第31話

「ベイカー、すまん。結局私は医者として君に何も出来なかった……」

 この海域の水温では、海に落ちた者は助からない。その事を確信した蘭堂が涙声で呟いた。

 潜望鏡のスコープ内で、船体を二つに分断された貨物船シルバーキーがゆっくりと海中に沈んでいく姿を確認しても叶槻は緊張を解かなかった。潜望鏡を収納しながら次の命令を下す。

「ソナー!海底に爆雷が着低する音を確認せよ!着低したら俺に教えろ!艦首ダウン38度、50まで潜航後姿勢そのまま!2番発射準備!」

 叶槻の命令の意味を理解しかねた艦内はざわついた。蘭堂が皆を代表して叶槻に訊ねる。

「艦長、何を?」

「爆雷が全部爆発するとは限らない。駄目押しをする」

 伊375潜の艦首に海水が注水されて大きく傾く。初めて潜水艦に乗ったナンシーは足元を崩して転倒しそうになるが、その体を叶槻が手を伸ばしてしっかりと支えた。

 微動だにせずに計器を睨んだままの叶槻の顔を中腰で見上げるナンシーは妖しく微笑む。

 深度50メートルまで潜航する中、ソナー手を集中させるために艦内は静まり返っていた。ヘッドフォンに両手をかけたソナー手はやがて報告を始める。

「聴こえます。爆雷らしき物体、立て続けに海底に着低。数は不明ですが10や20じゃありません!」

 爆発音から耳を守るためにヘッドフォンを外したソナー手を叶槻は確認した。それから数秒待って命令する。

「2番、射て!」

 伊375潜の最後の魚雷が斜め下の軌道を保ち、貨物船シルバーキーがいた直下の海底に向けて発射された。

 皆が沈黙する中、前方から鈍い爆発音と海水の揺れが伝わる。その揺れは一瞬で収まることはなく、しばらくの間続いた。狙い通りに伊375潜の魚雷が口火となって爆雷の群が誘爆したのだ。

「艦を水平に戻せ、潜望鏡深度まで浮上!」

 再び浅海に戻り、叶槻は顔を強張らせて潜望鏡を覗き込んだ。

 果たして島はどうなっているのか。

 それまで噴煙を吐き出していた火山は今や灼熱のマグマを上空に高々と噴出している。島全体が上下に大きく振動して、それを受けた海面も激しく波立ち潜望鏡のスコープを何度も濡らしていた。そして、黒い海岸線が眼にわかる速度で泡立つ海水に呑み込まれていくのが見えた。

 島は沈んでいる。

 浜辺に立つ邪神はしばらくの間辺りを見渡すと、その巨体をゆっくりと翻し、来た道を戻っていく。丘の上にまで到達したそれは、一度振り返り、何かを凝視した。

 何を見ているんだ?

 不思議に思った叶槻は、やがてそれがこちらを、伊375潜の潜望鏡を見ていることに気付いた。

 この潜水艦を、いや、俺を見ているのか!

 叶槻の背筋に冷や汗が流れた。

 そんな叶槻の反応を察知して、満足したかの様に、邪な旧い神は頭部を元に戻すと丘をゆっくりと越えて島の奥に消えていった。黒い浜辺は完全に海没し、海面は丘を浸している。海はじきに丘をも飲み込んで、島全体を覆い尽くすだろう。

 成功だ。

 叶槻は潜望鏡を収納して、艦内に響き渡る様に叫んだ。

「島は沈んでいる!奴はねぐらに帰って行ったぞ!」

 それを聞いた全員が喜びと興奮に沸き上がった。

「やった!」

「勝った!勝ったぞ!」

 いつの間にか指令所にやって来た引馬機関長が涙目で呟いた。

「愛工、勝ったぞ。俺たち勝ったぞ……」

 お祭り騒ぎの様な艦内で、叶槻は安堵の溜め息を吐いた。蘭堂が握手を求めてくる。

「世界が救われましたな。艦長は英雄ですよ」

「やめて下さい、こんなことを司令部に話したら病院送りですよ」

 2人はお互いの顔を見て笑い声を上げた。

 がくん!

 伊375潜の艦体が突然下の方向に引っ張られ、完全に気を抜いていた乗組員たちは床に手を付いた。

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