失敗作の不死者

「さてと、池に向かうとするか」


 村長の家から出て、少し辺りを見渡す。


 小さな木の棒を持った少年が目の前を走って、森の方へと抜けていく。幸いにも、池とは正反対の方向だが、付近に野犬などが居ないだろうかと心配になった。


(いや、道中にそれらしい生き物は居なかったな……。心配しすぎか)


 兄の習性というべきか。子供を見るとどうしても妹と重ねて世話を焼きたくなってしまうようだ。言うまでもないが、人間ごときを心配するはずもないだろう。


 池の方へと歩くと、母に手を引かれた少女が、腰に下げていたぬいぐるみを落とす。小さな金具でスカートに括りつけられており、フラフラと揺れているうちに壊れてしまったらしい。

 手縫いの可愛らしい熊のぬいぐるみを拾って、少女と母親を呼び止める。


「そこの人間、落とし物だ」


「あ、ありがとうございます……? えと、貴方は?」


 どうやら見慣れない顔であったために警戒させたらしい。淡い黄色の服を着た女は、自分の腹を抑えて手を引いていた少女を庇うように前に立つと、微かに俺を睨んだ。 わざわざ善意で落とし物を拾ってやったというのに、冷たい態度を取られたことで少しムッとする。1500年ほど前ならば、吸血鬼を嫌う人間も多かったが、この時代では珍しい反応だ。


 けれど、しょせんは人間の行動。

 疑心暗鬼も彼らの華なのだろう。


「その警戒は、弱者の処世術か? 別に気にしないが、子供の前では礼ぐらい言えるように努めることだな。子供はすぐに大人の真似をする。見ていないようで見ているものだぞ」


「……すみません。ありがとうございます。ほら行くよ」


「うん。ありがとう、優しくてかっこいいお兄ちゃん」


 ぬいぐるみを片手に笑う彼女の目元が、微かにブランに似ているような気がした。

 そういえば、彼女もつい200年前まではぬいぐるみを抱いていないと眠れないと言っていた。汚れて洗濯しなくてはならず抱いて眠れないときは、俺の布団に潜り込んでいたことを思い出す。


「愚者、今日の夜にはここを出るんだぞ? 日が傾きかけてるのが分らんか?」


「へぇ? さっきまでと変わらないように見えるが、あれで沈み始めてるんだな」


 妹によく似た幼女が手を振っているのを眺めていると、魔導書の中から飛び出した赤い光が、目の前で揺れる。足を止めた俺への軽口を、煽りで返して見慣れない太陽に困惑しながら、木々が密集している方へと急ぐ。

 池は歪だが、おおよそ円形になっており、俺たちが一時休憩した方とは正反対に兵士たちは居た。さらにその奥を進むとコーウィン村の端に着く。


 この村は、池の半分を包むように疎らに家が建っているのだ。


 池に到着すると、甲冑を着込んだ兵士たちが倒れているのが目に入る。

 割れた酒瓶や荒れた焚火跡、かすかに動物の血の匂いが漂ってくることから、まだ昼間だというのに野獣を狩って飲み食いをしていたのだろう。


「田舎に送られる兵士ってのは、苦労があると思っていたが、ただの偏見だったか?」


 寝ている兵士を起こすのは忍びないが、ツーカが言っていた池から響く唸り声というのが気になる。いびきが酷い奴でもいるのだろうか?


 少し奥に進むと、数人の兵士が兜を脱いで、狼の死体に群がっているのが見えた。血を見るのは慣れているので、特に何とも思わなかったが、シャルハートは狼から滴る血をじっと眺めていた。長いこと封印されていたせいで、そんなに腹が減っているのだろうか?


「げぇ、狼の血は美味しくないことで有名なんだがなぁ」


 いや、人間は血までは飲まないのか。狼の肉なんて食べないので分からないが、あの手の動物の肉というのは筋肉が多くて噛み切れないという話を聞いたことがある。

 まぁ、辺境に飛ばされる兵士なんて、肉が食えれば何でもいいのかもしれない。あまりに勝手な偏見だし、人間の都合や事情なぞ知らないが。


「おーい? 俺は近くのコーウィン村で休憩している吸血鬼なんだが、村の人間から毎晩うるさいって苦情が来てるぞ。少し騒ぐのを控えて……」


 そこまで言って足が止まった。


 目の前の甲冑兵士たちが食っていたのは、狼の肉だった。


 ……つまりは、何の下処理もしていない狼の肉を。

 半分生きているような状態の狼を数人で囲んで、素手で毛皮をちぎって食べているという意味だ。


「愚か者、こいつら、ただの人間ではないぞ!!」


 血走った目つきの人間たちが普通じゃないことは引きこもっていた吸血鬼だってわかる。人間は共食いをしないし、飢餓に耐えかねて、狼の生肉を貪ることはしない。最低限の理性と倫理観を持った生き物という枠で考えれば、下等な人間であっても同じだ。


 兵士たちが酔いつぶれて寝ている?―違う。アレは、仲間たちの食えなかった部分を適当に放っておいただけの偶然の産物だ。


「なんだアレ!? 同族ヴァンパイア? 違うな。明らかに人間ではなさそうだが!!」


「アレは、出来損ないじゃ」


「出来損ない!?」


 何か事情を知ってそうなシャルハートが忌々し気に呟く。

 微かに魔導書が光ったかと思うと、勝手にページが開いた。魔導書には目の前の奇妙な生物と同じように、血走った眼をした人間の絵が描かれている。どうやら狼の血を眺めていたのではなく、狼に食らいつく怪しい人間を観察していたようだ。

