007.早朝パニック


 いつもどおりの聞き慣れた機械音が、闇に沈んでいた意識を浮かび上がらせる。

 それは毎日決まった時間に鳴るよう設定された、スマホのアラーム音。

 ピピピピ……。と無機質な音が朝を告げ、寝ぼけ頭を動かしながら枕元に置いたスマホを探す。


 何度か手をまさぐってようやく触れたスマホのサイドボタンでけたましい音を消していくと、同時に凍えるような冷気が俺を襲う。

 掛け布団から出ている顔と腕。寝ている間に袖がまくれてしまったのか肌を晒しているそれらは、ベッドに隣接する窓から送られる冷気によってダイレクトヒットを喰らってしまった。

 一瞬のうちに掛け布団を持ち上げて籠もるように冷気をシャットアウトしつつスマホ横に置いていたリモコンでエアコンをサッと起動させる。


 現代人には太刀打ちできない冬の空気。それに対抗できるのは文明の利器だけだ。

 あとはエアコンが部屋を温めてくれるまでの十数分、こうやって布団の中でぬくぬく過ごせばいいと。


 一分の隙のない完璧な計画。

 ほら、布団の中はこんなにも温かい。特にお腹周りなんてまるで湯たんぽを入れたかのような暖かさが――――


「…………ん?」


 なんだか妙な感覚を覚えて眠りに再突入しようとした意識を再び叩き起こす。


 湯たんぽを入れたような暖かさ?

 残念ながら我が家にはそんな便利グッズなんて存在しない。買っても毎回お湯を沸かして入れる作業が面倒になって使わなくなることが目に見えているから。

 だから寝る時の暖といえば単純に布団と毛布だけだ。よっぽどな時はエアコンのタイマー機能を利用するが部屋が寒い時点でそれは無い。

 じゃあ何か、記憶が無いほど寝ぼけながら袋にお湯でも入れて自作の湯たんぽでも作ったのだろうか。そう思うほどの暖かさと柔らかさが俺の身体を温めている。


 そしていくつか候補を並べた暖かさの正体は、何気なくめくって見えた光景によって、予想はいとも簡単に崩れ去った。


「なっ……! ぁっ…………!えっ……!?」


 ありえもしない光景に、俺の判断能力と語彙力が遠い彼方へと吹き飛ばされ小さな言葉のみは発するだけに留めてしまう。


 布団の中にいたのは、腹部に手を回しながら穏やかに寝息を立てている一回り以上小さな少女だった。

 窓からの太陽光によって髪色がほんの少し茶色に輝かせ、腰辺りまで届くほどの髪を後ろでひとまとめにした女の子。

 眠っていてもわかるその整った顔立ちは可愛らしさを前面に押出し、俺の胸元に一層身体を引き寄せ幸せそうに破顔させる。


「えっ……俺……誘拐を…………!?」


 普段誰もいないはずの、一人暮らしの部屋に見知らぬ少女がいる。

 そこから導き出されるのは『誘拐』その二文字の言葉だった。


 ここ数日仕事が忙しく、毎日が同じことの繰り返しなことも相まって昨日具体的に何をしたかと言われても思い出せない。

 確か仕事は、忙しかった案件がようやく片付いて解放されたことだけは覚えている。もしかして、その開放された気持ちに合わせてやってはいけないことをやってしまったのではなかろうか。


 よくよく見ればまだ年端も行かぬ少女。10代……中学生くらいだろう。

 どんな経緯があったのか、なぜ一緒のベッドで寝ているのかさっぱり覚えていないが向こうに置いてきたあの子と同い年くらいの子を連れてくるなんて、もうあの子に顔向けできな――――


