もう一つのお願い

 誰もいなくなった池をあとにして、村に戻った。


 レンガ造りの村長の家の扉をノックすると、書類から手を放せていないツーカが顔をあげる。結果を待ちわびていたようだが、アンデットの唸り声だったと、正直に話すわけもなく。


「近くの野犬だった。追っ払ったからしばらくは来ないと思うが、子供を池の方に活かせるのは危険だ」


「あー。やっぱりそうですか。狼の遠吠えもうるさいと思ったら……」


 狼の遠吠えはアンデットに追われていたからだろう。という言葉を胸にしまっておいて、適当に話を合わせておく。

 人間を相手に人間を殺したと報告すると、泣いたり激昂したりで面倒だからな。それに村付近に駐在していた兵士ならば、この村出身の者が居てもおかしくない。お門違いの復讐心を抱かせないためにも黙っておいた方が得だろう。けして、優しさとか配慮などではない。


「それでは、吸血をして下さって構いませんよ。すぐに村人を呼んできますね」

「ああそれと、血を吸った後、少し横になってもいいか?」


「ええ、構いませんよ。寝室はあちらです」


 ツーカに案内された寝室に腰を掛けて背中から倒れ込む。

 深く眠るつもりはなく、あと数時間もすれば日も暮れる。昼間無理して走り抜けるより、夜の方が早いだろう。疲れたわけではないが、久しぶりに人(アレを人と呼んでいいのかは分からないが)を殺した感覚は、胸糞の悪い物だった。殺す間際にもブランの顔がチラついてあの娘が悲しそうにするかと思うと、手を汚すのは気が進まない。


「全くだらしないのう。全盛期のワシならば、一日中走り回っても平気じゃったのに」


 ブランのことを想って顔を伏せていると、俺が疲れていると勘違いしたのか、大きなため息とともにシャルハートが怒る。だが、疲労とまでは言えないが、太陽に身を焼かれているのも事実。

 『太陽』のアルカナ因子を完全に掌握した伝説のヴァンパイアマスターであれば、炎天下だろうが構わずに余裕で走り抜けるかもしれないが、俺はあくまで借りているだけ。


「弱体化の影響を低減するだけで、無効化は出来ないんだぞ」


「だから修業を積んで、強くならなくてはならないのじゃ」


 ……いや、4万年かかってもシャルハートには遠く及ばない気がする。


 無茶な物言いにうんざりしていると、寝室のドアがノックされた。

 入ってきたのは、村ですれ違った老婆と、ツーカ、そして目の開いていない老人だ。3人とも腕を捲っており、吸血される準備は終わっているようだ。


 しわしわの手首に噛みつき、牙を立てる。

 細く、チロチロと流れる血がもどかしいが、老人の血圧なんてこんなものだろう。人間から直接血を吸うのも久しぶりだ。喉を通る生暖かい血の感触は、どんな美食よりも勝っている。太陽光を浴びたことによる倦怠感も、人間の血が全身に巡る感覚と共に薄れていく。


「ところで、クーリア様はこの後どちらへ?」


「ちょっと『魔術師』のヴァンパイアロードが治めている国に用事があってな、奇跡の国『ミラクローア』までいくつもりだ」


「やはりそうでしたか!! それでは、失礼ですが、もう一つお願いしてもよろしいでしょうか?」


「なんだ?」


「ミラクローアに『リリシア』という少女を見つけたら、この手紙を届けてほしいのです。歳は18ほどで少し鈍い金髪をしております。こんなような肩掛けカバンを下げてますんで分かりやすいかと」


 そう言ってツーカが見せてきたのは、紐とカバンの結合部分がほつれて千切れている肩掛けカバンだった。擦り切れたような薄茶色のバックは金具が外れている。ずいぶんと年季の入った汚い鞄だが、革紐の所にツーカの名前が刻まれている。


