第24話 最上位魔法

 カップから立つ白い湯気が、茜色の夕日を浴びて輝く。

 執事さんが入れなおしてくれた新しいお茶は、お菓子に合わせたさっきのお茶よりも渋みが少なくて飲みやすい。

 鼻に抜けるようなすっきりとした香りが心を落ち着かせてくれる。

 お茶請けもなしに飲んだというのに、舌先には一切の渋みも苦みも残ることがない。

 全員がお茶を飲み、場が落ち着いたころにアデラ様はゆっくりと口を開いた。

「あなた、ヴォルトさん、と言ったかしら?」

「は、は、はいです!」

 緊張でどもって、思わず変な口調になってしまった。

 でもそのせいか緊張の糸が切れ、みんながぷっと噴き出す。アルバートでさえ目を細めて、さっきまでの雰囲気が幾分和らいだのを感じる。

「アンジェやアルとお友達になってくれて、どうもありがとう」

 アデラ様はそう言って軽く頭を下げ、カーラの方を横目でちらりと見た。

「他の子たちは公爵家、と言う家柄に引け目があるのかどうしても一歩引いたところがあってねえ。あなたや、隣の水色の髪の子、クリスティーナさんみたいに臆せずにものを言ってくれる子は珍しいわ」

「きょ、恐縮です!」

「気にしないでいい。これが地なだけ」

 僕は緊張して、クリスティーナは鷹揚に答えた。

「あら、私の方が空気を変にしちゃったかしら。最上位魔法より場の空気を良くできる魔法が欲しいわねえ」

 くすくすと笑いながらそう言った後、あらためて居住まいを正した。

「あなたはもう、最上位魔法についてかなり詳しく知っているでしょうから、使用方法は省略するわ。どうすれば使えるようになるか、決まった方法がないのが最上位魔法。だから目覚めた時のことを詳しくお話しするわ」

 空気がピンと張り詰め、この場にいるメンバーが例外なく姿勢を正した。

「私が最上位魔法に目覚めたのは、四十年前。慰霊のため蒼き山を訪れていた時のこと」



「あの頃は最上位魔法の使い手もいなかったから、噴火や津波のたびにあちこちで犠牲が出てね。私の父も、噴火のために亡くなったわ。私もあの日、その当時の領主様が主催する慰霊祭に出席していた」

「その時、運悪く蒼き山の噴火が起こってね。蒼き山が噴火したあの時。私と慰霊に訪れていた貴族たちは、杖を構えて立ち向かっていった」

「噴火口から溢れ出る溶岩が山を下り、石も、岩も、緑の木々も、家々も飲み込んでいった。風魔法で熱気を散らし、水魔法で溶岩を冷やして止めたりしたけど」

「後から後から吹き上がる溶岩には、文字通りの焼け石に水だったわ。土魔法の使い手が壁を作って止めても、それを乗り越えるようにして溶岩は襲ってきた。赤く溶けた岩の流れに、彼は悲鳴を上げて飲み込まれていった」

 そこでアデラ様は身を震わせ、わずかに紅茶が残っていたカップに口をつけた。

「半数以上が帰らぬ人となったころ、いよいよ私の方にも溶岩は迫ってきた。溶岩の熱気で大気は燃えるように熱く、逃げようにも馬は倒れ、大地は揺れてろくに歩くことすらできなかった」

「私のすぐ近くで悲鳴が上がって。赤く輝く溶岩で視界がいっぱいになって」

「何千回と繰り返してきた中位魔法や上位魔法の詠唱すら忘れてしまって。無茶苦茶に杖を振り下ろした。そのときね」

 アデラ様の口調が変わった。

「杖の先に何かが宿るような感触があって、私自身、その時まで聞いたことのない詠唱がほとばしって、何度か聞いたことがあるだけの古代語が口をついて出て」

「気が付いたら溶岩は、私たちを避けるようにして流れていた。ふもとまで下りて、家々を飲み込んでいた溶岩も動きを止めた。杖を動かすと、それに応じるように溶岩が意のままに動いていたわ」

