雪女の初春スープ

竹神チエ

雪女とカタツムリがいる家

 雪女のツララがその青年を見つけたのは、吹雪の夜だった。山の中腹にある一本杉の根元である。青年は意識がなく、まつげにまで雪が積もっていた。


 痩せた青年だったが、ぐったりしていて重かった。ツララの細腕で持ち上げるのは到底無理だ。だからツララは青年の襟首をつかむと、ずるずると雪のうえを引いて歩くことになった。


 途中、あまりの重さに腹を立て脇腹を蹴っ飛ばしたが、青年はうめきもせず白い顔をしている。死んだのだろうか。ツララは青年の胸に耳をあてた。


 とっくん。


 ……ちぇっ、生きている。


 ツララはがっかりした。死んでいるなら捨てていくのに。ここまで苦労して運んできたのだ、いまさら捨て置くのも癪だった。ツララはもうひと踏ん張りして、青年を運び、家まで連れ帰った。


 ツララが戻ると、囲炉裏で温まっていたデンデンが戸口まで迎えて出てきた。デンデンはカタツムリだ。ぬめっとしたからだには、茶色のうずまく殻をのせている。


 梅雨のころ、うっかり踏みつけそうになったのをやめたところ、なぜかツララになついた。それから雪の季節になっても、こうしてツララの家にいついている。


「おかえりツララ。ぼく、すごく早く柱に登れるように……、にょわっ!」


 飛び出た目が、にゅっ、とさらに伸びるデンデン。その目はツララがつかんでいる死にかけの青年を凝視している。


「……ついに、やったんだね」

「やった?」

「ツララ」


 小首をかしげるツララに、デンデンは訳知り顔で上半身をくねらせる。


「そいつの魂を食べたんだね。いっひ。うまくやったもんだ。いっひひ」


「お前な……」ツララは梁の天井をあおぐ。


「わたしが人の魂を食らわないことは知っているだろう」

「じゃあ、ぼくを食べる?」

「カタツムリも食べない」


 ツララは手のひらを上向けると、ふぅー、と息を吹きかけた。小さな吹雪が起こる。くるくると結晶が踊った。デンデンはプルルッとねばっこいからだを震わせる。


「さむいよ、ツララ」

「雪女は雪を食らう。夏は水で我慢するけどな」

「うん、そうだったね」


 雪女は人に似ていても人ではない。


 ツララは雪が好物だが、べつに水でも生きていける。

 でも青年はそうもいかないだろう。

 ツララは青年を囲炉裏のそばに寝かせると、何を食わそうかで悩んだ。


「ぼくを食べる?」デンデンがいう。

「食べないだろう、たぶんな」

「本当に? 汁物の出汁にしないかな」

「なりたいのか、出汁に」


 デンデンは殻にこもった。ツララが「出汁になるか?」と殻をつつくと、「ならないよ。今日は出汁になりたい気分じゃないんだ」と返事がある。


 囲炉裏には鍋がかけてあった。ぐつぐつと湯が煮だっている。


 ツララはさじでそっと湯をすくうと、眠る青年の顔にかけた。ぴくっとまぶたが動く。ツララは青年の胸に耳をあてた。音がする。まぶたをぐいっとあけたり、頬をつねったりしたが、青年は眠ったままだった。


 青年の名は冬吉とうきちとだった。ツララが濡れた着物を乾かしてやろうと脱がしたとき、フンドシにそう墨で書いてあったのだ。ツララは冬吉を熱心に介抱した。デンデンが嫉妬するほどだった。


 着物を乾かしてやるだけでなく、傷んでいる個所は繕ってやった。厚布の上掛けを持ってくると、ぐるぐるに巻いて寒くないようにして、夜は隣で寝る。日に何度かぐつぐつの熱湯をさじですくうと、ぴしゃ、と顔にかけ、よくよく観察した。青年はぴくっとはするが、目は開かず、ツララは落胆する。


「ねえ。ツララ」

「なんだ」

「冬吉が気に入ったんだね?」


 カタツムリに鼻の下が存在するなら、デンデンはいやらしくその場所を伸ばしていたことだろう。ツララは「だから、人は食わない」と不機嫌に答えた。


「そうかそうか。ふーん。ツララはわかってないんだね」

「何がだ」

「いっひ。秘密。いっひひ」


 デンデンは冬吉の顔を這いずり回り、コソコソという。


「どうするどうする、人間さん。雪女がお前さんを気に入ったぞ。気に入ったぞ……」


 それから。


 冬吉を拾って三日後のことだ。


 雪女のツララは儀式のように熱湯を冬吉の顔に、ぴしゃっ、とかけていた。するとこの日は、ぴくりとするだけでなく、目が開き、がばり、と上体まで起こした。


「おお」感嘆するツララ。


 冬吉は「あっつ、え、あっつぅ」と顔をひっかいている。


「生きてたか。だろうな、とくんとくん鳴っていたからな。鳴るくせに起きないもんだから、どうしようかと思っていたぞ」


 ツララは、「ここが」と冬吉の胸にさわる。


「生きていると鳴るのだろう?」


 わたしは鳴らないがな。ツララは小さくつぶやく。


 冬吉はツララがさわった胸に手をやり赤面していた。視線はツララにくぎ付けだ。ツララは青みががった黒髪がたいそう美しい娘だった。


「あ、あの。その。あの」

「どうした」

「あなたは誰です。わたしを助けてくれたのですか?」

「……拾っただけだ」


 目覚めた冬吉は、顔に熱湯を浴びることはなくなったが、それでも少しばかり不憫だった。


 ツララは自分が雪女であることを隠そうとしなかったし、しゃべるカタツムリは、ぬらぬら腕や首に這いのぼってきては、「どうするどうする。雪女に食べられちゃうぞ、いっひひ」とおどしてくる。


