第5話

そして次の日、俺は病院に来ていた。

受付で名前を告げ、待合室の椅子に腰掛ける。

「お待たせしました。五番診察室にお入りください」

看護師に案内され、部屋に入る。するとそこには医師がいた。

「こんにちは。今日はどうされたんですか?」

「実は、昨日のことで話がしたくて来ました」

「わかりました。では早速ですが、ワクチンを打たれますか?」

「はい」

そう答えると、すぐに注射の準備に取り掛かった。

「腕を出してもらってもいいですか?」

「はい」

俺は左腕を差し出した。

「少しチクっとしますよ」

そう言われ、腕に痛みが走った。だが、思ったほどではなかった。

「終わりましたよ。これで大丈夫なので、数日安静にしていれば問題ありません」

「ありがとうございます」

そう言って俺は席を立ち、「それじゃあ失礼します」と言ってその場を去った。

その後、家に帰りながら考えた。

(俺の選択は正しかったんだろうか)

いくら考えても答えが出ないまま家に到着した。玄関を開けると、リビングから母さんが出てきた。

「あら、早かったじゃない」

「まあな」

俺の様子を見た母さんは何かあったのか察したようで、俺に話しかけてきた。

「とりあえず座ってゆっくり話しましょう」

「ああ」

そうして俺はソファーに座り、母さんは向かい側のソファーに腰掛けた。

「一体何があったの?」

「実は――」

俺は母さんに全てを話した。

「なるほどね。あなたも色々大変な思いをしてきたのね」

「でも、結局俺は何もできなかった。あいつを助けられなかった……!」

そう言って悔しさを滲ませていると、突然抱きしめられた。

「ごめんなさいね……。私にはこんなことしかできないから……」

母さんの優しさに触れ、自然と涙が流れた。

「うぅっ……ぐすっ。ありがとな……」

俺はしばらく母さんの腕の中で泣いた。

それからしばらくして、俺は落ち着きを取り戻した。

「母さん、迷惑かけてごめん」

「いいのよ。それよりも今はあなたの体を治すことだけを考えなさい」

「ああ、わかった」

そう返事をして、俺は自分の部屋に戻った。ベッドの上で横になりながらスマホをいじっていると、電話がかかってきた。相手を確認すると、『佐々木』の文字が表示されていた。

一瞬出るかどうか迷ったが、意を決して通話ボタンを押した。

「もしもし」

「よう、久しぶりだな」

「そうだな」

「体調はもういいのか?」

「なんとかな」

「そりゃよかったよ」

沈黙が流れる。正直何を言えばいいかわからなかった。

「お前さ、今どこにいるんだ? もう帰ったのか?」

「いや、まだ家にいるよ」

「じゃあさ、ちょっと会わないか?」

「え?」

「なんか話したいことがあるんだ」

「別に構わないけど」

「ほんとか!? よし、ならすぐ行くわ」

そう言い残して彼は一方的に電話を切った。相変わらずの強引な奴だ。仕方なく俺は支度を始めた。着替えて、財布を持って、後は携帯か。準備を終えて十分くらい経った頃、家のインターホンが鳴った。

ドアを開けると、そこには制服姿の彼が立っていた。

「よお! 元気だったか?」

「一応な」

そう言って彼を中に招き入れた。そしてテーブルを挟んで対面するように座る。

「それで、話ってなんだ?」

「それは――」

俺は彼に全てを話した。

「そんなことがあったのか……」

「まあな」

再び沈黙が流れる。今度は彼から口を開いた。

「でも、ワクチンを打ったら記憶が無くなるなんて本当なのか?」

「ああ、間違いない」

「そっか……」

またも会話が途切れた。

すると突然、彼の顔つきが変わった。そして真剣な表情でこちらを見つめてくる。

「なあ、もし俺がワクチンを打ってくれって言ったらどうする?」

「は?」

あまりにも唐突な質問だったのでつい聞き返してしまった。

「だから、俺がワクチンを打ちたいって言ったらどうするか聞いてんだよ」

「なんでだよ?」

そう聞くと、彼は一度深呼吸をし、まっすぐ見据えてきた。

「俺、お前のことが好きみたいだ」

「……」

言葉が出てこなかった。いや、正確には驚きすぎて声も出せなかったのだ。

「でも俺はお前の記憶を失いたくない。それに、この気持ちを伝えたいっていう思いもある」

そこで一旦言葉を区切り、続けてこう言った。

「俺はワクチンを打つつもりはない。たとえどんな結果になっても後悔はしない」

「なんでそこまでできるんだ?」

「俺だって男だし、好きな人を守りたいという願望はある。もちろんその人がお前だからこそできることでもある」

「そう……なのか」

「まあな。だから俺はこのままでいいと思ってる」

(俺も……俺も本当は……)

だが、心のどこかではわかっていた。

自分がどうすべきかを。

(俺はどうすればいいんだろう)

そう考えていると、彼は立ち上がり、玄関に向かって歩き出した。

「悪い、変なこと言って。忘れてくれ」

「おい待ってくれ!」

そう呼び止めるも、足を止めることなくそのまま出て行ってしまった。

俺はどうしたらいいかわからないまま、ただ立ち尽くしていた。

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