 勝手に大食漢なのかと疑ったことを心の中で謝った。


 フラフラと歩く兵士たちの充血したような赤目。ボロボロの爪、傷だらけの体。服や装飾品が汚れているのも構わない姿。口の端から零している狼の血が気味悪く感じる。


「アレは『太陽』以外のアルカナ因子を集める前のワシが作った失敗作の不死者。いうならば、出来損ないの不死者アンデットといったところじゃな」


「アンデット? 俺達吸血鬼ヴァンパイアと何が違う?」


「まずは完全な不死ではないことだな。頭や心臓を潰されると簡単に崩壊する。傷の治りも遅いし、完全に回復することは殆どない。しいて吸血鬼との共通点をあげれば、寿命が際限ないことじゃな」


「だとしたら、なんでそんな奴らがここにいる!?」


 フラフラと緩慢な動きで追いかけてくるアンデットから逃げる。こいつらの原因がシャルハートなのかと疑ったが、寿命が無い不死者とはいえ、伝説の吸血鬼と謳われたシャルハートが4万年で限界を感じているのだ。その失敗作が20万年近く生きているのはおかしい。


 それに、甲冑の出来や顔の具合、傷の様子から見る限り、とても古い死体には見えなかった。


「妹の誘拐。シャルハートの失敗作。コーウィン村に男が少なく活気が無い。考えたくはないが、どうしても嫌な想像をしちまうな」


「おそらくそれに間違いないじゃろう。あの母親の警戒も合点がいく」


 ぬいぐるみを拾った時の話だろうか。魔導書の中にいても俺の状況はよく見ているようで、俺が見た村への感想と共に、同じ結論に至ったようだ。

 つまりは、アンデットは『魔術師』のヴァンパイアロードが引き起こしているという結論。


 結論が出たところで、実際問題アンデットをどうしたものかと思案していると、魔導書のページがさらにめくれていった。


「さて、愚者よ。修行の時間じゃ」


「ああそうかい。哀れで出来損ないの下等生物を精一杯利用しようってことか!!」


 あまりに単純明快で吸血鬼らしい冷徹&合理的な思考。

 それでも、妹を奪われた苦しみを埋めるためには、上等な考えだった。


「『太陽』のアルカナ因子はあくまで貸しているだけ。魔導書を手放したら使えなくなることを肝に銘じて戦うんじゃぞ?」


「戦えって言ったって。コレの使い方なんて知らねぇぞ!?」


「貸したアルカナ因子はお前の中に入っておる!! 武器を強く念じよ」


 念じろと言われても……。

 いや、どうにでもなればいい!!


「祝福の象徴よ。愚かな者に太陽の加護を!!」


 魔導書に書かれた文字列を読み込むが、特別な意味は感じない。けれど、その中で気になった文字となんとなく頭に浮かんだ言葉をそのまま口にした。拳がじわりと熱くなる。まるで日に焼かれているような感覚だが、不思議と痛みは感じない。


 緩やかに近づいてきていたアンデットたちだが、俺の右手を見て微かにたじろぐ。この力が自分たちにとって脅威になることに本能的に気づいているのだろう。


「あいにく、人間相手への祈りは持ち合わせてないんだ!!」


 右手を振りぬくと青白い炎をまとった拳が真正面のアンデットへとぶつかる。

 金属製の甲冑を砕いて、腐った肉を殴り抜けたかと思うと、拳で殴ったとは思えないほどの衝撃で後方へと飛んで行き、木にぶつかって動かなくなった。我ながらセンスがいいのではないかと思う。初めて生物を殴ったにしては上出来な気がする。


 その様子を見てアンデットたちは躊躇う。殺せないはずの自分たちを殺す存在に恐れ慄いているのだろう。

 しかし、吸血鬼に利用された哀れな人間を救うつもりなど毛頭ない。俺が救いたいのはブランただ一人。いくら『愚者』を名乗っていても、面識も無ければ愛着も無い下等な人間まで救えると驕るような愚かな考えは持ち合わせていないのだ。


「祝福の象徴よ。愚者に剣を与えろ」


 魔道書がパラパラとめくれると、白紙のページに緋色の文字が浮かび上がる。まばゆい光の中心から輝く剣が生まれ、俺の手元に渡った。おとぎ話に出てくるような普通の剣。まるで太陽のように緋色に輝いていた。ほのかに暖かさのあるそれを振るうと、金属で作られている甲冑を溶かして、アンデットたちの首をはねる。


「これが、伝説の吸血鬼、シャルハートの力の一部じゃ。ちょっと貸してやっただけじゃが、それなりに使えるようで安心したわい」


「『太陽』……。俺の家を破壊したローブの男なんかよりよほど強いな」


 一瞬で緋色の剣が消え去り、拳に残ったほのかな熱も失せてしまう。輝きを失い力なく点滅する魔道書を閉じて、アンデットたちの死体を片付ける。


 誰もいなくなった池をあとにして、村に戻った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る