第八場 海溝

 作戦を終えた窓は、眠れずにいた。礼史は作戦を終えた後に『疲れた』といってそそくさと帰宅してしまった。

 そこからは世良さんと、技術談義に花を咲かせた。朝方になってからどうしても父さんの亡くなった屋上に行きたくなって、世良さんに防犯システムの解除をお願いした。世良も気持ちを察してくれたのか、特に難色を示すこともなく、受け入れてくれた。


 窓はエレベーターに乗り、九階へと歩み出た。

 エレベーターホールを曲がり、絨毯張りのフロアを進んでいく。もはや亡霊などが出ることも考えられないし、怪奇音が響くことも無いだろう。それを知っていた。

 真っ直ぐに社長室の前まで歩んできた窓は、立ち止まった。

 警察の調査結果と、先程の帆ノ宮の言葉を思い出し、線を繋いでみる。

 

 ……なんて単純なんだろう。勝手に複雑怪奇に感じていた事が馬鹿らしい。

 窓は自らに嘲笑した。

 あまりに理解不能で、あまりに深そうで、あまりに不安で。

 それはまるで海溝のように、深い深い、溝になっていたのだ。

 でも実際は単純なんだ。想像の範囲を超えない。海溝は海の中にあり、結局の所、図鑑で見知ったような生き物たちがいるだけなのだ。そこに海底人やUMAの存在を想像し、それに怯える必要なんて無い。

 それが、分かっていなかった。


 窓は目を瞑り、亡くなった当日の父親のことを想起した。

 出張から早く戻った父さんは、帰宅せず会社に来た。

 そして社長室で一杯やった。きっとそれが父さんのリフレッシュ方法だった。

 要件があったのか、気分が良くなったのか分からないが、父さんはそこで伯父さんに電話をして、ひょんなことから口論になった。余計に酒が進んでしまった。

 気分を変えようと、おぼつかない足取りで屋上にタバコを吸いに出た父さんは、その帰りに階段で足を踏み外し、帰らぬ人となった――。


 そこに何の悪辣非道なものも存在はしていない。

 強いて言えば、アルコールだ。

 犯人がアルコールとは、一周回って警察の調査通りだから笑ってしまう。

 

 窓は社長室のドアを一瞥すると、小さく「またね」と呟いて、先に進む。

 突き当りを左に出ると、屋上への上り階段が現れる。ここが父さんの亡くなった場所だ。今は通行禁止とするため『KEEP OUT』のテープによって遮られている。窓はそれを屈んでくぐると、階段を上っていく。

 階段を上りきったところに、花瓶が見えた。小さな花が花瓶から咲いていた。その横には缶ビール、缶コーヒー、カップヌードル、タバコが置いてある。どれもこれも秀勝の好きだったものばかりで、どれもこれも埃を被っていないものだった。


 ここに来れば、この光景さえ見れば、自分の行動は違ったのかも知れない。

 窓はそんなことを考えた。そしてウジウジとしていた自分に苛立った。

 鉄哉はここへ来ていた。そして、秀勝を弔うことで自分の中の後悔に、許しを得ようとしていたのだ。つまりは、どうにかしようと行動していた。

 自分なんかより、余程実行力があるじゃないか。そう思った。


 窓は階段を上りきり、振り返ると、手を合わせて目を閉じた。

 どうか安らかにお眠り下さい、と。


 そして世良に借りた鍵を使って屋上の鍵を開け、明け方の屋上へとやってきた。

 ポケットに手を突っ込んで、肌寒さを凌ぎながら、窓は屋上の端までゆっくりと歩く。鳥の鳴き声が同じ高さで聞こえてくる。新聞配達のバイクの音が、ビルに共鳴してどこからか響いてくる。

