステリアスが着用している今の服は、とても質素なものだ。

 汚れを落とし、傷を癒やす為、一時的なものとして用意していたのだから致しかないけれども。

 いつまでもその寝巻き姿でうろうろするのは止めて頂戴、とメイシアが言っていた事もあり、その言葉にフィーネとアステリアスも納得し、ミストポルカの元へと訪れたのである。


「俺の希望を言えば良いのかい?」

「ええ」

「なら、動きやすい格好が良いな」

「ではそのように」


 アステリアスの回答に、ミストポルカは僅かな逡巡すら見せずに、満足げに頷いていた。


「けれど、物事には対価が必要。ねえ、可愛い貴方。ご存知でしょう?」


 金の鳥籠に頰を寄せ、くすくすと吐息混じりに笑うミストポルカに、フィーネは解っていたかのように問い掛けている。


「何が要る?」

「青い硝子の果実が一つ、夜空に焦がれた蛙を三つ、雨露で煮詰めた蜜薔薇を五つ。正しく確かにご用意下さいな」

「わかった」


 ミストポルカの要求をフィーネは素直に聞いているけれど、アステリアスにはそれが理解出来ずに顔を寄せ、密やかにフィーネに問い掛けた。

 硝子で出来た果実や夜空を見上げる蛙など、見た事も聞いた事もなく、興味がそそられたのも確かだけれど。


「なあ、今のは何に必要なんだ?」

「対価、で御座いますよ」


 離れた距離だというのにミストポルカには声が届いてしまっていたらしい。けれど彼女は気を悪くした風でもなく、その唇は笑みの形を作ったままだ。

 起きたばかりの時に見たような、直ぐに人間に危害を加えるような魔物ではないのだろうが、先の発言からして、決して好意的というわけでもないらしい。

 それでもフィーネは彼らの中でも特別なものとして捉えられているのはアステリアスにも見て取れた。

 フィーネは先の問いかけに暫し考え込んでいて、ことりと頭を傾けると口を開いている。


「人間も、何かを手に入れるには、お金、とかいうものが必要なのだろう? それと同じだ。此処ではそう言ったものは必要がない。その代わりになる対価を調達して彼女に渡せば、必要なものを用意をしてくれる」

「まあ、そうだけど……、」


 何ていうか、ちょっと違うんだよなあ、等と頭の後ろを掻きながらアステリアスは呟くけれど、フィーネは柔らかに笑って手を引いてくれる。

 彼女は名前を貰って以来、心を開いてくれたように、アステリアスには思われた。

 それはアステリアスにとって嬉しい変化であったし、曖昧になってしまった記憶を優しく埋めていくようで、物悲しい気持ちにも、させていた。


「さあ、ミストポルカに言われたものを探しに行こう」


 フィーネの言葉に、アステリアスは小さく笑みを浮かべて頷いた。

 指先は冷え切っていたけれど、彼女の手はその冷たさをゆっくりと解くように、あたためてくれている。



 ***



 ホールから二人の姿が消えると、入り口に照らされた仄かな明かりが風に吹かれたように揺らめいている。

 ミストポルカは冷たく硬質的な床の上へと猛禽類を思わせる素足をそっとつけると、その歪みなく磨き上げられた床の正しさに、先程まで貼り付けていた笑みを崩し、一切の表情を消していた。

 鳥籠から離した、その指先ひとつで時を止めた彼女は、闇の奥底から姿を現した男を視界の隅で認識するが、顔を向ける事もない。


「聞き耳を立てるのは、あまり良い趣味ではありませんわ」


 男は黄金に光る瞳だけを暗闇の中に浮かばせているので、その表情が垣間見える事はないけれど、薄く笑みを浮かべているのだろう、黄金の瞳は三日月のように弧を描いている。


「ただ泳がせているだけだ。哀れな人間どもが毒入りの水槽に入っていると知らずに、追い詰めてしまうというのは……、あまりに可哀想だろう?」


 静かにそう言葉を吐き出した男は、何者であろうとも自らに平伏するのだという事を疑わず、それだけの資質や素質を自身は備えているのだと疑わない。

 与えられたものを信じて受け入れてしまうのは赤子だけなのだ、と、きっと彼は知りはしないのだろう。

 魔女はその愚鈍な気高さを、けれど、嫌悪の感情には繋がらせない。


「泳がせている、というより、踊っているかのようですね」


 誰の手のひらに乗っているのか、とは言わずに——もしかしたら言えずに、ミストポルカは呟いた。

 きっと毒入りの水槽の中にいるとしても、鳥籠の中に閉じ込められているとしても、それでも、彼らは救われたいし、掬われたいのだろう。

 其処から取り出してくれるその手が誰のものなのかも、きっと二人は知らないのだろうけれど。

 ミストポルカが冷たい指先を動かすと、時計達は再び動き出し、規則正しく時を刻んでいる。

 何事もなかったかのように、ただ、正しく。


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