六 子守歌 2017年 6月
美子がその子守唄を歌い始めたのは隼人の生後八十日頃だった。
……緑が丘のポンポコタヌキ、月夜の庭で
替え歌だ。富山民謡コキリコ節のメロディーを借りている。
「綾が教えてくれた子守唄よ」
美子が三年生の時に綾は入学しているから、綾が美子と学校で一緒だったのは二年間だけだった。それでも同い歳の美子と気が合ったのか授業時間以外は何時も一緒にいた。よく我が家に遊びに来る。
我が家は美子の実家から車で四十分の所に在る。実家が近いほうが子育てには何かと都合が好かろうと、隼人が生まれたとき僕は美子の実家近くへの引っ越しを提案した。
「引っ越しなんかしなくていいわ。ここなら貴方、勤め先に歩いて通えるでしょ」
小児科も役所も大きなスーパーも近くにある。それに、
「綾のアパートもすぐそこだし」
美子は引っ越しなんかしなくていいと僕に
綾は、滅多に外出しない美子の話し相手になってくれる。美子の面倒を
コキリコ節を美子に歌って聞かせたのは富山出身の綾だった。
意味の解らない歌詞だったけどメロディーがホンワカしていたから適当な歌詞をつけ替えたの、と美子は言った。
コキリコ節は子守唄ではない。コキリコは竹製の楽器だが、美子は「コキリコ」の語感から「子供」を連想し、「踊りたか踊れ泣く子をいこせ(踊りたければ踊りなさい。泣く子はあずかるから)」という歌詞から子守唄に違いないと思ったらしい。
僕らが住む公団住宅には「ヴェルディール」という洒落た名前がついている。ヴェルディという名のサッカーチームがあって、そこのチームカラーが緑だから「緑が丘」みたいな意味なんじゃないかと管理人は言っていた。替え歌をつくるとき「ヴェルディールのポンポコタヌキ」じゃ
僕らが暮らす2LDKは、丘の上に建つ五階建てビルの最上階にある。
晴れた夜に窓のカーテンを開けると眩しいほどに明るい月がベランダ越しに見える。月の強い光が消えかかった街の
……緑が丘は今夜も月夜。みんな一緒に腹鼓。トウタンタヌキもポンポコリン。ママタンタヌキもポンポコリン……
どんなにぐずっていても、美子が抱き上げてこの子守唄をきかせると隼人は直ぐに眠ってしまう。
「夢を見ているのかも。幸せな夢をね」
幸せな夢の陰にそうではない現実が潜んでいるのではないか。ふと小さな不安が過った。だが、隼人はスヤスヤと幸せそうに眠っていた。
……緑が丘に流れ星ひとつ。しあわせ
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