5

 玲に合わせてアンダンティーノで走ったよ。川沿いの夜道を、カシオペアに導かれて、遙かな潮風目指して走ったんだ。玲と一緒に走るだけで、ぼくは春の陽射しを得たタンポポのように幸せだった。

「ゲームをしよう、玲」

 と走りながらぼくは言った。

 玲は桃から果汁が滴るようにうふふと笑ったよ。

「ゲーム?」

「玲のために、クイズを考えついたんだ」

 笑い声がビックリボールのように弾んだ。

「クイズって?」

「いかなる名探偵でも解けない難問だよ。玲、チャレンジしてみるかい?」

「いいわよ。でも、もしあたしがそのクイズを解いたら、どうなるの?」

「玲の願いを、何でも叶えてあげるよ。もちろん、おいらにできることだけどね」

「いいわね。じゃあ、そのクイズを言ってみて」

「うん、だけど、これはゲームだからね。もし玲がこのクイズに答えられなかった時は、玲はおいらの願いを一つ叶えなくちゃいけないよ」

「あら、あんたの願い事って、何かしら?」

「もし、玲がこのクイズに答えられなかったなら・・」

 口から心臓の鼓動をドキドキ吐き出しながら、思い切って言っちゃった。

「玲は、おいらに、キ、キスを許すんだ」

 玲は立ち止まって、まあ、嫌らしい、って目でぼくを睨むんだよ。 

 ぼくも走りを止めて、死んでも死にきれない気持ちで、しどろもどろ言った。

「お、おじけ、づいた、のかい?」

 すると玲は鼻で笑い、アレグレットで走りだしたんだ。そして後を追うぼくを見ずにクールに答えるのさ。

「オーケー、珠吾、あたし、このゲームに挑戦するわ」

「えっ、ほんと?」 

 嬉しさのあまり転んじゃったけど、くるくる三回転して立ちあがったよ。そして天の川の波音聴こえるくらい高く飛び上がっちゃった。

 着地ポーズをブリリアントに決めて、すぐにまた走り出しながらぼくは言った。

「じゃあ、クイズを出すからね」

 玲は、いいわよ、と言うかわりに、うふふと笑った。

「いいかい、玲。猫が好きなものはチャオちゅーる。吸血鬼が好きなものは乙女の血。では、おいらがこの世で一番好きなものはなあーんだ?」

 そう言いながら、自分でも驚くくらい頬が熱くなるのを感じちゃったね。きっと頬で湯が沸かせたんじゃないかな。

 玲は、ずるいわ、という目でぼくを見ていたけれど、やがてにっこり笑って答を出したよ。

「珠吾がこの世で一番好きなもの・・それはチョコレートパフェよ」

「残念でした・・」

 ぼくは舌を出してハズレを示唆した。

「チョコレートパフェは逆立ちしたいほど好きだけど、この世で一番じゃないよ」

 玲は走りながら首をひねった。

「うーん、じゃあ、イチゴ大福かしら?」

 ぼくは出した舌でバッテンを描いたよ。

「そりゃあ、イチゴ大福も胃袋炸裂するほど食べたいけど、おいらにはもっと好きなものがあるんだ」

「じゃあ、麻婆豆腐?」

「それも踊りだしたくなるくらい好きだけど」

「じゃあエビグラタン?」

「あのね、ヒントを言うと、食べ物じゃないんだ」

「なあんだ」

 玲はまた、ずるいわ、と目で訴えたけれど、やがて走りながら両手をパンと打った。

「分かった、珠吾。あんたがこの世で一番好きなもの・・それはジェットコースターよ」

 ぼくはお化けに舐められたみたいに首を振ったさ。

「おいら、高所恐怖症なんだ。玲と一緒の座席なら乗ってもいいけど」

「じゃあ、いつもあんたが持っているフォークギター? それとも、エレキギター?

あっ、そうだ、分かった、舞台で歌うことじゃない?」

「それも天に昇るくらい好きだけど、今、一番じゃないんだ」

「もしかして、温泉旅行とか? あっ、分かった、クイズが好きなのよ」

「いい答だけど、もっと命がけなくらい好きなものがあるんだ」

「うーん、何かしらねえ?」

 玲は困惑したミミズクのように考え込んだ。

「降参かい? 玲」

 走りながら彼女に詰め寄ったよ。

 玲は思春期のサクランボのように頬を赤らめ、ついにこくりとうなずいたんだ。

 やった、今がチャンスだ・・

 走る娘の右手の指を、ぼくは左手で思い切り握りしめた。興奮のあまり、何も考えられなかった。がくがく震えながらも彼女の前に体を入れ、「あっ」と叫びながら衝突する丸い体を抱き留めた。だけど玲の方がぼくより十五キロも重いんだ。運動エネルギーの法則を甘く見ていたぼくは、あっという間に暗い道に押し潰されていたんだよ。だけど物理の法則はぼくらに運命のその瞬間をもたらしたんだ。倒れた勢いのままに玲の顔がぼくの顔へとぶつかって来て、二人の唇が一つにくっついちゃったぜよ。玲の唇はあまりにふくよかで、ぼくの真っ赤な血流は沸騰しながら駆け巡り、体じゅうの細胞が歓喜のエネルギーを一気に噴出した。止まった時が永遠に感じられたけれど、やがてミシミシ命の危機を知らせる音が響いたんだ。それはぼくのアバラが圧し潰される恐怖の音だった。だけどぼくの体がひしゃげる寸前、玲が上体を上げ、ぼくのかわいそうな左頬を引っ叩いたんだよ。

 おいら、ビンタなんて嫌いだ・・

「今、分かったわ、ヘンタイさん・・」

 そう言いながら立ち上がる玲は、半分怒って半分泣く赤鬼だった。

「あんたが何よりも好きなもの・・それは乙女との口づけよ」

「へっ?」

 ぼくは傷ついた体と心を薄闇に震わせていた。

 玲の答はもちろん間違っていたけれど、このゲームにおいては正解以上に的を射ているじゃないの。ぼくは一本取られたんだよ。

「やっぱりあんたはヘンタイだった。さよなら、もうその顔、永遠に見たくないから」

 そう言うと、玲は涙を夜風に散らせ、疾風のごとく駆けだしてしまった。

 あっ、そりゃないぜ、玲・・

 ぼくは潰れかけた体で立ち上がり、夢中で追いかけたよ。光から闇へ、絶望から希望へ、街角から路地裏へと、必死に駆け回った。彼女を失うくらいなら、死んだ方がましだと心が叫んでいた。だけど一度見失った彼女を見つけることはできなかった。


 











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