「さすがにこれよりは状態がいい物ですが、うちの村を出た物には全員に渡しているものなんです」


「分かった。見かけたら、手紙を渡しておこう。……おい、人間。吸血は終わったんだ。手首を押し付けてくるな!!」


「いやぁ、こんなカッコイイ吸血鬼に血を吸われたら、うっかり若返ってしまいそうだで!!」


 なにやら興奮した様子の老婆を引きはがす。人間ごときに褒められたところで微塵もうれしくない。特別整った容姿をしているわけではないが、吸血鬼たちというのは人間たちにとって美麗に見えるらしい。そういう感覚が湧かない俺たちにはわからない話だ。


(いや、ブランは天使のようにかわいいからな。人間から見ると、俺も似たようなものなのか?)


 シャルハートがニマニマと笑みを浮かべていたので若干苛ついたが、彼は俺の口の端からこぼれている血を見て笑っていたらしいので怒りを抑えた。……どんだけ空腹なんだよ。


 コーウィン村からミラクローアまでの道をツーカと確認しながら日没を待っていると、ぬいぐるみを落とした母娘が村長の家を訪ねてくる。母親の方は、俺とツーカが話しているのを見ると警戒を解いたのか、昼間ほど怪訝な顔は浮かべていない。


「お兄ちゃんが出発する前にね、どんぐりと、絵をあげたかったの!!」


「こんな小さな子まで魅了するなんて、ナールさんも隅に置けませんね」

「魅了したつもりはない!! 人間と交わる吸血鬼なんているはずないだろう」


 ツーカの軽口に思わずツッコミを入れてしまう。ケラケラと笑っている様子を見ると、もう少し手加減せずに吸血してやればよかったと後悔した。そういえば、人間と吸血鬼が結婚するおとぎ話があったような気がする。ブランが色恋をテーマにしたおとぎ話は目を輝かせて読んでいたので覚えていた。


 小さな木の実と俺の似顔絵が書かれた紙を受け取って、村を出る。

 たった数時間しか滞在していないというのに、妙に見送りなんてされるものだから出発が遅れてしまった。人間というのは気が良いくせに短命だ。だから嫌いなのだ。


 ミラクローアまでの道中は、残りほんの少し。

 村人しか使わない悪路を走り抜けながら、目の前から放たれる火球を躱す。俺が吸血した血の一部を魔導書に垂らしてやったので、シャルハートの分身を作って修行の続きをしているのだ。

 久しぶりに満腹になったのが嬉しいのか、さきほどよりも派手に魔法をぶっ放している。修行という意味では効率がいいのかもしれないが、ちょっと強すぎるのではないだろうか。


「……愚か者、背後から煙が立ち上っておるぞ」


「煙!?」


 魔導書を片手に、分身からの攻撃やトラップを探していると、封印されているシャルハートが怪訝な声を漏らす。背後を振り返ってみれば、コーウィン村があった方から死臭が漂っていた。微かに血と焦げたような匂い。これだけ距離が離れていても感じるということは、ちょっとしたボヤというわけではなさそうだ。


「……いや、まさかな。気のせいだろ」


 頭は放っておいて先に進めと警告してるのに、体が前に進まない。


 先ほどまでのスピードが嘘のように力なく村の方へと歩いた。


「なんだよ、コレ……」


 弱々しく戻ると、村は完全に燃え尽きていた。


 レンガ造りの家は崩れており、辛うじて残った木の柱も炭に変わって、そこかしこに争った形跡と、汚くはじけた人間の死体。

 まるで獣が食い散らかしたかのような惨状。


 俺はこれを知っている。

 この惨憺たる現場を知っている。


「アンデット……!?」


 視界の端で何かが動く。思わず目で追いかけると、焼けこげた皮膚を押し出すようにして再生を始めるアンデットの姿があった。

 溶けて歪んだ甲冑から、虚ろな顔が見える。


「シャルハート。これ、『魔術師』の仕業だと思うか?」

「十中八九そうであろうな。アンデットの性能を試したのか、あるいは、愚者おまえを殺すためか」


 地面に無造作に転がる小さなクマの人形を拾い上げる。どこか見覚えがあるようなデザインで、俺が持っている似顔絵の中に、これによく似た生き物を抱いている幼女が描かれていた。

