Believe 1992

松本きより

第1話 満月

僕たちの時間は《夜》流れていく。

僕たちは暗闇に安心し、真夜中に考える。

自分自身のこと。

友達のこと。

今日起きた身の回りのできごとや、僕をとり巻く小さな世界のこと。

そして僕たちは《真実》について考える。

何が本当で、何が嘘なのか…。

僕たちはいつだって本当のことを知りたいだけなんだ。



[一]満月


 マンションの前のコンクリの道路で、僕は2週間前から始めたスケートボードの練習をしていた。もう夜中の1時を回っているから人通りはなく、ボードのウィールがコンクリに擦れてゴロゴロいう音だけがやけに大きく響いている。

 

 今日は満月だ。いや、正確には十五夜を2日くらい過ぎるているのかもしれない。17日目だったかな。まん丸に見えても、実は肉眼ではわからないくらい、ほんの少しだけ欠けている。でも、そんなことはどうでもいい。今見ている月が、僕にとって満月だと思えることの方が大事だ。無理やり?ちがう違う!ポジティブ思考。


「綺麗だなあ」

声に出してしまうほど、今日の月は美しい輪郭をしている。雲は見えない。僕はスケボーの練習そっちのけで、夜空をうっとりと見上げていた。

 

 僕は、満月から音もなく降り注がれるエネルギーを感じていた。エネルギーのシャワーを全身に浴びる為、メイン通りから1本奥に入った路地の間にあるいずれマンションでも建つであろう40坪ばかりの空き地へスケボーを転がして向かってみた。


 空地から見上げた月も、やっぱり満月だ。僕が信じている《パワー・オブ・ムーン》は、流れ星や虹やUFOを見た時に誰もがラッキーと思うのと似た感覚。それによって何かいいことが起きたというわけではないが、いいことが起こりそうな予感っていうのは占いの結果が良かった時みたいに嬉しい。

 

 僕が満月を特別な気持ちで見るようになったきっかけは、1年程前に仕事でインタビューした女性アーティストの一言からだ。ミュージック界の女王と呼ばれるその女性は、毎年ミリオンセラーを記録するアルバムをリリースして常に頂点に立ち、音楽にとどまらず、ファッションや発言にも注目が集まるアイコンだ。


 インタビューは都内ホテルのスイートルームで行われた。

テロッとした上品なデザインの白いシャツとパンツを組み合わせた洗練されたルックのその人は、北欧テイストのソファーに深々と体を沈めながら、満月の時の月と地球の関係から、月が神秘的で特別なパワーを放つと話した。科学的な根拠はわからない。しかし、ヒット曲を生み出している自信に裏打ちされたオーラ。圧倒的な説得力があった。


 さらに彼女はこう言った。

「満月を全身に浴びる為に、自宅の屋上にジャグジー風呂を作ったのよ」


 すごいな。僕は満月を見る度に、彼女の言葉を思い出していた。ジャグジー風呂に浸かりながら満月を見れたらどんなにか気持ちがいいだろうといろいろ想像もしてみた。


 その時の状況を、できるだけ冷静に思い出し、俯瞰で整理してみるのだが、駆け出しの音楽ライターの僕にとって、そのアーティストのインタビューが出来ること自体、大チャンスなのだ。僕は特別アガってはいなかったと思う。相手の雰囲気に飲み込まれないように、取材の予習も万全で出かけた。


 でも、あの時の情景が…、室内の少し乾いた張り詰めた空気、テーブルの上の紅茶、低音だけど聞き取りやすい彼女の声などと一緒に、ゆっくりと映像となって僕の頭の中にシーンが蘇って来る時、同時にその時味わった、手も足も出なかったという敗北感が襲ってくる。

 

 僕が悩みぬいて作った質問に答える彼女の目は、気を許していない鋭さがあった。

僕はなんだか正面から目を見る勇気が出せず、彼女を包み込むオーラはその空間に於いて「絶対」だった。まだ20数年しか生きていない僕は、10年以上長く生きてきたその人の前では、ただの経験不足のつまんない男の子で、悔しいことに、スケールがダンチなのだ。

 

 今だったら、「それが? 目に見えるものが全てじゃないでしょ」なんて生意気に言えるけど、あの時の僕は情けないことに、《ひたすら自信に満ちている人》が怖かった。ヒット曲を次々に生み出し、多くの人が歌を口ずさむ。リスペクトはもう当たり前で、結果を世に示している人の言葉は、心の深いところまで重く響いた。


 日頃から、「どんなに努力したって、結果に反映されないってことは結局無駄なんだよ。一生懸命やったって、締め切りに間に合わなかったら原稿は載らないんだから」と言っている僕にとって、その人の輝かしい栄光が眩しすぎた。


 でも、ちょっと待って! 彼女の歌すべてに共感しているわけじゃないよ。ちょっと作為的に感じる言葉使いが冷たく距離を感じることもある。ジェラシーか?おこがましいな。


 人間として積み重ねてきた経験値が全く追いついていないのに、なんか舐められたくないって、対等に話そうと自分を大きく見せるために背伸びしている自分が、やけにちっぽけだった。僕の考えていること全てが見透かされているようで、悪いことをしているわけじゃないのに、妙にビクついていた。


 結局、僕はひとり空回りする負け犬だった。はぁ~ダサすぎる。


今はまだ無名でも、カッコいい音楽を作ってるアーティストはたくさんいる。全ての人間が彼女の音楽を絶賛してるわけじゃない。

「それが?」

思わず出た自分の声が大きくて驚いた。

満月が聞いているだけだ。


 どこか矛盾していることもモチロンわかっているつもりだ。音楽を全て認めてるわけじゃないと思いながら、その人の語った《パワー・オブ・ムーン》についてだけは、何のためらいもなく受け入れているのだから。


何故だろう。

月だけは真実なんじゃないかという直感。満月がもたらす神秘性もなんだかんだで好きみたいだ。理由はわからない。わからないけど好きってことこそ、結構本質のような気がする。


「負けたわけじゃねーから!」

僕は左足をボードの上に置き、右足で勢いよくコンクリの地面を蹴った。



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