[前編] 絶対卑屈の高嶺の華

 銘治めいじ32年。極東の都……東京。


 推定人口180万を超える大都会を彩る和洋折衷の建造物とそこかしこに張り巡らされた電線が人々の暮らしを支え、今もなお変わり続ける国の中心地。


 その景観に溶け込む、めいじ館という名の洋風茶房で働く一人の青年は、ある日、客からこんな事を言われた。


「そういえば、店で働いてる子。この前、予選を突破してたね。おめでとう」


「え……?」


 青年は突然の話題に当惑する。


「あれ? ここで働いてる子じゃなかったっけ? 玉虫色のハイカラな髪の女の子」


 会話が成り立たなかった客人は、とある女性の特徴を口にしながら、ここの店員かどうか確認をしてきた。


国吉くによしですか?」


 青年が尋ねるとお客は肯定した。


「そうそう、その子が、東京府じんせんの予選突破したって話」


 カウンターに座る男の説明によると日本橋区にある勧工場かんこうばが集客のため東京の美女を決める大会を行う準備をしており、国吉くによし……もとい粟田口あわたぐち国吉くによしが、そのコンテストの参加権を手に入れたのだという。


「何かの間違いじゃないですか?」


 青年がそう思うのも無理もない。


 なぜなら彼女は……


  ※


「ノウマク サンマンダ バザラダン カン……ノウマク サンマンダ バザラダン カン……」


 店舗てんぽ併用へいよう住宅じゅうたくのめいじ館の一室から小咒しょうしゅを唱える声と木材を彫る音がドアから漏れて部屋の前にまで来ていた彼の耳に届く。


 この時点で、また何かあったのだろうと察しながらも青年は、入室の許可を貰うためにノックをした。


国吉くによし、ちょっと良いか」


 するとトビラの向こうから返事が来る。


「……少し待ってて、お不動さま、あとチョットで彫り終わるから……ノウマク サンマンダ バザラダン カン。ノウマク サンマンダ バザラダン カン……」


 彼女は不安な気持ちを落ち着かせたい時、決まってこの言葉を繰り返しながら不動明王を彫刻する。


 そうする事で真言しんごんと呼ばれるこれら呪文の効果をより強めることができるそうだ。


「…………終わったわ、もう入っても良いわよ」


 気弱な声で彼女は廊下で待機していた自分の主、聖十郎せいじゅうろうを中へと招き入れ、用事を聞く。


「それで、何かしら?」


「ん? ああ……」


 聖十郎せいじゅうろうは、国吉くによしの自室内にある木彫りの不動尊の多さに気を取られながら質問をした。


「なあ国吉くによし。最近、何か不安に感じてることでもあるのか?」


「…………どういう意味? 確かにお不動さまを彫ってたけど、いつも通りだと思うのだけど」


 特に深い意図は無かったのだが、目の前の美人は眉を寄せながら言葉を続ける。


「でも、そうね……しいて言えば、最近、街を歩いてるとやたら視線を感じるような気がするかしら……きっと、みんな、あたしを見てカメムシみたいな女だってわらってるんだわ」


 こう言っている本人の容姿だが、控えめに見ても肉感的で、薄桜うすざくら色の肌にはハリがあって若々しく、髪と瞳は色彩豊かな美しさをそなえており、くだんじんせんの予選突破も頷ける美貌であった。


