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 あれはそう、夕立が襲来すると、イカれたフォーク系ロックンローラーたちが先を争って避雷針に昇り、「やい、カミナリめ、おれと勝負しやがれ」と叫び狂っていた昔、ぼくも淋しいばかりの人生を嘆いて『カミナリに撃たれたい』を歌っていた頃、ぼくの部屋のハンガーに掛けてある極太サイズのピンクのワンピースも、主人恋しとシクシク泣いていたのさ。


 彼女がそれを取りに来たのは、十日過ぎた真夜中のことだ。


 チャイムの音が何度も響いていた。ドアを開けると、ゾウがいて、鼻を伸ばしてぼくの頬を張り飛ばすじゃない。何がなんだか分からずやだよ。ゾウが戸口をバキバキ壊して入って来ると、部屋じゅう灰色の体で満たされたんだ。体が壁へ圧し潰され、この世も終わりと思った時、夢から覚めた。

 するとやっぱりチャイムが鳴っている。こわごわ玄関へ歩いて、尋ねたんだ。

「ゾウさん?」

「えっ? ゾウさんって、あたしのこと?」

 と、忘れもしない声が聞こえたので、すぐに鍵を外してドアを開けた。

 半泣きの玲がそこにいた。ショートの黒髪は虫たちが巣を作っていそうなくらいボサボサで、顔も手足も薄汚れているうえに虫刺されの痕だらけ。ぼくが買ったシャツもショートパンツもランニングシューズも泥塗れだよ。目は赤く、蒼白い顔の目の下にクマもできていて、唇もカサカサなんだ。体臭だって強烈さあ。

「玲、ずっと、待っていたんだよ」

 ぼくが熱く見つめても、娘はうつむいて目を合わせない。

「あの、服を取りに来たんだ。ここに、置いてったから」

 そう声を震わせるんだよ。

「中に入りなよ。食べ物もあるし、お風呂もあるよ」

 玲は顔を二度三度小刻みに振って、

「もう、変なこと、しない?」

「変なことって?」

「あんた、あたしに、キ、キス、したじゃない」  

 青リンゴだった頬を熟した色に染めて、少しだけ痩せた体を夜がゆがむくらい震わせるんだ。

「おいらが、玲を、好きなことが、変なことなの?」

「あたしは、あんたに好かれる資格なんてないの。あたしのこと、何も知らないくせに・・」

 言葉に詰まって、うつむいた目から涙をポトポト落とすから、ぼくはとっさに手を差し出してそれを受けとめていた。玲の熱い涙は、ぼくの手の中で美しい宝石に変わったよ。

「そんなにおいらが、嫌い?」

 冷たい雨に震える子猫のように、玲は悲しく首を振る。

「だって、あたしは・・」

 やっぱり言葉が続かず、しゃくりあげるんだよ。

 ぼくは肩を震わせる彼女の横を擦り抜け、廊下へ出た。

「じゃあ、こうしよう。おいら、今夜は外で寝るから、玲が中で過ごしなよ。お風呂入っていいし、冷蔵庫の中の物、食べていいから」

 それでも娘は入ろうとしない。

「さあ、入りなよ。鍵閉めていいから。えっ? 玲、どうしたの?」

 その時急に、娘が何も言わずぼくの胸へもたれかかってきたんだ。彼女の名を呼ぶけれど、目を閉じて反応がない。

 玲をベッドへ運んで寝かせたよ。頬や首を触って診ると、ああ、ひどい熱じゃない。

 タオルを絞って体の汗を拭き、氷を使って首や脇や足首の動脈を冷やした。

 何かしゃべるので、口元に耳を寄せたよ。「お兄ちゃん・・」と「許して・・」といううわ言だけ聞き取れた。ぼくは娘の手を取り、死なないでと祈りながら、疲れ果てた寝顔を夜通し見ていた。


 お金のない玲は、ずっと何も食べずに走っていたらしく、ぼくの部屋に来た時は栄養失調で死にかけていたんだ。三日間、ぼくのベッドでサナギのように安静にしていたよ。流動食しか喉を通らず、豆乳やハチミツや果汁などで栄養を取った。

 体が動き、ご飯も食べれるようになって、彼女のプロジェクトを再開したんだ。一緒に少しずつ走り、一日一日、走る時間を増やしていった。食事は一緒に大豆製品や野菜を多めに食べた。

 夜は玲をベッドに寝かせ、ぼくは玄関で毛布にくるまって眠ったのさ。


 彼女の誕生日、枕元にプレゼントの箱を置いた。

 彼女は瞳を夢色に輝かせて箱のリボンをほどいたよ。

「あたし、こんなのもらうの、初めてよ。うわあ、何でこんなに重たいの? 三万カラットのダイヤかしら?」

「おいらの愛が、いっぱい詰まっているもの」

 とぼくは指でハートを作って、胸でドクドクさせながら言った。

 なのに箱の中身を見た玲は、ナイフにも負けないくらい尖った目でぼくを睨み、

「これって、あんたを殴るためのものかしら?」

 ぼくが贈った物は、ピンクの鉄アレイ二個さ。それから毎日、それでウエイトトレーニングもやらせたんだよ。


 発声やダンスのレッスンも毎日行い、玲の澄んだ声に合ったフォーク系の曲も作って、二人で踊って歌ったよ。

 夜もいつしか、ぼくはベッドの横の畳の上で寝れるようになったんだよ。

 誰が何と言おうと、そんな生活がぼくには、それまでの人生で最幸だったなあ。


 四か月後、初雪が愛の調べに舞い踊る頃、玲は目標の体重四十九キロを達成したぜよ。身軽になった玲をぼくは抱き上げ、祝いのベルを鳴らしながら、そこらじゅう駆け巡ったんだよ。











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