#5:急変

 翌朝は、篠突く雨が降りしきっていた。

 子島側ロッジにて、早めに寝床から起き抜けた柳と棗は、出入り口前のひさしに身を潜めながら、スマホで連絡を取った。

 もちろん、相手は二人の父親、紫郎だった。

『なるほど。ホッケーマスクの怪人か』

 このとき、柳と棗はもちろん、紫郎も昨夜に母島で起きた北斎殺しの件はまだ知らない。柳としてもそんな事件が起きているなどと想像だにしていないし、ゆえに林檎と連絡を取ろうとも思わなかったのだ。

『柳の見た状況からして、犯人の可能性があるのは猫目石欠片だけということだな』

「ああ」

 つながったテレビ電話の向こう側で、起きたばかりで剃っていない無精髭を掻きながら、紫郎は考えるように少しずつ言葉を紡いでいく。

『だが、可能性は他にもまだ考えられる』

「そんな可能性あるか?」

『犯人が島に潜伏した第三者という可能性だ』

「どうだろうな……。小さい島だし、潜伏は難しいと思うけど」

『奈央さんの話だと島周囲は岩礁に囲まれているということだったが、例えば水没した洞窟などがあった場合はどうだろう』

「……ああ」

 紫郎の言わんとしていることは分かる。第三者が潜伏できないという推測は、島に隠れるところがなく、また上陸に母島の船着き場以外が使えないという前提から成り立っている。仮に島の近くに海中洞窟があり、それが島内部につながっていたとすれば、この前提は崩れる。犯人はいつでも島に出入りできることになるからだ。

「だけど……島の出入りに使えるかはともかく、洞窟の存在くらいは奈央さんや景清さんが知っているんじゃないのか? それこそキャンプ場を建設するときに島は調査しただろうし」

『案外知らないということもあるかもしれないぞ。元々、キャンプ場のオーナーは奈央さんの夫だ。キャンプ場建設に際し表立って活動していたのは夫の方だから、妻の方では知らないことがあるかもしれない』

「いずれにせよ、調べる必要はありそうだな……」

 部外者が犯人であるとそれはそれで面倒も多いが、少なくとも身内で疑いあう必要がないだけ気が楽になる。今はそっちの可能性を期待した方が精神衛生上よろしいだろう。

「でも、本当になんなんだろう……あの人」

 棗が柳の持っているスマホをのぞき込む。

「実はね。猫目石欠片が昨日の夜、こっそりロッジを出てたの」

「それは知ってる。俺も見た」

 正確にはいろいろ話もしたが、なぜかそのことを柳は隠してしまった。自分でもどうしてか判然としない。ただ昨夜のことを話そうとすると、あの嗅いだシャンプーの匂いと一緒に心臓がドギマギして、言い出せなくなってしまう。

「ううん。そうじゃなくて」

 棗は首を横に振る。

「その後、一度ロッジに戻ってきて……。また夜遅く、西瓜さんが寝ている間に起きてどこかに行ってた」

「……なんだと?」

 つまり人の目を忍んで、欠片は夜中に何かをしていたということだろうか。存外、柳と会話を交わしたあのときも、こっそり外へ出ようとしたところで柳に見咎められるのを危惧して、自分から誤魔化しに近づいてきたのかもしれない。

『それについては当人に当たるしかないからひとまず置くとして』

 紫郎は棗をじっと見た。

『お前たちから見て、その猫目石欠片って子はどうだ?』

「どうだって……」

 漠然とした質問に、柳と棗は目を見合わせた。

「……怖い」

 棗の答えは一貫としていた。

『どう怖いと思った』

「でも……気のせいかも」

『いいんだ。直感というのは馬鹿にできない。直感とは人が言語化できないうちに何かを察知している証だからな。特に棗は直感が働くし』

「…………怖いと思ったのは、あの人がたまに死角に入ってる気がするからだよ」

『死角?』

「うん。気づいたら目の前から消えていて、見えないところにいるような気がする。それなのに、影が薄いとか存在感がないとか、そういうんじゃない。むしろ存在感はあるのに、目で追いきれない変な動きをしている気がする」

 棗の直感は柳には理解しがたいものだった。だが昨夜のことといい、初めて会ったときといい、心当たりがないわけじゃない。

 存在感はあるが、いつの間にかいなくなっていて、いつの間にかいる。

『猫目石瓦礫は存在感がないやつだったな』

 紫郎が述懐する。

『背景に溶け込んでいるというか、書割に描いてありそうな人間というか。ドラマならエキストラとして採用すらされず、街中でゲリラ撮影をしたらようやく偶然映り込む、それくらいの人間だった。あいつに探偵の才能があることなんて、高校時代のクラスメイトでもほとんど気づいてなかっただろう。そういう感じ……ということか』

