アイデアが湧いてこない!

春夏あき

アイデアが湧いてこない!

 ……カッチカッチ――カッチカッチ――カッチカッチ……。

 アイデア、アイデア、アイデア!



「あー!!もう!!」



 深夜の静寂の中、秒針の音が嫌に耳に障る。俺は目の前に置かれた原稿用紙をぐしゃぐしゃに丸めると、勢いをつけてゴミ箱に投げ捨てた。そして椅子の背にかけてあったジャンパーを羽織って家の外へ出た。

 このままじゃ埒が明かない。一度散歩でもして頭を冷やそう。俺は行きつけの公園に向かいながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。

 アイデアが湧かないというのは、いつの時代も創作に携わる人々を苦しめてきた。そして俺の場合は、それが特に顕著なようだ。

 何の気なしに書いた小説が、ネットのコンクールで準優勝を獲得したのが始まりだった。準優勝の商品である文庫本化を引っ提げ、俺は勤めていた会社を辞めた。そして職業作家として生きていこうと決めたのだが、それは間違いだったのかもしれない。何せ俺の頭では、致命的にアイデアが湧いてこないからだ。

 一発でかいのを当てれば別だが、大抵の作家は生涯に何冊も本を書くことになる。ということは、必然的にアイデアもそれだけ必要になってくるのだ。俺のような文章力の弱い無名の作家は、アイデア勝負なところもあるから余計に始末が悪い。

 俺は無い頭を必死に絞り出して、これまでに三冊を発刊した。だが、今書こうとしている四冊目のアイデアが全く浮かんでこないのだ。貯金は雀の涙ほどしかなく、来月の家賃や生活費を差し引けば無一文に等しい。このままではマズイと、俺は悩みに悩んでいた。



「あの、すいません」

「あっ!ごめんなさい!」



 突然声を掛けられた時、俺は反射的に謝った。考え事に耽るあまり、他人に迷惑をかけたのだと思ったのだ。そしてそのまま通り過ぎようとしたが、なおも引き留められた。

 どうやらそれは勘違いだったようだ。



「いえいえ、少しお待ちくださいな」



 後ろからの声で俺は振り返った。そこには一人の男が立っていた。ボロボロのコートによれよれの革靴を身に着けていて、手には小さな鞄を持っていた。



「なんですか?」



 俺は少し不機嫌になって応えた。アイデアを考える邪魔をされて苛々していたし、男の汚らしい身なりも気に障ったからだ。



「勘違いでしたら申し訳ありませんが、あなた、今、悩みがありますよね?」

「悩み……まぁ、悩みの一つや二つぐらい、誰でも抱えているでしょうね」

「いえいえ、そのような悩みではなく、差し迫った危険な悩みのことですよ」

「あるにはありますけど……。アイデアが浮かんでこないんですよね」



 そう答えた途端、男はパッと目を輝かせた。



「ほらやっぱり!いやぁ、私の観察眼もまだまだ捨てたものではないですねぇ」



 なにやらうんうんと頷いているが…。



「で、悩みがなんだって言うんですか」

「あっ、失礼。つい嬉しくなってしまって。……ゴホン、その悩み、私が解決して差し上げましょう」



 そういって男は鞄に手を突っ込むと、大判の本を取り出して見せた。タイトルは「思考の根源」。ざっと500ページはありそうだ。



「こちらを差し上げますよ。お代はあなたの魂の管理権で結構です」

「はぁ、魂の管理権ねぇ」

「怖がらないんですか?」

「えぇまぁ、こっちも戯言に付き合ってる暇はないですからね」



 さすがに怒るかもしれないと思いながら言ったが、彼は「はっはっは」と笑ってみせた。



「そうですそうです。僕が言ってるのは全部虚言なんです。こんな奴の言うことなんて、信じちゃだめですよ?」



 そう言いながらぐいと本を押し付け、数歩後ろに下がり……。



「それでは、機会があればまた」



 舞台上の俳優のような華麗なお辞儀をしてみせた。途端、男の姿は煙に包まれ、まるでそこには元から誰もいなかったかのようにさっと消えてしまった。俺は仰天して、慌てて消えた地点に駆け寄ってみたのだが、そこに彼の姿は影も形もなくなっていた。

 俺は首を傾げながら、「『思考の根源』ねぇ…」と独り言ちた。


~~~

「『人生は運である』とはよく言ったものだ」



 都内にある高層マンションの最上階。一面ガラス張りとなった窓の正面に置かれたソファーの上に、俺はワイングラス片手に座っていた。空には雲一つなく満月が煌々と照り、眼下に広がる眠らない街を見守っていた。

 あの日、家に帰った俺は藁にも縋る思いであの男から貰った本を開いてみた。すると一ページ目に、数行の文章が書いてあった。読んでみて俺は仰天した。これまで誰も思いつかなかったような、素晴らしいアイデアが書かれていたからだ。しかもそれは、ページをめくるたびにどんどん増えていく。見た目には500ページほどしかない本を1000ページもめくってから、俺はこの本が「本物」であることを悟った。

 それからは天国のような日々だった。アイデアはこの本からいくらでも湧いてくる。俺はただ、それに従って文字を書くだけでよかった。

 特に、大手出版社に目を付けられてからはめざましかった。文章力は、アイデアを下敷きにして書いていけば後から追いついて来る。出版社のPR力やアイデア事態の独創性による口コミの影響もあり、俺が書く本はそのどれもが飛ぶように売れていった。

 発行部数10万部は当たり前。これまでドラマ化・映画化された作品は数知れず。翻訳されてからは海外でも一躍有名になり、今や俺は世界中の人間を熱狂させる人物になっていた。

 純総資産は80兆を超えた。株や不動産を含めれば100兆は下らない。人々は娯楽には金を惜しまないからだ。



「それにしても、彼が言っていた『魂の管理権』っていったい何だったんだろう?悪魔が取引の代償に魂を欲しがるのはわかるけど、管理権って言ってたよな」



 いや、もういいんだ。

 頭を軽く振って、俺は思考を追い出した。現世でこれだけの快楽を享受したのだ。魂くらい、あいつに好きにさせてやろう。

 俺はからりとグラスを傾け、中身をぐっと飲みほした。