 土を払って抱きしめるとボロボロにほつれた布から、血に染まった綿が飛び出てくる。


 けれど、強く強く抱きしめた。


「お前、こうなることを分かってたんだろ!!」



 立ち上る煙を見ても、コイツは驚いたような顔をしなかった。ただ単純に人間風情の死を悼むほどまともな感性を持っていないだけかもしれないが、あまりに冷静な声音は予期していたかのようだ。


「そうじゃな。あの池にはまだアンデットの気配があった。襲ってこないことから伏兵というわけではなかったので、言わんかったがの」


「俺の目の前で、誰かが理不尽に奪われるのは許せないんだよ。何かを失うことを見るのは耐えられないんだよ!! なぜ、見て見ぬふりをした!?」


「そんなもん、知らん。人間がいくら死のうが、お前の妹が奪われようが、ワシには関係ない」


「いや、お前が悪い。お前がすべて悪い。【シャルハート・ソル】全てお前のせいだ」


 人間が作った法律では、死に瀕する人間を故意的に見過ごした場合にも殺人とされるらしい。吸血鬼相手に人間のルールを当てはめるのも奇妙な話だが、シャルハートの行動は、紛れもなく罪咎に触れる行為である。すくなくとも、俺の感情は揺らした。


「何を世迷言を……。」


 頭から火を被ったように、はらわたが煮えくり返る。

 酷く苦しい思いをぶちまけるように、全身から炎があふれた。


 『太陽』の力のような冷徹な青い炎ではない。もっとドス黒くて、渦巻く感情を表したかのような、真っ赤で触れるものすべてを傷つける炎。

 吐き出す言葉にすら炎がのしかかる。


「なんじゃ!? これが『愚者』の能力か!?」


 妹を連れ去ったグラディウスの時と同じ。

 いや、あの時以上に強烈で、純粋で、分かりやすいまでの憤怒の炎。ごうごうと燃え盛る炎が全身から吹き荒れて、辺りに広がる。家々を燃やす炎に触れると、それすらも取り込んでさらに大きく燃え広がった。


「アレに触れたアンデッドが死んだ……。『太陽』と同じ? いや、それ以上じゃ!!」


 シャルハートの能力と同じ、不死さえも殺す炎だが、アレとは根本的な原理が違う。上手く説明できないが、ただの魔法とはわけが違うということだけはわかる。


「『魔術師』のヴァンパイアロード……。お前は必ず殺す!!」


 際限なく炎を燃え上がらせると、何かを奪われるように意識が薄れていく。

 心の奥を掴まれているような気持ちの悪い感覚。


 『愚者』の力……?


 ブランが連れ去られたときの一度目よりも、二度目の今の方が上手く使えた。次は、もっとうまく扱えるはずだ。それこそ、ヴァンパイアロードを殺すほどに。前回と今のである程度能力は理解できた。必要なのは、怒りの対象と、強い感情。

 ブランを連れ去った奴は、この豪華で焼き尽くして殺してやる……!!


 感情に任せて村を我が物顔で歩き回るアンデッドたちを焼き殺す。収まらない感情を当たり散らすように意味も無く炎を吹き上げる。せめて、この怒りが死んだ人間たちにも届くように。


 そうやって村のあちこちを燃やし尽くしていると、冷や水を掛けられたように火の勢いが弱まる。それと同時に何とも言えない虚無感と倦怠感が全身にのしかかる。陽の光を浴びた時とは違う、例えるなら、感情に一つを奪われたような感覚。


 アレ……?

 なんで、ヴァンパイアロードを殺さなきゃいけないんだ? そこまでする理由があるか?


「愚者? 愚者!!」


 握られた感情を引かれ奪われる感覚と共に、俺はその場に倒れ込んだ。

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