 しかし、この事実を素直に認めることは無いだろう。


 彼女は……。


「いいえ、カメムシと同列だなんておこがましいわ……あたしなんてソレ以下の存在よ」


 卑屈だ。


 どこまでも自らをいやしめ、自信を持たないことで不意に訪れる痛みや不測の事態を避ける処世術。


 とてもじゃないが自分から美女だと喧伝して回るようなことをするとは思えない性格だが聖十郎せいじゅうろうは、一つ聞いてみることにした。


「だけど国吉くによしじんせんの予選を突破したんだろ? なら、もっと自信を持っても良いんじゃないか」


 そう言った瞬間。国吉くによしは青と赤のバイカラーサファイアのようなキレイな瞳を小さくし、口を開けたまま固まった。


「なに言ってるのッ??! あたしが美人ッ?! ありえないでしょ!!!」


 硬直が溶けると彼女は動揺しながら自分にとって都合の良い解釈を全力で排除して最悪のみを想定し始める。


「まさか、あたしをぬか喜びさせた後で嘲笑あざわらうつもりじゃ!!」


「いや、全くそんな気はないが……」


「じゃあ、目的はなんなのよッ!?」


 そこでようやく、青年は昼時に客から聞いたことを彼女に伝え、ここに来た理由を話す。


「なによソレ……初耳だし、身に覚えもないのだけど」


 やっぱり、そうか。と聖十郎せいじゅうろうは思いつつも言葉にしないようにした。


「もしかして、誰かがあたしを東京中の笑いものにする為にこんなことをしたんじゃ?!」


「ソレはない」


 青年はアッサリ否定する。


「どうして言い切れるのよ!」


 粟田口あわたぐち国吉くによしは不安に囚われているが、仮に悪意のある行為だとしたら、やり口が回りくどすぎると彼は説明した。


「結果から見れば予選を勝ち抜き、一つの喜ばしい事態になっている。相手をおとしめる手段としては不適当と言わざる得ないだろう」


「わからないわよ。上げてから落とすつもりかもしれないじゃない」


「だとしたら不確実な方法とは思わないか?」


「確かに……あなた言う通り杜撰ずさんな計画だわ……」


 国吉くによしは、とりあえず納得すると……。


「ッ⁉。もしかして、大会の主催者が黒幕なんじゃ?!」


 再度、疑い出した。


「考えだしたらキリがないな……」


「少なくとも、犯人を見つける必要はあるわね……野放しにしておいたら次にどんなことをしですかわからないもの」


 まぁ被害はなくとも本人が嫌がっている以上は止めるべきであろう。


「わかった。俺も気になるし協力するよ……でも、その前に」


 男は床に散らばった木クズへと視線を落とす。


「掃除をしてからだな」


「……そうね」


  ※


 片付けを済ませると二人はまず、例のじんせんについて身内がなにか知っていないかと考え聞き込みをして回り……


「う~ん……思い当たるフシはないかな~」


 幾度も同じような回答を同居人たちから貰った。


「ごめんね。お役にたてなくて」


「いや、ありがとう鳴狐なきぎつね


 ここまで、なんの手がかりも得られなかったが、青年は逆ボブ白髪の女性……もとい鳴狐なきぎつねに感謝の言葉を贈る。


「この調子じゃ、大会を主催してるっていう勧工場かんこうばに直接、行って聞いた方が早いんじゃないかしら」


「そうだな」


 国吉くによしが次の行動を提案すると聖十郎せいじゅうろうは賛同した。


勧工場かんこうばに行くの? いいな~。あたしも行きたい」


「遊びに行くわけじゃないのよ……」


 鳴狐なきぎつねが目の前の会話に食いつくと国吉くによしは釘を刺す。


「じゃあ、犯人捜しを手伝うなら、ついていっても良い?」


「…………なら、構わないわ」


 明るい彼女からの申し出に断る理由も考えつかなかったので国吉くによしは了承した。


「でも、危なくなったら、あたしのことは放って置いてでも逃げてね!」


 それでも最悪を想定して、どこかズレた気遣いをしてくる姿に眉をハの字にしながら鳴狐なきぎつねは優しく微笑む。


「も~、そうなっても、ちゃんと助けてあげるのに。国吉くによしは心配性だな~」


「そもそも、そんな危険なことにはならないだろ……」


 聖十郎せいじゅうろうは思わず突っ込みながらも二人と共に勧工場かんこうばへと向かうことにした。


  ※


 店舗に市場。そして倉庫が軒を連ねる東京で最も巨大な繁華街。日本橋。


 その一角に存在する勧工場かんこうばと呼ばれる大型小売業共同店に三人は足を踏み入れていた。


「うわ~、すごい。すごい。服に化粧品と鏡台。いろんな品が置いてあるね~」


 鳴狐なきぎつねは店内を見て回るだけでウキウキと楽しそうにする。


 一般的に小売業というものは顧客が買いたい物を頼んで店員が注文品を持ってくるという座売り式が普通であるのに対し、勧工場かんこうばは品物を通路の左右に並べ、客は歩きながら商品を選べる陳列方式で販売を行っている。