「ぇへへへ…………おにぃちゃ~ん…………」

「お兄ちゃんってだれ…………!? あっ――――」


 もしかしてこの子にも兄がいるのだろうかと、ふと漏れ出た寝言であろうそのつぶやきに、俺の記憶が一気に呼び起こされる。


 昨晩、仕事終わり、家に帰ったら少女の姿。

 家を出てからこっち、市販の弁当ばかりでマトモに自炊してこなかった俺の部屋に並べられた美味しそうなシチューと微笑みかけてくるあの子の顔。

 そうだ。そうだった。この子は…………


「ずいちゃん…………」


 記憶のないうちに誘拐したかと思われた抱きついているこの子は、向こうに置いてきた妹分のずいちゃんだった。

 家を出る時はまだ小学生だった彼女が成長し、高校生になってウチにやってきた大事な女の子。

 その可愛さにはより一層磨きがかかり、寒さも忘れて掛け布団をめくったままの状態にしていると段々と彼女の眉間にシワが寄っていく。


「んん……さむいぃ………。 ママぁ……毛布どこぉ?」


 毛布を求めているのか目をつむりながら手だけを動かしてまさぐっているも、ほとんどが俺の身体に当たって目的のものにたどり着くことができていない。

 次第にその腕は上昇していき、俺の顔にぶつかりそうになった段階でその腕を掴むと、彼女の瞳がゆっくりと半開きになってこちらを見上げてくる。


「ママ……?」

「おはよ。ずいちゃん」

「ふぇ…………おにいちゃ………。―――――!!お兄ちゃん!?なんで!?いつの間に帰って……キャッ!!」

「ずいちゃん!?」


 俺の顔を見て一瞬だけ寝ぼけた顔を見せたものの、ようやく存在に気づいたようだ。

 慌てて起き上がった彼女は飛び跳ねるように俺から距離をとり―――――落下した。

 ベッドはシングルサイズ。当然横幅はあまりなく、少し下がればフレームから落ちてしまう。


 彼女も距離をとったものの端までは把握していなかったのか、フレームから足を踏み外してそのままベッドの下へ。

 慌てて俺も上から覗き込んだが一緒に落ちた掛け布団がいい感じにクッションになったようで、その身に怪我をしたといった様子は見受けられない。


「あ……はははは。そういえばあたし、お兄ちゃんの家に来てたんだったね。びっくりしちゃったよ」

「俺も。朝起きたらずいちゃんがいてびっくりした。 大丈夫?」

「うんっ。 おはよ、おにいちゃん」

「……おはよ」


 そう言いながらこちらに伸ばされた手を掴み、ポスっと胸の内に収まる彼女を見て俺たちは互いに笑いあった。



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



「お兄ちゃん、今日はお買い物だっけ?どこいくの?」

「えっ? う~ん……」


 朝起きてから数十分。

 ようやく働いてくれていたエアコンの実力が遺憾なく発揮されてきたタイミングで、俺たちは朝ごはんとなっていた。

 テーブルに並べられるのはトーストされたパンとスクランブルエッグ。ここ5年以上菓子パンのみを食べてきた俺にとっては新鮮な朝食だ。

 

 そんな美味しい朝食を食べていると問われるのは今日の予定。そういえばベッドを買いに行くって昨日言ったな。

 ちなみに一人用のテーブルをシェアして食べているからだいぶ手狭。これも新しいものに買い替えないと。


「どうしたの?」

「いや、どの店にしようかなぁって。選択肢が多いのも考えものだ……」


 どうせ大きい家具なんだ。買った後は配達で荷物を気にすることもない。

 俺としては近所で十分間に合うのだがずいちゃんは年頃の女の子、色々な店を見て回りたいだろう。ならばどこに行くか、若い子が行って楽しい場所って……どこだ?


「あたしはお兄ちゃんが行きやすい場所でいいよ? 一緒に行ってくれるんでしょ?」

「え? あぁ、まぁ」

「ならお兄ちゃんが楽しめる場所でいいよっ! あたしは一緒にいるだけで満足だからっ!!」


 ずいっちゃんってば…………!

 その献身的な笑顔に俺の胸は打たれてしまう。いいや、それならやっぱりずいちゃんが楽しめる場所にしないとっ!せっかく来てくれたんだし!


「……あ、お兄ちゃん。 お買い物で思い出してたんだけど、1つ忘れてちゃってた」

「ん?」

「ママにお願いされてたの。 これからお兄ちゃんの家でお世話になるんだから渡しておきなさいって」


 そう告げてガサゴソと持ってきたキャリーケースからなにかを漁るずいちゃん。

 なんだろ。ちょっといいお菓子かな。だったらありがたい。今日のお茶請けにもできるし、イザという時の夜食にもなる。


「あったあった! はいこれ!」

「これって……」


 そう言って笑顔で渡されたのは一枚のカードと、一冊の薄くて小さい冊子だった。

 彼女も高校生。これが何なのかは分かっているはずだろう。俺は怪訝な表情を浮かべながらその冊子……通帳を開いていく。


「ママが”絶対に”、”何を言われようと”渡しなさいって! お兄ちゃん、これからよろしくねっ!!」

「――――――――」


 そう笑いかけてくれるが、ソレを見た俺には返事をする余裕なんてない。

 俺は通帳の最後に記帳された8桁の数字に、ただただ悲鳴を上げることしかできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る