 また、カタツムリは落ち葉を、雪女は雪を食べるだけで満足らしく、冬吉には「飲め」と熱湯をすすめるばかりで他に食事はない。家には野菜や穀物はなく、外は一面の雪だった。


 それでも雪でなく熱湯をすすめるあたりに、ツララの思いやりが胸に沁みて……と冬吉は考えて頬が染まる。


 だが頬が染まろうと空腹は空腹だ。始終、腹の虫を鳴らしている冬吉に、ツララは何か食べ物がいるな、と山に探しに出ることにした。


 冬吉もついて来ようとした。だが寒さが厳しく、すぐ凍り付きそうになる。囲炉裏のそばで待つよういって、ツララはひとり出て行った。


「どうするどうする。いよいよ、お前。食べられちゃうぞ」


 同じく囲炉裏のそばで待つデンデンが、ぬらぬらと板間を這い進みながらいう。冬吉は殻をつつくと笑った。


「ツララさんはわたしを食べたりしないよ。雪女は雪を食べるだけじゃないか」

「いっひ。どうかなどうかな」


 飛び出た目玉を伸ばしたり引っ込めたりするデンデン。


「お前さん、何か目的があって冬の山に入ったんじゃないの? 村には可愛い許嫁が待ってるんじゃないのかな。いいの、いいの、いつまでもここにいて? 逃げるなら、いまだよ。いっひひ」


 冬吉は何も答えないでいる。囲炉裏の火を見つめ黙してばかり。


 すっかり、からかいがいがなくなったので、デンデンはぬらぬらと這うと、冬吉の背中までのぼり、そこでうたた寝することにした。


 囲炉裏の火は赤く、目の奥まで熱が届くようだった。


 ――冬吉は生贄だった。


 村では豪雪が続き、家屋を押しつぶす勢いだった。数年来なかった現象に、雪女の怒りをかったからだ、との声があがりはじめる。それを信じる者が多くいた。雪女は若い男を好むという。そこで家族のない冬吉が選ばれた。怒りを鎮めてくるよう半ば村を追い出されるかたちで雪山に入った。


 死を覚悟したとはいえなかったが。冬吉そういう運命だったのだと受け入れてしまった。けれど雪女がどこにいるかもわからず、ただひたすら吹雪の中を歩き続けるしかできなかった。そして力尽きてしまったのだ――ツララが見つけたあの場所で。


「わたしは幸運だった。それに、あのツララさんが豪雪の原因とは思えない。彼女は何も怒ってなどいないのだから」


 雪女の怒りをかった、などという噂は嘘だったのだ。冬吉は熱湯を飲めとすすめてくるときのツララの真面目な表情を思い出して笑ってしまう。もし、ここで飢え死にするようなことになっても、冬吉は自分は幸せだったと思える。それだけツララに感謝していた。


 冬吉の背中で小休憩していたデンデンは、ふふふ、ふふふ、と笑い出した彼を奇異の目で見つめていた。空腹が限界なんだろう。正気を失いはじめている。


 デンデンはゆっくり背中から這いずり下りると、冬吉の様子をそっとうかがう。距離をとりながら、そっとたずねた。


「お前。ぼくを食べる……?」

「だから、人はカタツムリは食わんといったろう」


 いつの間にかツララが戻ってきていた。


「ツララさん」


 冬吉は戸口に駆けていく。ツララは髪や肩に雪をのせていた。冬吉は丁寧にその雪を払い落とし、頭を下げる。


「すみません、わたしのために」

「あったぞ」


 ツララは手の中のそれを冬吉に見せた。赤くなった指先で、そっと大切そうに包んでいる。


「フキノトウだ。もう春が近い。暖かくなったら、山にも食い物が見つかるようになる。それまでの辛抱だ、冬吉」


 空気が読めるカタツムリのデンデンが、そっとふたりに殻を向けた。


 抱擁する人間と動揺する雪女を見ていたってどうしようもない。今後の二人の関係を思うなら、いよいよ自分が熱湯に入水するしかないだろう。


 囲炉裏では鍋の湯がぐつぐつと煮えている。デンデンは目玉を伸ばして湯をのぞく。


「カタツムリ、食べる?」


 さて。


 雪女が下山したのは、その日の夜である。


 雪女は村を見つけるなり、「米と味噌、豆ももらっていくよ」と叫び強奪すると、突風のように素早く山へと帰った。


 そのころ、囲炉裏では、フキノトウが入った汁もの『雪女の初春~デンデンありがとうスープ~』が完成していたのだが、その出汁がなんであるかは、誰も語ることはなかったという……。


 

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雪女の初春スープ 竹神チエ @chokorabonbon

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