 さらに土足のまま入店できて気軽に店の中を巡ることができたので非常に活気のある場所となっていた。


「ねぇ、なんか、いろんな所から視線を感じるのだけれども……」


 国吉くによしは居心地悪そうにしながらも、自分の勘違いでないかを確認するように聞いてきたので聖十郎せいじゅうろうがその疑問に答えた。


じんせんの出場者は写真が貼り出されてるそうだから、それのせいだろな」


「……ッ⁉ そんなの聞いてないわよ!」


 粟田口あわたぐち国吉くによしは赤面して声を出す。


「悪い……」


「ちがっ……! アナタを責めたかったワケじゃないの……ごめんなさい……」


 思わず彼が謝ると国吉くによしは慌てて自分の間違いを訂正し謝罪する。


「目立つのがイヤなの?」


 鳴狐なきぎつねは疑問の顔をしながら聞いた。


「だって……みんな、あたしが美女を自称してる勘違い女だって思ってるんでしょ……?」


「そうかな~?」


「決まってるわ。滑稽な奴だって腹の内で笑ってるのよ!」


 国吉くによしは後ろ向きな自信を持って断言する。


「うう~ん。そこで思い込んじゃうのは、どうかな~……って、あたしは思うんだけど……」


 暗に、悪く考える必要はないんだよ。と、伝えるも彼女のゆうが晴れることはなかった。


「あっ。アレ」


 練り歩く最中に鳴狐なきぎつねが沢山の写真が貼られた壁を見つけ指を指す。


「もしかして、さっき話してた予選突破した人たちの一覧じゃないかな?」


 近づいて確認しに行くと鳴狐なきぎつねの予想通り本選参加資格を得た女性たちを発表したものだった。


「え~っと、国吉くによしはドコかな~」


「なんか、探されると恥ずかしいのだけれども……」


 一枚一枚、見ていく鳴狐なきぎつね国吉くによしは、こそばゆくなる。


「お、あった。あった……って、あれ?」


 発見すると彼女は、直ぐにおかしい点に気づく。


久仁くに よし……さん?」


 モノクロの国吉くによしの下に書かれた名は同音で字だけ異なっている。


「あたしに似た名前のソックリさん……なワケないわよね」


「……もう少し、詳しく調べてみるとしようか」


 聖十郎せいじゅろうは少し考えた後、店員を見つけ、詳細を聞くことにした。


  ※


 三人が早速、従業員に話かけると店の奥の応接室へと案内され責任者が丁寧な態度でやって来た。


「お待たせいたしました。お客さま。本日はご来店ありがとうざいます。それで、お話というのは……おや?」


 そこで男性は国吉くによしに気づいて声をかける。


「そちらのかたは、確かじんせんに参加いただけるご婦人ではありませんか?」


「ええ、実はその件についてお聞きしたいことがありまして……」


 聖十郎せいじゅうろうは一通りの事情を説明し、写真を送付したのが誰か確認したいむねを伝えた。


「そうでしたか、直ぐに確かめて参りますので少々、お待ちください」


 男が申し出に応えてから数分後。かしこまった態度で彼らのもとに戻ってくる。


「申し訳ありません。お客さま。送られてきた封筒なのですが差出人の住所とお名前が書かれておりませんでした」


 持ってこられた便箋を受け取って実際に調べてみても確かに送り主について何も書かれていない。


「まあ、当然、簡単に尻尾を掴ませちゃくれないわよね」


 さもあらんとする国吉くによしを横目に聖十郎せいじゅうろうは捜査協力して貰ったことに感謝を述べて帰ろうとすると引き留めるように男性が聞いてきた。


「ところで出場の方はどうするんでしょうか?」


「辞退するわ」


 国吉くによしはスパッと言い切る。


「あの……たいへん差し出がましいのですが……できれば出て頂けないでしょうか……?」


「どおして?」


 一同に疑問を持つ中、鳴狐なきぎつねは質問した。


「ここだけの話ですが、最近は売り上げが悪くて……」


「こんなに沢山お客さんが居るのにッ⁉」


 まだ、話の途中だったが、あまりの出だしに驚いて鳴狐なきぎつねは声を上げてしまう。


「はい……実は勧工場かんこうばへの来店者は多いんですが、見て行くだけで買い物をしてくれる人は結構、少ないんですよ」


 その上、せい乱造らんぞうの安物を扱う勧工場かんこうばも増えてきて『安かろう、悪かろう』の印象を持たれ始め、益々、売れ行きがかんばしくないと言う。


