4・布石
「こらだらだら歩かない」
「先生だけ馬に乗ってずるいじゃん」
十三歳、六人の子供たちを引き連れて森を進んでいる六十そこそこの女はヒルデ・シュミット博士。あの孤児院長クイル・シュミットの妹で、彼とは違い人間を生きたままの状態で運用する術を模索していた。
「この程度の距離ならあんたらにゃ余裕でしょうが。今日はただの狩りじゃなくって、生き物を見境なく攻撃してまわる迷惑な野郎を袋叩きにしにいくのよ。実地試験も兼ねてね。あんたらの能力を上のおじちゃん達が買ってくれての今回だってことを覚えときな」
少年少女・ヘルドシリーズ。狼の身体能力と継戦能力、群れとしての協調性を期待してゲノム編集された子供たちだが、狼の協調性は、もともと協調性のある個体が集まってできた群れが発揮するアドバンテージであり、狼という種そのものに初めから備わっているものではないというところを博士は見落としていた。別に満月の夜にムッキムキのモッサモサになったりはしないが、細やかに密集した髪から鉛直に一対のINUMIMIが突き出ている。
「いたね、あれだよ」
視力も色覚も総じて良くはない。各々度付き色覚補助グラスを掛け直した。
直立すれば十五メートルくらいだろうか、筋骨隆々、黒い毛並みの霊長類の首から人間の男の上半身が生えた化け物。このような異なる種の形質を持つ新生物をモザイクと呼んでいる。
「ほんと、あんなナリで今までどうやって生きてきたんだか。やれるだろ、やっちまいな」
「「らじゃ!」」
モザイクが振り下ろす、人の身長の何倍もある
「ホローポイント弾の効きが悪いんだよな、ナマモノのくせに」
「吹っ飛べ!」
うち一人が叫ぶと同時に人間部分の胴体に刃渡り二十センチの片刃のナイフを突き立てる。刃としては非常に厚いアルミの刀身と柄の内側に火薬を仕込んだなんちゃってナイフで、斬れはしないが動物の肉体に刺すには十分の強度があった。
爆轟が血肉を四散させ辺りを一色に染める。前もって伏せていた七人の背中にも漏れなく鮮紅の雨が降り注いだ。
「やったか」
みなが顔を上げかけたところで、先の爆轟と引けを取らぬ音量の金切り声が子供たちの強化された耳をことごとく蹂躙した。
聴覚を一時的に失ったことと突然の爆音で子供たちは混乱に陥った。ヒルデが呼びかけるが聞こえはしない。
派手な降雨が示す通り人間部分は見事に吹っ飛んでいた。しかし吹っ飛ばされた部分には新しく、金切り声の主、豊満に贅肉をたたえた人間の赤ん坊が生え、
発砲の指示も届かない。そこでヒルデは自らダブルアクションのリボルバーを構え六度撃った。それに気づき子供たちも次々に背中の長銃を抜く。
「形態が変わった…… あれで正解だったのか?」
巨大な新生物を動かし続けられることと、(体躯に比べて)小さな損傷が活動をほとんど妨げずものの数十秒で回復してしまうことについて整合性を取るための仮説が一つあった。それは、奴らの肉体は単なるインターフェースに過ぎず、あの体内のどこかに莫大なエネルギーの供給元となるところ、いわば電源部分があるというものだ。爆発による広範囲の損傷が奴らの活動を停止させるのに効果的であることは前からわかっていた。今回は人間部分と猿部分の二分の一を外したことで、猿部分に電源があることが予想される。
「猿を蜂の巣にしてまだ生きていやがったら、この仮説もやり直しだね」
赤ん坊は叫び続ける。初陣の強敵に効果も定かでない銃撃を浴びせることに彼らは疑問を抱かなかった。突然生まれた混乱に押し潰され、すっかり戦意の主体性を奪われた今、指示された攻撃が効果を発揮しない可能性など考える暇はなく、また考えたくもなかった。
一人、猿の剛腕の犠牲となった。横に薙ぎ払われた腕に轢かれ声を上げる間もなく他の六人の視界から瞬時に消え去った。
長銃を両腕に抱き、モザイクから隠れるようにして木の幹に背中を預け膝を折る少女がいた。彼女はルーフェン。ヒルデはルーフェンを叱咤も激励もせず、黙って
少年兵の初陣に期待していなかった。壁際の哨戒でいくらか新生物を撃ち殺したことがある程度の子供に、まして倒し方もわからない化け物の相手などできるはずもない。
「なんか来たね」
混乱する狼に代わりヒルデが微かな地面の揺れを察知していた。
一人が震える手で投げたなんちゃってナイフがモザイクの足元で破裂した。飛散する破片が肉体を貫き、前に倒れた巨躯はしばらくその動きを止めている。しかしいつ回復を終えまた動き出すかわからない。
