故人を偲ぶ

 父親から送られた葉書に、母方の叔父が亡くなったと記されていました。所謂、孤独死という状況だったそうです。


 近年は全く無気力で田舎に引きこもり、70を過ぎた姉2人が生活の段取りをつけて、度々遠くから様子を見に行っていたようです。長女は私の母ですが、姉弟の事とは言え大変だったと思います。


 母の実家は貧しい漁師で、姉2人は中卒で集団就職の汽車に乗り、准看護師をする傍ら夜学に通って正看護師の資格を取得しました。叔父は高校まで行かせて貰えたんじゃなかったかな。


 母方の姉弟3人は上京後それほど離れずに生活していて、私も何度か叔父の家に遊びに行きました。叔父はそこそこの会社に勤め、奥さんは朗らかな方で、2人の娘も人懐っこかったのを覚えています。


 ただ、そのような暮らしも叔父には満足出来るものではなかったようです。そこそこの会社に入れたが故に、最終学歴が高卒だというのをハンデに感じていたのでしょう。


 酔ってこぼす愚痴は、自分が正当に評価されていないと嘆くものであったと記憶しています。姉2人の末っ子であり、少し甘い部分、甘えた部分があるのは、母の苦労を知っている私にも何となくわかりました。


 恐らく40手前、或いは前後でしょうか、その叔父が会社を辞め、地方にIターンして農業を始める事にしました。ドびっくりでした。


 奥さんはもちろん、姉2人もその夫も反対しました。けれども叔父は強行しました。本人には勝算があったのでしょう。組織の中で上がり目の感じられない閉塞感のようなものがあったのかもしれません。


 一度だけ、農業をやっている時に遊びに行きました。まだ始めてからそれ程経っておらず、叔父は晴々とした表情で迎えてくれました。奥さんは疲れているように見えました。


 思えば、叔父の人生はピークを過ぎていたのかもしれません。


 3年ほど続けたでしょうか、農業は上手く行きませんでした。田舎に住むというのも楽ではないんですよね。奥さんは離婚し、娘2人を連れて実家に帰りました。


 私はその後、叔父にも奥さんにも会っていません。


 叔父にとってはもう立ち直れない挫折だったのでしょう。生活は乱れ、残ったのは借金だけ。そこからは姉2人の世話になりっ放しでした。


 生前、まだ会社勤めをしていた頃の叔父が、私に言った事が今でも記憶に残っています。


 ――風間浦は、ちょっと俺に似てて心配だなあ――


 私も他人に自慢できるような生き方はしてませんし、親にも大分迷惑をかけました。


 それでも今、何とか食って行けてるのは、叔父の言葉を覚えていて、絶対に踏み越えてはいけない場所で立ち止まれてるからなのかな、なんて思ったりします。




 どうして急にこんな事を書いたかというと、桁くとんさんの連載小説「Different possibilities of a certain reed-haired horse <ある葦毛馬の違った可能性>」のエピソードを読んで、一部がふと叔父と重なったのですね。


 ほんの一部だけなんですが。

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