第28話

 正気を取り戻したのは叶槻だけだった。他の者たちも何とかしなければならない。彼は放置されている14センチ艦砲に目を付けた。近寄って調べてみると弾薬は既に装填されている。これで皆の目を醒ましてやる。

「ナンシー、こいつを使う。手伝ってくれ」

 呼びかけられたナンシーは叶槻の元に来たが、武骨な艦砲を疑わしげに見た。

「こんなの触ったこともないわよ?」

「こいつに付いているハンドルを俺の言う通りに動かすんだ。後は俺がやる」

 風はない、距離は近く、的は大きい。当たる筈だ。そう確信した叶槻は頭の中で測距を行うと次々とナンシーに指示を出す。言われた通りにナンシーが幾つものハンドルをあたふたと動かすと、艦砲は旋回して島の方に砲口を向けた。更に別のハンドルを回して仰角を変える。

「そこで止めろ。よし、俺の後ろで耳を手で塞いでしゃがむんだ」

「こんな大雑把な操作で大丈夫なの?」

 背後でしゃがむナンシーの疑念に叶槻は不適な笑みを浮かべた。

「戦艦長門元砲術士官、叶槻保嗣をなめるなよ」

 そう言って艦砲を発射する。

 甲板に大きく砲声が轟き、その場に居た全員の騒乱を一瞬の内に圧倒した。呆気に取られた乗組員たちは叶槻を見た。

 叶槻は丘の上を指差していた。その先では巨大な神が左肩を吹き飛ばされて片膝を付いていた。

「全員あれを見ろ!あいつは現実に存在している!それを否定するな!疑うな!あいつの存在を信じろ!見たままを全て受け入れるんだ!そしてあいつは俺たちの武器で戦える!怯むな、戦うんだ!」

 叶槻の叫びを聞いた兵たちはやがて次々と立ち上がり、雄叫びを上げた。名状し難い、得体の知れない巨大な何かが、自分たちの艦の大砲で片腕を吹き飛ばされている姿を見て、その存在を現実のものとして新しく認識したのだ。恐ろしい相手だが、戦えない訳ではない。彼らは既に海軍軍人に戻っていた。

 しかし、ただ1人だけは狂気に呑み込まれてしまっていた。だいぶ前から心の中に歪みを溜め込み、優秀かつ世俗慣れしたが故に目の前の怪異を現実として受け止められなかったその男は、邪な神に抗え切れなかった。

「嘘だ!あんな化物がいる訳がない!幻だ!俺は信じない!」

 錯乱した愛工は髪をかきむしると、悲鳴に近い声を上げながら辺り構わず拳銃を撃ち始めた。乗組員たちは慌てて彼から離れて叶槻の方に逃げ出す。それを見た愛工は獣のような唸り声を洩らす。

「貴様ら、今更そいつに寝返るのか!許さんぞ!」

「落ち着け愛工!ここで発砲するな!あれは化物じゃない、古代から甦った神なんだ!あいつは自分を疑う者の心を狂わせる力を持っている!だから疑うな!あいつの存在を信じるんだ!」

 叶槻の説得を愛工は頑なに拒む。

「お前も、その女の言うことも信じない!」

 愛工は目を血走らせて拳銃をナンシーに向けた。

「その女のせいだ。そいつが現れてから俺たちは……」

 愛工の拳銃が火を吹いた。

 しかし、その一瞬前に叶槻の抜いた拳銃が愛工を捉えていた。

 胸を撃ち抜かれた愛工はもんどり打って倒れた。彼の拳銃から発射された弾丸はあらぬ方向に飛んで消えた。

 死に直結する痛みを受けた愛工は、ようやく悪夢から目を醒ました。

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