「そこで売り上げを伸ばすために東京府じんせんを開こうとなったワケです。なんでも、浅草の凌雲閣りょううんかくも百美人というもようしで稼ぎを増やしたそうで」


「でも、浅草のは入場料で儲けていましたが、ココではそうはいかないのでは?」


主殿あるじどの凌雲閣りょううんかくに登ったことあるの!?」


「ん? ああ」


 鳴狐なきぎつね主殿あるじどのと呼ばれた聖十郎せいじゅうろうは、思わぬ反応に戸惑いながらも短い返事をした。


「ふ~ん……美女を見に?」


「写真だったけどな」


「そっかー…………」


 ……………………。


 えっ? なんだ、この空気。俺が悪いのか?


 心なしか国吉くによしも落ち込んだ雰囲気があり、言葉にできない圧のようなものを聖十郎せいじゅうろうは感じさせられていた。


「あ、あの……さっきの話ですが、良ければ続きを……」


 彼は逃げるように折れた腰を戻そうとする。


「ええっと……わたくし達が開催する大会は観客による投票制で順位を決める形で行い、そこで重要となる投票券を店の商品を一定額まで買ってくれたかたにだけにお渡しすることで収益に繋げようと考えています」


 なので、より集客を図るためにキレイな女性が一人でも多く参加して欲しいのが店側の本音であった。


「なるほど~……」


 機嫌を直したワケではないが関心を移して話を聞いていた鳴狐なきぎつねは納得した様子で言う。


「ねぇ、国吉くによし。出場して上げても良いんじゃないかな~?」


 同情から気が変わったかもしれないと思い鳴狐なきぎつねは彼女の意志を訊ねると。


「無理」


 絶対に出ないと即答された……。


  ※


「結局、手がかりはなかったね」


 帰路を歩きながらガッカリとした様子で鳴狐なきぎつねは話すが聖十郎せいじゅうろうは「そうでもない」と答え、疑問に感じていたことを確認する。


国吉くによし、あの壁に貼られていたものは、いつ撮った?」


「……記憶にないわ」


 彼に質問され思い出すも覚えがない。


「にも関わず撮影されている。しかも、あの写真は正面から写っていなかった。と言うことは……」


「盗撮……ってこと?」


 聖十郎せいじゅうろうが言い切るよりも先に鳴狐なきぎつねが続きを言葉にした。


「ああ、まず間違いないだろう」


 そして、同じ、めいじ館に暮らす者なら、あんな名前の間違い方をしないだろうし、盗み撮りなんて、わざわざしなくても良いハズだと彼は答えた。


「いいえ、まだ、外部犯だと決めつけるには早いわ。勝手に応募するために隠し撮りしたかもしれないじゃない」


 確かに、完全にありえないと言い切るのは難しい。


「だけど、疑いの低さはそのまま捜査の優先順位に繋がるからソレだけでも収穫だ」


 聖十郎せいじゅうろう国吉くによしの意見を全て否定しない形で話を治めると今度は、鳴狐なきぎつねが彼に問いかけてきた。


「ところで、どうやって盗撮犯を見つけるの?」


 内部犯の可能性が高くない事がわかっただけでは意味がない。


 ならば、この先、どうするのか? 彼は回答する。

 

「まずは、盗撮向きのこう時間の短いロールフィルムを使用できるカメラの購入者を調べていく。その後に国吉くによしの行動範囲内周辺でカメラを所持している人を調べて行けば犯人へとたどり着くはずだ」


 聖十郎せいじゅうろうが具体的な先行きを語り終えると鳴狐なきぎつねは目を丸くして感嘆する。


「おお~。すごい! すごい! 主殿あるじどの!! じゃあ、今から、その調査を始めていくんだね」


 細い糸を手繰たぐり寄せて真実を掴み取ることを想像すると鳴狐なきぎつねは不思議と高揚感が上がった。


 しかし。


「残念だけど、一度、帰る必要があるわよ」


 そこで国吉くによしが冷や水を浴びせるように言う。


「あー……」


 彼女は冷静になると聖十郎せいじゅうろうが両手に持っていた薪の束へ視線が行った。


「すまん。買わずに店を出るのが気が引けてしまったせいで……」


 さっきまでのキレのある雰囲気は失い、どこか格好のつかない姿で彼は目を逸らし、三人と共に帰っていくのだった……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る