第5話 最上位魔法、実演


次は魔法の実技試験だ。この時間が迫るといつも最上位魔法のことを思い出す。


 初めて最上位魔法を見た時の感動は、今でも忘れない。今日みたいにねずみ色の雲が空を覆う、暑い曇りの日だった。


 年に一度、王都で行われる慰霊祭。


 マギカ・パブリックスクール中庭にある、黒曜石で作られた大きな板のようなモニュメント。この国で起こる災厄から人々を守るために散っていった、魔法使いの名が刻まれている。


 学内外からの多くの参列者や遺族のすすり泣きが聞こえる中、遺族の代表や教会の神父が鎮魂の言葉を読み上げ、教会の聖歌隊が鎮魂歌を歌う。


 その後マギカ・パブリックスクール代表として校長先生が挨拶を読み上げた。


『皆さん。ご存じの通り、このマギカ・パブリックスクールは王国に対する脅威から王国を守れる人間を育てるために設立されました。ここにいる皆さんも、多くの知人や家族を失ったことでしょう』


『四十年前に使い手が現れた最上位魔法によって脅威は大幅に減少しましたが、消滅したわけではありません』


『皆さんには最上位魔法を習得してほしいとは思いますが、容易なことではありません。実際にこの王国でも最上位魔法を使える人材はわずかしかいません。しかし最上位魔法だけがこの王国に貢献する道ではないことも確かです』


『最上位魔法が使えなくとも、この王国を守っていくために勉学に励んでいくことを、切に願います』


 校長先生はそう締めくくって深く頭を下げ、一礼する。


 演説が終わった時、拍手でなく水を打ったような静けさが場に満ちていた。


 この国では、一番の脅威は他国の侵略でもなければ飢えと貧しさでもなく、蒼き山と蒼き海だった。


 最上位魔法がなかった時代、多くの貴族が杖を振るって大自然の猛威に立ち向かった。


 ひとたび地震が起これば人も家も家畜も、なにもかもを流しつくす蒼き海の津波から。

 溶岩でふもとの村々を焼き払い、火山灰で冬を越す作物を枯らしてしまう灰を降らせる蒼き山の噴火から。


 愛する祖国と愛する家族を守るため、杖を取って立ち向かった貴族たちの多くは再び帰らなかった。


「捧げ杖!」


 号令と共に生徒、教職員、参列者問わず魔法使いは一斉に杖を腰のベルトから引き抜き、顔の前に垂直に掲げた。


 英雄にのみ行われる、国王陛下にすら行ってはならない最上位の礼法。


 引き絞られた弓のように張り詰めた雰囲気の中、数千人の魔法使いが一斉に杖を捧げる。


 今日と同じような蒸し暑い夏の日。汗が滴り、目に入っても魔法使いたちは微動だにしなかった。


 死した英雄への礼を終えた後、皆が着席する。


 代わって国王陛下が席から立ち上がってモニュメント前に立つ。髭に白さが目立ち老いを感じさせるものの、威厳と迫力は衰えを知らない。黒い喪服を身にまとい、厳粛な雰囲気で黒塗りの箱を持っていた。


 彼の前に、中年の男性が緊張した様子で歩いていく。腰にサルスベリの杖を差し喪服を着た、一見平凡に見えるただの男。だが彼こそが新しい最上位魔法の使い手。


 彼はモニュメントの前で深々と一礼し、花を捧げた後国王陛下に向きなおった。


 国王陛下は黒塗りの箱を開け、中から金細工の彫られたサルスベリの杖を取り出す。


 その杖で男の肩を軽く叩く儀式を行うと再び箱に収め、手渡した。


 魔法を使用するための媒体である杖は、樹木に宿る魔力に干渉してはならない。


 そのため通常は枝の表面を整えて使いやすい長さや太さに加工するだけだ。


 だが最上位魔法の使い手に下賜されるそれは、王族お抱えの職人が逆に魔力を増幅できるように特殊な技術で彫るという。


 使い手はこの国と王、そして最上位魔法を授かった喜びについて演説した後、暗い曇天に向かい杖を向けた。


 場が水を打ったかのように静まり返る。


 咳払い一つ、くしゃみ一つない完全な静寂。風さえも止まってしまったかのように音がしない。


 数千人の視線全てが、彼と彼の持つ杖に注がれる。


 金細工の杖が使い手に操られ、虚空に線を描く。同時に古代語の詠唱が、耳が痛いほどの沈黙が支配する中庭に響き渡った。


 かつて神や悪魔が使っていたと言われ、教会の聖書にも使用される言葉。やがて詠唱が終わり、杖の先から膨大な魔力が放たれた。

 

「エアロ・マスター」


 一瞬だけ体が何かに持ち上げられたような感じがした。


 足元の石が、砂が、風に巻き上げられて空へと昇っていく。


 それなのに僕たちは見えない壁で守られているかのように、なんともない。


「これだけ?」


 そう口に出してしまうほどあっけない魔法だと思った。やがてそれは、間違いだと思い知る。


 風に吹かれて舞い上がるのは、石や砂だけじゃない。モニュメント周りの草が根を引き抜かれ、遠目に王都を流れる運河の水が空へ空へと舞いあがるのが見えた。


 それなのに人間はなんともない。足元の草も土も巻き上げられるにもかかわらず。 


 なんという、正確なコントロールだろうか。


 やがて人以外のほとんどの物が空へ巻き上げられた先、太陽の光を遮っていたねずみ色の分厚い雲に裂け目が入った。


 ねずみ色の空に目のような青色の穴が開き、晴天へ導かれるように白い竜が舞い昇る。


 風の流れが生み出した新しい雲。空へ空へと昇る風は塵を核として微細な水滴となり、それが集まって竜がごとき雲となる。


 雲をかみ砕いた竜は蒼き空と地上をつなぎ、天使のはしごと言われる太陽の光の筋を創りあげた。


「捧げ、杖!」


 今度は生きている英雄に最上位の礼法が行われ、今までとは打ってかわって万雷の拍手が鳴り響いた。


 さっきまで冴えないと思っていた中年男性も、こうしてみると貫禄があるように見える。


 全ての地上のものを空へ空へと巻き上げていく、風属性の最上位魔法。


 蒼き山や蒼き海の生み出す溶岩や大津波と言った災厄でさえ巻き上げ、人も獣も住まない地へと追いやる。


 風で大嵐を制御することも可能なため、帝国との国境でもある蒼き海での船の難破を防いでいるという。


 今まで見てきた魔法がまるで子供のお遊びに見えるほどの絶大な威力と、周囲の賞賛。


 その日はベッドに入ってもずっと興奮が冷めやらなかった。


 やがて午後の授業の予鈴が教会の鐘楼から鳴り、僕は現実に引き戻された。


 足取り重く、試験会場へと向かう。

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