「それは少し違うな」

 柳が紫郎の認識を修正する。

「むしろあいつは花があるタイプだ。見た目もいいしな。遼太郎や正平といったスカウト組といつから親しくしているのか分からないが、かなり打ち解けている印象があった」

『なるほどな……。外見はじゃあ、父親とは似ていないんだな』

「ああ。母親似なんだろう」

『……! 母親に会ったのか?』

 勢い込んで紫郎が聞きただす。その様子をやや不審に思いながら、柳が訂正する。

「会ってはいない。ただあまりにも父親に似てないから、そうなんだろうと思っただけで……」

『そうか』

 それからしばらく、紫郎は考え込むように沈黙し、手を口に当てた。

「そんなに欠片のことが気になるのか?」

 柳が今度は突っ込んで聞いた。

「母さんもなんか気にしてる風だったけど。別に父さんの高校時代の同級生に娘がいてもおかしくないだろ。父さんだって二十歳のときに俺が産まれてるんだから、確かに今どきにしちゃ早いけども……」

『そうじゃない』

 柳の言葉は遮られる。

『そうじゃないんだ、柳。猫目石瓦礫に娘がいること自体をどうこう言っているんじゃない。いったいその欠片という子は、誰が母親なのかというのが気になるんだ』

「…………どういうことだ?」

『これでも高校時代の同級生――いや、実を言うとそれ以前からの知り合いだからな。猫目石のやつの人となりは知っている。だから気にしているんだ。あいつなら、なんだ。あいつが以外の女と結婚し、あまつさえ子どもを残しているなど考えられない』

「…………」

『僕はあらかじめ、猫目石が広島にいることを知っていた。だから万が一のことを考えて、猫目石に気をつけろと柳に忠告した。だがそのとき娘の話をしなかっただろう? それは娘のことを僕が知らなかったからだ。というか調べていなかった。まさか猫目石に娘がいるなどと、まったく想定していなかったからだ。それほどに、娘の存在は異様イレギュラーなんだ。以外と関係を持ち、子どもを作ってる可能性など一顧だにしていなかった。行方不明者を捜索するとき、いちいちUFOに連れ去られた可能性を検討しないのと同じように』

「ちょっと待ってくれ。そのってなんなんだ? 猫目石瓦礫に他の女との関係をあり得ないものとさせるくらいの女って……」

『恋人だよ。猫目石瓦礫の恋人だ。だが彼女は死んだ。ちょうど、柳が産まれるのと同じ時期だ。加えて病弱だったから、万に一つも彼女が欠片の母親ということはないし、他の子どもを残していることもない』

「恋人……」

『猫目石はその恋人に執着していた。操を立てていた、生涯の伴侶は彼女ひとりだと決めていた。実際はそこまで積極的かつ意識的なものではなかったかもしれないが、結果的にそういうスタンスだった。問題は、その猫目石がスタンスを曲げているということだ。人間の気質はそう簡単に変わらない。変わったということは、それ相応のがやつの身に起きているということだ』

「つまり、父さんと母さんでもやつの人間性をもはや掴みかねているということか」

『そうだ。曲がりなりにも探偵として活躍し、探偵時代の先駆けとなった猫目石瓦礫はもういないかもしれない。今そこにいるのは、かつて探偵だったという事実を隠れ蓑にした、まったく異なる別の誰かだ。そう思って行動するんだ』

 そこまでの事態、なのだろうか。たかだが娘がいるという、ただそれだけのことが。柳には紫郎の危機感はいまいち掴みかねた。ただ、欠片に対する危機感、警戒心は今以上に引き上げることにした。

『キナ臭いことになりそうだ。できるだけこっちの用事を早く切り上げることにする。その間、そっちは頼んだぞ』

「分かった。こっちでも調べておく」

 電話を切る。

「おーい」

 そのとき、すぐ後ろから二人を呼ぶ声がする。

 振り返ってみると、噂をすれば影というやつか、猫目石欠片が立っていた。

「そろそろ朝ご飯できるって」

「分かった」

「あと、景清さん見てない? まだ起きてきてないっぽくて」

「俺は見てないぞ」

 しかしそれは少し不審である。管理人で今回のキャンプのスタッフである景清が寝坊などするのだろうか。

「管理人棟にいるのかな?」

「見てくるか。棗はロッジに戻ってろ」

 柳はレインコートを羽織り、外へ出た。欠片も同じくコートを着込んで後に続く。雨は激しく、足を踏み出すとすぐに靴も靴下もずぶ濡れになってしまうほどだった。

「景清さん?」

 管理人棟の入り口に向かい、扉をノックする。反応はない。試しにドアノブをひねってみるが、鍵がかかっている手ごたえがあった。

「いないっぽいね」

 ぐるりと建物を見て回ったらしい欠片が柳に近づく。

「人の気配がないよ」

「じゃあやっぱり母島の方にいるのか?」

 思い出すのは昨夜、景清が夜中に管理人棟を出ていったことだ。普通ならば単に母島の方で寝泊まりしているのだろうと考えるべきだしそれが自然だ。なのに柳の目には、今にしてみれば妙な挙動だったように映ってしまう。

