番外地1:ミディンロー家の秘画廊

 燭台の灯りだけが頼りだった。

 僕の手を引く使用人の腕ですら、蝋燭に照らされなければ、そこにあるのかさえ疑がってしまう。真夜中の廊下はいつもと様子が違い、より長く、足早な靴音さえ吸い込むほど空間が拡張されたようだった。

 果たして自分がこんな夜中のいつに起きたのか、どうして使用人に連れられているのかもわからない。夜中に無断で部屋を出たことを先ミノア卿に知られたら、どれだけの雷が落ちるか、わかったものではないというのに。

 外の空気は、僕の体に毒なのだから。

 散々逡巡した挙句、不安を吐露しようかと思った頃、僕を連れる使用人は、ある部屋の前で立ち止まった。

「ここ、って……」

 生まれてこの方、僕はミディンロー子爵家の屋敷の外に出たことがない。

 少し古ぼけているが、爵位に過ぎた屋敷である。広ければ部屋も多い。それもこれも、父祖の盟友たる先ミノア侯爵の後見があってのことだろう。木製、両開き、飾り気はないが質実剛健な鍵付きノブ、似たり寄ったりの扉ばかりで、見取り図がなければ迷いそうな、立派な屋敷である。

 だが、この部屋だけは迷いようがなかった。

 木製、両開き、飾り気はないが質実剛健な鍵付きノブは常に閉ざされ、その上、鎖に巻かれて錠前までかけてある部屋など、ミディンローの屋敷に一部屋しかない。

 いわゆる、開かずの間。

 先ミノア卿によれば、画廊ないし宝物庫だという。叙爵前の初代ミディンロー子爵が天魔千年戦争にて血を吸わせた品々、未だ怨念を宿す曰く付きばかりのため、封印しているらしい。

「旦那様。外出はお体に障るなどという戯言、ご本心ではお疑いでございますね」

 ドキッと、心臓が跳ねた。

 外への好奇心が抑えられず、こっそり屋敷の庭へ出たことがあった。

 ささやかな花壇と庭木の緑。僅かに萎び、薄汚れて、見過ごせる程度の手抜きがあったものの、人の手の届かない空は、本に描かれるよりも尚青い。秘密の散策は、新鮮な心地がした。

 体調は崩した。だがそれは、先ミノア卿に大目玉を食らった気疲れが原因だと思う。一身に浴びた陽光は、あんなにも温もりだけを残していたのだから。

 その日から、自分は、本当は病気ではないかもしれないと、疑いを抱くようになった。

 外出を禁じられるのも、家の外の者との面会を制限させられるのも、何か別の理由があるのではないか、と。

「かねてよりお求めの解、御身に流れる血の宿命はこちらにございます」

 そんなの、わかったものじゃない。

「……お疑いですか。しかし、ご自身の処遇には疑問を覚えていらっしゃるご様子」

 後見人の先ミノア卿が、良い歳の僕を社交界にお披露目なされない理由。

 どころか、屋敷の外に出ることすら許されない理由。

 僕は健康であるにもかかわらず、医者や魔術師が代わる代わるやって来る理由。

 医者や魔術師を除き、この屋敷が女人禁制で、先ミノア夫人すら踏み入れない理由。

 使用人が、断りなく僕の胸中を詳らかにする。

 開かずの間の話題は、ただでさえ口数の少ない先ミノア卿があからさまに避けて嫌う。一介の使用人に打ち明けるなど、とても信じ難いことだった。

 なのに。

「旦那様の何が、他のヒューマンと違うのか。……お考えになられたことはございませんか?」

 なのに、使用人の言葉は、これまでかけられたどんな言葉よりも、僕に寄り添っている気がした。

 使用人は入室を恭しく促している。

 僕は、いつの間にか床に落ちていた錠前と鎖を踏み越えて、手にかけたドアノブの軽さを気にも留めず、室内へ踏み入った。

 埃っぽい空気を払い、部屋の闇を燭台が食い破る。

 ワイン色のビロードを被せた六基の展示台が、真っ先に出迎える。その上に鎮座する物が燭台に照らされ、闇から六つの白い影が浮かび上がった。

「……!」

 怖気に身が縮まる。

 光が暴いたのは、六つの石膏製の仮面である。

 どの仮面も表情は違えど、男女の別がつかないほど干乾びた様相を模り、目は落ち窪み、口がめくれ上がって歯を剥き出している。さながら、おぞましい手段で弑された者のミイラの首を晒すがの如き形相を呈している。

「開かずの間、秘画廊の秘密……これ、……これは……」

「ミディンロー子爵家、そのお歴々がご逝去された直後、そのご尊顔が損なわれぬ内に取る、後世に残すための顔型。いわゆる、デスマスクにございます」

「デス、マスク……? 逝去直後……? 死んですぐ、って、そんな、でもこんな……!」

 腐らせず、損なわせず、干乾びるまで死後何ヶ月も処置し、徹底的に無惨に仕上げてから型を取ったとしか思えない、製作者の悪意すら滲み出る死相。先祖の死の冒涜を陳列しているとしか思えないこれが、そのようなものであるはずがない。

 僕の狼狽に構わず、使用人は続けた。

 左より、悪魔の叫びのような表情は天魔千年戦争の英雄、僕の曽祖父に当たる初代当主、コンスタンティン・ミディンロー。力尽きたのはその妻、アモラ。悲嘆する二代目、ローレンシア。恍惚とするその夫、バイス。

 噛みしめる三代目、ミドラーシュ。穏やかなるその妻、ニア。

 僕が産まれた時には、この世を去っていた両親。

「ミディンローは愛欲に焼け溶ける。その恋は炎のように燃え盛り、灯蛾の如く苛烈に幕を閉じていらっしゃいました。いずれのご当主様も、運命的なご好配と出会い、男系は伴侶にお種を恵まれた際に、女系はご出産と同時に、ご逝去されるのです。ご覧の通り、まるで生気を根こそぎ吸われたように」

 使用人の言葉は、これまでかけられたどんな言葉よりも、真実だと思った。

 だからこそ、息を引き取って久しい先祖の死相、その凄惨な、ありうべからざる有様が、悪夢のように迫る。前後不覚の眩みに苛まれながら、目の前を回るように舞う石膏のデスマスクが襲いかかる。

 あるいは、僕が目を回しているだけだったならと、願わずにはいられない。

 今でも、この時の体験の真偽は曖昧なままだ。

「旦那様。ミディンローの者は、旦那様は、子を成すと旦那様の命を落とされる旦那様なのです、旦那」

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