「撤退だ!さっさと帰るぞ!」
身振りを交えて五人に伝えるが、撤退を始めるより、地を揺らしていた”なんか”の到着が早かった。
「、んだあれ!」
木々をものともせず、赤茶けた巨人が関節の錆を撒き散らしながらこちらへずっと歩いてきていた。それは動物でいうと骨が歩いているようで、それを引っ張り動かす筋肉が見当たらない。ふつう筋肉に見立てた複数のワイヤーを巻き取るか緩めるかして骨組みを動かすが、この錆の塊にそれはない。
巨人が屈んでモザイクの猿部分を握り潰した。人を腕一振りで死に追いやる巨体を、別のさらなる巨体が一握りでめちゃくちゃにしてしまったのだ。
「何もかも台無しだ!冗談じゃ――」
ルーフェンの背中を片手で押しながら馬のもとへ戻ろうとしたところで、二人の背を強烈な熱波が突き飛ばした。ヒルデが空中でルーフェンを抱え、今にも燃えだしそうなほど熱せられたマントで地面に不時着し顔を上げる。
爆心は巨人の足元だった。ちょうどそこにいたはずのモザイクは跡形もなく消え、クレーターの周りで四人のヘルドが熱で口も開けられぬままうずくまり、自らの全身を覆う炎に悶えている。
ただの爆発ではない。ヒルデは熱気を感じた直後、爆心を中心として大きな白い球体がこの一帯を包むようにして現れたのを見ていた。
「水蒸気爆発か!」
そう口にしたつもりだったがそれはヒルデ自身の耳に入らなかった。それでこの爆発によりヒルデの耳すら聾したことを知る。
子供たちは黙って悶えてなどいなかった。どうしようもないと勘付いていながら、藁にもすがる思いで各々がヒルデに助けを求め、叫んでいた。
光景は全て見えている。見えていて、何をすべきかすら頭の中には描けておらず、徐々に動きを失っていく我が子らを黙って見殺しにすることしかできなかった。
助かる者だけでも助けねば。
爆心から離れていたヒルデ、ルーフェン、馬に目立った傷はない。勝手に一頭で逃げ出しかけていた馬を奇跡的にも落ち着かせ跨る。
ヒルデは自分にしがみついているよう身振りでルーフェンに伝え、手綱を握りつつさらに馬の腰にかけたVOX(Voce Operated Relay:音声の送信、受信を自動で切り替える方式)トランシーバーの送話口を手元まで伸ばして怒鳴りつける。
「おい西部哨戒、こちらヒルデ・シュミット!市街西方の森ででかいロボットに襲われた!榴弾持ってきて大砲の射角を上げておけ!」
この巨体を崩しうるのは大砲しかない。街の防護壁の上に据えられた大砲は、いつもは地面を駆けずり回る新生物を蹴散らすために射角を下げ、榴散弾を常備してある。これでも骨格をぶち抜くような効果は期待できない。壁を練り歩く哨戒の規模を考えるとすぐに運用できるのはせいぜい四台、この中で都合よく関節を壊す未来を祈るしかない。
返答も聞こえない。あまりに突飛な内容なので聞き返してきているだろうが、今言ったことが全てだ。振り返ると巨人がこちらに歩みを進めているところが見えた。
動きは遅いが、その巨体ゆえ一歩で信じられないほど距離を縮めてくる。街まで三km。
あの爆発で近くの木々や人が発火していた。水蒸気爆発だから、爆発から少し経ったところで発火したのだろう。それまで被爆物が発火点を超える温度を維持できるほどとすると、その熱量は想像もできない。
それからどれだけの時間馬を走らせたかわからない。追いつかれずにはいたが、馬がへばってきた。目測で残り一km。馬の限界を感じた矢先、壁から三つの閃光が見えた。それから耳鳴りの中で辛うじて、後方での爆発音を聞く。初弾は外れた。
「遅いんだよまったく……」
第二波、第三波と続き、うち一発が巨人の右肩に着弾した。それでもほとんど速度を落とさず、さらに怯みも見せず前進してくる。
膝を狙えば確実だが、射角を下げすぎると、遺伝と人体の権威、ヒルデを巻き込みやすくなる。当のヒルデは、自分らのことなど気にせずこいつが街に着く前にギタギタにすることを望んでいた。
「こんなのが徘徊してちゃ今までの戦略と戦術をイチから組み直さなきゃいけなくなるね」
四発目の着弾で左の股関節を砕いた。倒れる体を、横に大きくそれて回避する。なお動き出すそれの背中をさらなる攻撃が叩く。
壁に開いた門をくぐったところで哨戒班長が出迎えた。
「今日は七人で出たと記憶していますが」
「……七人で出て二人で帰ったなら残りは聞かなくてもわかるだろうが」
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