008.いつかはきっと


「おにいちゃ~んっ! なんで受け取ってくれないの~!?」

「そりゃあんな大金受け取れるわけ……! ほらっ、いくよっ!」

「も~! お兄ちゃんってば~!!」


 土曜日という休日のとある午前中。

 俺は突然やってきた妹分とともに街へ繰り出し必要なものの買い出しなどを行っていた。


 先々前を歩く俺とその後ろを少し小走りも交えながらついてくるずいちゃん。

 その言い争いは喧嘩をしているようでもあったが、今回ばかりは仕方ない。


 突然彼女から手渡された、8桁の数字が記載された通帳。

 たかが通帳。されど通帳。その額の重さは社会人となった俺にとって痛いほどよく分かった。

 確かに渡しておけって通帳を手渡された時点では同居人が増えるのだから5桁程度入ってるのかなと思っていたが、文字通り桁が違う。

 通帳自体はとりあえず手元に置いておくのが怖いから銀行に預けてきた。あんな取り扱いに困るもの、今度実家に帰って叩きつけてやらなきゃ。


「今日買う家具だってタダじゃないんだから~! お兄ちゃんだって手持ち多くないでしょ? ねっ!」

「それでも今回買う分には困らないから! アレはやりすぎだって!」


 社会人となってはや数年。

 ほぼほぼ無趣味、家では毎回スマホで動画やSNSを見て一日を過ごす俺はお金を使う機会が全くといっていいほどなかった。

 社会人1年目に調子乗って買ったゲームも今や物置部屋行き。もはや学生の時みたいなエネルギーが無いと悟った俺は一層家に引きこもり、毎日をただ浪費する日々を過ごしていた。

