6-320日 月曜日 

二人の掌が離れる。ラットの頭はまだふわふわとしていた。

羽が生えたような気分だった。

そしてラットは、

『この人ならば、受け入れてくれるのではないか』

瞬時にそう思ってしまったのである。


 その誘惑は、ラットの口を開かせるには充分だった。

「人を、殺してしまったんだ」

イェーゴーの指がぴくりと痙攣した。

「殺すつもりはなかったんだ。たまたまパンを三つも持っていたら、相手が先に襲いかかってきて・・・側にあったナイフで、刺してしまった。その時から、眠るのも一人ぼっちでいるのも怖くてたまらなくなったんだ」

ラットはイェーゴーに心の傷を見せた。そこにはまだ、艶かしい血液がだらだらと伝っているのだった。イェーゴーは頭を押さえた。視界がゆらゆら揺れだす。

しかし無理にでも、目の前のラットに焦点を合わせる。

「大丈夫ですよ」

 イェーゴーのふっくらした唇から、思ってもいない言葉がポロポロ溢れていく。

「あなたは何も悪くない。そうでしょう?」

 ラットは顔を赤らめる。その目に涙が溜まっていくのを見て、イェーゴーは「いいなぁ」と思った。

 自分も誰かにそんなことを言われてみたい。イェーゴーはそう思う自分を止められなかった。

 やがて何度もありがとうと繰り返しながら、ラットが音楽室を後にした。


 イェーゴーは、全てを理解した。

 ラットに優しくしたいと思ったのも、ラットが現れてから自分の中の加虐性が再び甦ったのも、全てはラットが、

「私と同じだったから」


 なぜ自分がラットに執着していたのか、それは優しさなどではなく、ラットの中に、自分の匂いを察知していたから。 

 自分に似ていたから、自分が救われたがっていたから、結局は全部自分のため。

 化け物の自分に、優しさなどもう残っているはずがない。


 不気味な笑い声がピアノに反響した。世の中の狂気を煮詰めたような声だった。

「もはや私の中に、優しさなどない・・・!」


 ならば、このまま任せてしまっても良いのではないか、欲望に。

 悪魔がイェーゴーの背中に手をかける。


 あの小さな少年を今度こそ自分のものにしよう。

 それが人で無くなった哀れなストライダー・イェーゴーへの手向けにもなろう。

「らっとをころそう」

 虚を見上げて呟かれたイェーゴーの言葉を、誰一人知る者はいなかった。















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