 なにごとも、ないといいのだが。

「とりあえず母島の方へ行ってみようよ」

「……ああ」

 柳はスマホで林檎に連絡を取り確認する方法を取ろうとしていた。だがなんとなく、欠片の言葉に流されてそのまま行動してしまう。スマホは防水性なので濡れても故障の恐れはないが、それでもしいて豪雨の中取り出そうと思わなかったというのもあるが、それ以上になぜか、欠片に対し「逆らいがたい」何かを感じていた。

 空から降り注ぐ雨粒がコートのフードを叩く中、柳と欠片のふたりは島をつなぐ橋に向かって歩いていった。雨であまりよく聞き取れないが、どうしてか上機嫌らしい欠片は何事かを歌っていた。

 耳を傾け、その歌詞を聞いてみる。

「三平方の定理はピタゴラス~」

 本当に何の歌だ。

「機嫌がいいな」

「朝型人間だからね。朝が一番調子がいい」

 調子がいいのと機嫌がいいのは少し違う気もしたが、柳はそれ以上何も言わなかった。

「おれたち三人トライアングル~。危険な恋の磁場が大暴走さ~」

「…………ん?」

 欠片の謎の歌を徹底的に無視して橋のところまでやってくる。橋をいざ渡ろうとしたところで、柳は橋の真ん中に、何か黒いものが置いてあるのに気づいた。

「なんだあれ。誰かの忘れ物か?」

「んん?」

 ふたりして呑気に近づき、様子を見る。その黒いものは箱状の機械らしく思われた。中央にデジタルタイマーが設置されており、それが時間を刻んでいる。タイマーは一秒ごとに減っていく方式らしく、何かをカウントダウンしているようであった。

「まるで映画に出てくる爆弾みたいだな」

「爆弾? まっさかあ」

 ケラケラと緊張感のない笑いを欠片がして、ふと振り返る。

「あ、見て見て柳くん。あそこのワイヤーの根元にも似たような黒い箱がある」

「本当だな。もしあれが爆弾なら同時に爆発して、橋が落っこちるというところか」

「ふうん。ところであと何秒?」

「十秒だな」

「…………へえ」

「…………」

 ぞくっと。

 背筋に嫌な悪寒が走った。

 ふたりは言葉でも行動でも示すことなく、気づけば一緒になって全速力で橋を渡り、子島側に戻る。

「こっち!」

 欠片が引っ張り、近くの木の陰に柳を連れ込む。

 そして。

 十秒。

「何も起こ――――」

 柳の言葉は、爆音にかき消された。

 爆発。

 天から地に降る雨粒を吹き飛ばし、弾丸のように柳たちへ打ち付けるほどの強烈な爆風が巻き起こった。同時にグラグラと、地鳴りが響く。

 爆発によって、橋は真ん中で消し飛ばされ寸断される。

 同時に。

 欠片が見つけていた小型爆弾も爆発する。爆発――というより破裂程度の威力だったが、橋を支えるワイヤーを切断するには十分な威力だった。

 小型爆弾は母島側にも仕掛けられていたらしく、そちらでも爆発がある。バツンっと、頑丈なワイヤーが音を立てて切り裂かれる。

 とはいえ、爆弾の被害それ自体はただそれだけだ。橋が真ん中で寸断し、ワイヤーが数本切られただけ。橋そのものが完膚なきまでに破壊されたわけではない。

 爆発、だけでは。

 柳が前日に、橋を通ったとき予感したことが起きた。

 すなわち、ワイヤーで巧みに重さを分散させているこの手の吊り橋は、ワイヤーが数本切断され重さの逃げるところがなくなってしまえば。

 後は自重で崩壊するのだ。

「あ…………」

 ゆっくりと、橋の全体がひしゃげていく。

 水に濡れた紙細工がぐずぐずに溶けていくように。

 あれだけ頑丈で、崩れそうもない建造物があっという間に溶け落ちていく。

 たっぷり一分くらいかかって。

 最終的に、橋は海の中へバラバラになって落ちていった。

「爆弾……だとお?」

 ふたつの島からなる母子島キャンプ場。その母島と子島をつなぐ唯一の連絡橋が崩壊した。

 その意味するところは明白であり。

 柳たちは子島に、閉じ込められたのである。

 ひょっとすると、ホッケーマスクの怪人が潜んでいるかもしれない島に。

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