「それが火属性最上位魔法、『ボルケーノ・マスター』に目覚めた時」

 アデラ様は深く息をつく。

 長く話したせいか、軽くせき込んだ。

 こほこほ、と耳に残る音を喉の奥から漏らしたが、やがて収まる。

「とりとめのない説明で、ごめんなさいね」

「いえ…… すごく参考になりました」

 何気なく肩を動かすと、骨が鳴る音がした。今までの人生で一番集中していた気がする。

 最上位魔法の名前や効果までは文献でわかる。

 だけど、実際に聞いてみないとわからないものは多い。

「私も、凄い話だと思った。緊張感というか、気迫というか。そういうのが伝わってくる」

「最上位魔法は神が授けた魔法と言われるのもむべなるかな、です。真摯な姿勢、困難に立ち向かう勇気、人々を守ろうとする慈愛。アデラ様の生き方は神様の御心に叶うものだと改めて確信しました」

 クリスティーナはシンプルに、カーラは少し熱っぽく語る。

 アルバートとアンジェリカは沈痛な面持ちで押し黙っており、少し興奮していた僕たちはバツが悪くなった。

「いいのよ、もう気にしてないから」

 自分の父を亡くした話なのに。僕らを気遣うアデラ様の優しい笑顔と声が、逆に痛い。

 ふと、カップに注がれた紅茶が波立っているのに気が付いた。白磁のカップに注がれた琥珀色の液体が、カップごと震えている。

 カップを置くお皿である六組のソーサーも、カチャカチャと澄んだ音を立て始めた。

 それから時を置かずしてお菓子を乗せている皿も、テーブルの上を横滑りし、戻るのを繰り返し始めた。

 紅茶はすでに波立つどころかうねりのように飛沫が飛び散り、テーブルを濡らす。

 大地が揺れ、窓にはめ込まれたガラスがぴしぴしと音を立てた。

 部屋に飾られていた額縁の絵が壁にぶつかって大きな音を立て、留め金から外れて床へと落ちていく。だが絨毯の敷かれた床はそれを優しく受け止めた。

 それらの様子が、テーブルの下にもぐって杖を構えた僕たちから見えた。

 僕は無駄とは半ば思いながらも、トネリコの杖に魔力を込める。

 やがて地揺れが収まり、僕らは慎重にテーブルから顔を出す。

「失礼いたします」

 ノックと共に部屋に入ってきた初老の執事さんが慣れた様子で調度品や絵画を元の位置に戻す。

 他の使用人さんたちは、紅茶が飛び散ったテーブルを白い付近で拭いてカップの位置を戻していた。

 王都では地震なんて滅多になく、あってもごく小さいものだった。なのにこちらに来ると頻繁に遭遇する。

「さっきより、大きい」

「心配なさらないで。蒼き山の近くではよくあることですわ」

「そうね。でも…… 近頃は特に多い気がするわ」

 アデラ様は執務用の机越しに、ガラス戸に目を向けた。さっきまで夕日を受けて輝いていた蒼き山は、すでに陰となり黒く染まっている。

「慰霊祭の時、私が最上位魔法に目覚めた場所に連れていけるわ。何か掴めるかもしれない」

 アデラ様はそう言ってくれたけど、この部屋に入るまでの興奮はもうなかった。

 さっき地震が起きた時。アデラ様から聞いたことを参考に最上位魔法を使おうとしてみたが、駄目だった。

 土属性最上位魔法、「ランド・マスター」。大地を意のままに従える魔法で、地揺れを止めることも、大地に谷のような裂け目を作ることもできる。

 だが地揺れは止まらなかった。すぐにできるとは思ってない。今まで何度期待して、何度落胆したことか。

 でもやっぱり、手がかりを得たのに全く変化がないのはショックだった。

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