~~~

「おひさしぶりです」

「あぁ、久しぶり。君はやっぱり……」

「えぇ。あなたが思っているような存在です」



 俺といつかの彼は、病室のベッドに静かに横たわる俺の身体を見下ろしながら会話していた。そばには俺の元妻と子供たちが居て、みな悲し気に俯いている。



「俺の魂だろ?もうこんなに楽しませてもらったし、君の好きにしてくれていいよ」



 俺は無抵抗を示すように両手を上げてみせたが、彼はいえいえと首を横に振った。



「それには及びません。私が頂いたのは管理権だけですから」

「その管理権ってのは一体何なんだ?」

「その名の通り魂を管理する権利です。魂が現世に残る時間や天国か地獄どちらに行くか、果てはいつ転生するかまで細かく指示できます」

「そうか……」

「私が行うのは、あなたに現世を見せてあげることです。永遠に生きろとは言いませんが、あなたには少なくとも、人類が滅びるまではこの世にとどまってもらいます」



 俺は拍子抜けた。あの本の代償にどんな酷いことをされるのかと身構えていたのだが、聞くだけなら全く苦にならなそうな罰だった。



「それだけでいいのか?あんな凄い本を貰ったのに?」

「その言葉、よく覚えておいてくださいね。…では私はこれで。もし何か用がありましたら、虚空に向かって呼んでください。できるだけ早く伺いますよ」



 彼は何か意味深なことを言った後、あの夜のようにさっと消えてしまった。


「人類の行く末って気になってたんだよな……。俺にとってはご褒美みたいなものなのに、こんなことまでしてもらっていいのかな?」


 魂だけになった俺は、物理の制約を受けることなく自由に動くことができる。いつまでも病院にいる理由も無く、俺は青い空へと飛び立っていった。


~~~

 あぁ……。

 アイデアは、作品のアイデアは、無から生まれてくることはない。それは人間が知恵を絞って、頭の中でこねくり回した先に、意識からやっと生み出されるという出生をとるからだ。なら俺が、俺が今まで湯水のごとく使ってきたアイデアは、一体どこからやってきたのか。

 俺の死後、数十年はいつもの世界だった。人々はこれまでと変わらぬ生活を送り、誰もが平和に暮らしていた。だが100年が経とうというとき、俺はある異変に気付いた。

 世界中、どこを探しても本がないのだ。

 いや、勿論既存の本はある。書店には様々な本が並び、図書館は連日盛況をみせている。だが俺が死んだ日を境に、新しい本が全く生み出されなくなったのだ。

 俺は疑問に思い、言われた通り虚空に呼びかけて彼を呼んだ。



「なぁ、なぜ新しい本が発刊されないんだ?それに本どころか、映画やマンガみたいな創作物が全く出てこないぞ」

「仕方がありませんよ、だってあなたが使ってしまったんですから」

「な、なんだって?」

「物書きの端くれであるあなたが、アイデアが無から生み出されるはずがないって知らないわけはないでしょう?私があなたに差し上げたあの本は、『アイデアを作る本』ではなくて『アイデアを持ってくる本』だったのですよ。勿論斬新で目新しいアイデアほど珍しいですから、より多くの無名のアイデアを消費します」



 彼が語ったそれは、にわかには信じられないことだった。

 アイデアは無からは生まれてこない。あれは生まれてきたわけではなく、ただ未来のアイデアを取り寄せていただけだと。また素晴らしいアイデアは作るのが大変で、その間に花開く無数の小さなアイデアは摘み取られてしまったと。

 アイデアは資源だ。石油のように幅広い用途があり、金のように価値があり、ダイヤのように光り輝いている。そしてそんな貴重な資源を、俺は食いつぶしてしまった。

 余りにも遅すぎる理解をした。俺は取り返しのつかない、人類への罪を犯してしまったのだ。

 『魂の管理権』により人類が滅亡するまで死ねない俺は、創作物が生まれないせいで徐々に荒廃していく世界をありありと見せつけられている。

 娯楽が生まれないせいで人間はみな殺気立ち、国と国とでしょっちゅう衝突が起こるようになった。余裕がなくなったのだ。創作物が作るはずだった心の余白は無くなり、精神の健康は失われてしまった。今はまだ過去の作品でなんとか持ちこたえている状態だが、古い作品がいつまでも通用するとは思えない。核が使われるのも時間の問題だろう。

 俺はこれから、自分が犯した罪の重さを、いやというほど味わうことになるだろう。

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