 もし彼女でもいたらそういう生活からは縁遠かっただろう。しかしそれはもしもの話。結局彼女どころか友人すらいない俺にイフの話をしても無意味だろう。


「……ずいちゃん、そもそもなんであんな額を? 渡される時おばさん何か言ってなかったの?」

「ママから受け取る時……? ん~っと、確か持参き…………ううんっ!”これから”お世話になるんだからしっかり渡しておきなさいって!!」

「…………」


 結局家で聞いた時と同じ文言か。

 つまりきっと本当にそれしか聞いていないんだろう。

 なんだかんだ、一度決めたことは曲げることのないのがずいちゃんだ。今回も引き下がることは無いだろう。となればどうすればいいか……


「……じゃあ、あのお金は俺が預かっておくから、必要な時にずいちゃんへ返す。これなら受け取ることにも相違ないし、それでいい?」

「うんっ! 必要になったらいつでも引き出して使っていいからねっ!」

「それはきっと無いと思うなぁ……」


 とりあえずの折衷案。問題の棚上げという伝家の宝刀を彼女も受け入れてくれたようだ。

 そうだよ、返却に応じないならこっちで預かっておけばいいんだ。銀行に投げておけば紛失する恐れもない。


 それでもし……もしずいちゃんに好きな人ができて、俺たちの元を離れる時にそのお金を渡せばいい。

 結婚すれば何かと入用だろう。決して今回のアレが無駄になることは無いはずだ。

 ずっと大切にしてたずいちゃんが離れるなんて寂しいことこの上ないが、ずいちゃんが選んだ人ならば涙を呑んで見送るしかないだろう。



「どうしたの? お兄ちゃん」

「…………えっ?」

「なんだかすっごく悲しそうにしてた。何かあったの?」


 いつの間にか俺が立ち止まり、後ろを付いてきていたずいちゃんが追いついていたようだ。

 少し前かがみになりながら俺を見上げてくるその表情は心配そのもの。きっと、見送ることの寂しさが顔にも出てしまったのだろう。


「いつかずいちゃんも誰かと結婚して俺の元を離れていくのかなって。 そう考えるとつい寂しくなってね」

「え~、なにそれっ。 あたしはずっとお兄ちゃんの側に居るよ。離れていくわけないじゃんっ!」


 少し顔が赤くなるのを感じながらもその寂しい気持ちを吐露すると、さっきまで心配そうな顔をしていた彼女が今度は一転嬉しそうな顔へ早変わりし、俺の腕へだきついてくる。

 手を絡ませながら腕を力いっぱい抱いてくるその表情は笑顔。俺の心配とは真逆の表情だ。


「でもずいちゃんだって、いつかは――――」

「お兄ちゃんの部屋、見せてもらったよ」


 ピッと。

 更に言葉を重ねようとした俺の口元に細い指が触れてきて言葉が続かなくなってしまう。

 彼女は一瞬だけ口元に触れたその指先をチョンと自らの唇に一瞬だけ当てながら昨日の事を告げてくる。


「お兄ちゃん、レンジばっかり使っててキッチン全然使ってなかったね。埃まみれだったよ」

「それは……料理する機会がなくって……」

「それにいつも決まったところの掃除ばっかりしてて大掃除なんてしてこなかったでしょっ!窓とかカビ生えてたよっ!」

「うっ…………!!」


 まさしく正論。完全に反論のしようがない。

 毎日同じことの繰り返し。それは仕事だけではなく、私生活でもルーティーン化してしまっていた。

 つまり休みになってもやることが決まっていて、大掃除なんていつもと違うことには手を出しづらくなる。それで放っておいたらカビも生えるってものだ。


「……やっぱり、お兄ちゃんの私生活はあたしが見てないと。ちゃんと自立するまでは離れていくことはできないねっ!」

「それは…………。いつまでたってもずいちゃんに甘えっぱなしで自立することができなさそうだな」

「あたしはそれでもいいよっ!お兄ちゃんのこと大好きだしっ!!」


 ギュウッと腕に抱く力を更に込めて伝わってくる、プニプニとした柔らかな感触。

 手の暖かさや柔らかさはさることながら、頬ずりしてくるその頬、その上自らの胸の間に挟むものだからその感触がダイレクトに伝わってきて自然と耳まで赤くなるのを感じる。


「どうしたの~? そんなに顔赤くしちゃって~」

「クッ…………!」


 ニヤニヤと見上げながら聞いてくるさまは、明らかに自分が何をしているか自覚しているようだった。

 でもずいちゃんだって俺ほどじゃないけど頬周りが赤い。きっと自らも恥ずかしさを感じているのだろう。そこを指摘すれば彼女もきっと離れてくれるはず……!


「…………あ~。ほら、そういえばお風呂とかキッチンとか、色々掃除してくれてたじゃん。すっごく嬉しかったけどその道具も買おうかなって」


 ――――ヘタれてしまった。

 今の状況を指摘しようと思ったが、数年ぶりの彼女とのふれあいが嬉しくなって当初予定していた言葉と全く違う言葉を発してしまった。

 完全に話題のすり替え。下手すぎる話の逸し方。自らも中途半端で失敗したと思いながらチラリと彼女へ視線を送ると、一瞬だけポカンとした表情を見せてからは俺の心を呼んでくれたかのように自然と会話を合わせてくれる。


「確かに掃除道具は必要かも。 昨日は大変だったんだよ~!お兄ちゃん、部屋埃まみれでも気にしないんだからさぁ、アレじゃいつか喘息になっちゃうよ!」

「いつかはやろうと思ってたよ……うん」


 ホントに思ってたんだよ?

 明日やろう明日やろうって思ってたらいつの間にか平日になってるんだよね。うん、時の流れって不思議だ。


「む~! それ絶対やらないやつ~!」

「そっ……!それよりずいちゃん! よくあんなに掃除も料理もできるようになったね。俺がいた時は全くやってこなかったのに」


 俺と一緒にいた時はまだ小学生。

 影で練習してたかもだが、少なくとも俺がいる前でそれを披露することは一切なかった。

 だから久しぶりに会った時料理が並んでたのにも驚いたし、今でも彼女の母親が帰りがけに作ってくれたんじゃないかと思ったほどだ。


「もちろんっ! お兄ちゃんが就職してから頑張ったんだよっ!ママに教えてもらいながら勉強もせずに!」

「さすがに勉強はきちんとしよう!?」


 学生の本分がえらい優先順位に!?

 彼女の成績に戦々恐々としていると、不意に腕が引っ張られて気づけばずいちゃんが先導する形でグングンと道を進んでいく。


「ほらっ、そんなことよりお買い物でしょ! お兄ちゃん、今日もいっぱい楽しもうね!!」

「ちょっ……!ずいちゃん腕! 歩きにくいって!」

「えへへ~! し~らないっ!お兄ちゃんの腕が気持ちいいのが悪いんだも~ん!」


 一層背の低い彼女に引っ張られながら変な体勢で俺はその後を追っていく。

 けれどその表情が心底楽しそうで、仕方ないと思いつつそんな彼女のワガママを受け入れるのであった。





「…………ところでお兄ちゃん、目的地ってどこ?」

「えと……さっき通り過ぎたよ?」

「ウソ~!? 言ってよ~~!!」


 …………やっぱり、振り払ってでも俺が先導したほうがよかったかな?

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