 また、朝が来たのだ。今日も、生きているのだ。

 窓は誰もいない屋上で、口を開いた。

「どうすればいいだろう。ここへきて僕はまだ迷っている。やるべきことは分かっているし、その方法も見つかっている。父さんがくれた頭が、教えてくれている。

 でもそうすべきかどうかで悩んでいるんだ。二つの道がある。どの道を通っても、辿り着くべき先は分かっている。復讐劇か悲劇で終わるか、それが問題だ。

 では悲劇とはなんだろう、復讐劇とはなんだろう。悲劇は美談なんだろうか、復讐劇とは活劇なんだろうか。敵のいないこの物語の復讐劇とは、誰に捧げるものなんだろうか。現代に生きる僕に出来る復讐とは、前向きであるべきなのだろうか。

 ああ、結論がでない。二律背反というわけじゃない、どこを通るかで悩むだけ。どっちが楽かじゃない、自分がどうしたいかで決めるんだ。

 誰がじゃない、感情じゃない、身体の奥の奥の、僕の心だ。なあ聞いてるか僕の心、お前の本音を言ってみろよ。いつもいつもいつもいつも、人の事を気にしてばっかりいるんだろ、お前。それで適当な理由や敵を見つけて、攻撃したりサボったり、本当はどうしたいんだ。言ってみろ!

 今日はお前に従うよ、それがきっと僕の僕への復讐なんだ――」


 窓は吐き出すように発すると、そのまま大の字に倒れ込んだ。

 太陽が少しずつ顔を出してきて、雲が神秘的な色に染まってきている。

 窓の目から涙が零れ落ちてきた。


「父さん、今までありがとう。父さん、これからも見守っていて……」

 窓は腕で目を覆いながら、その場で泣いていた。誰がいるわけでもない、誰が見ているわけでもない。それでも顔を隠して泣いた。それが窓の、覚悟だった。


◆◆◆◆


 ――翌日。

 窓は歩いていた。手にはメモした地図と住所を持って。

 今日は平日、大学のある日だ。礼史はきっと大学に行っているだろう。携帯を持っていないことを分かっているし、連絡こそよこしてはないだろうけど、学内で姿くらいは探してくれているだろう。もしかしたら、気を遣って、同じ授業では代理で出席の返事をしてくれているかも知れない。

 でも、もうその必要はないんだ。そんなことを考えていた。


 窓は立ち止まった。目の前には『スカンジビルディング』と書いた看板を掲げたビルがある。大きさは丁度<タマル・システムズ>と同じくらいだろうか。

 しかし窓の目指す<株式会社ノウ・ウェイ>は、このビルの四階の一画だけだ。もとはもっと多くのフロアを専有していたようだが、事業の縮小と社員の減少により、今や学習塾とフロアを分け合うほどに小ぢんまりとしているらしい。


 窓はエレベーターに乗り、四階へとたどり着いた。

 団地の一室のようなクリーム色のドアに、百円均一で買えそうな表札板が張り付いていて、そこに『㈱ノウ・ウェイ』と書いてある。そうは呼び鈴を鳴らした。

 しばらくして、中年の男が顔を出す。シワの寄ったワイシャツ姿とボサボサの頭は、とても清潔感があるようには見えない。普通来客に応じるのは、若手社員か綺麗所というのが定石のように思えるが、そんな人員的余裕はないのだろう。

 窓は発した。

「すみません、田丸窓と申します。宇野晴人さんにお会いしたいのですが――」

 中年の男はメガネをずりあげながら窓の顔をまじまじと見ると、

「……はい、伝えてきますので、そのまま待って下さい」

 と、ぶっきらぼうに答えて奥に消えていった。

 来客応対が良くないことは、学生である窓にも分かるほどだ。

 しばらくすると、きちっとしたスーツ姿の宇野が慌てた様子で現れた。

「お前、田丸の……どうした突然!?」

「お話があって、来ました」

「そうか、まあ、入れよ」

 窓は招かれるままに、宇野の後ろをついて歩く。

 お世辞にもきれいなフロアでもなく、先進的なフロアでも無かった。それでも、機材や開発道具は並び、置いてあるパソコンも最新型のように見える。そのミスマッチが、何とも風情を感じさせた。

 奥まった場所に、パーテーションで区切られたスペースが有った。窓の身長でも上から覗けてしまう程度に気密性皆無だ。そこに置いてあるソファーに、窓は案内された。促されるままに、窓は腰を下ろすと、宇野はテーブルを挟んで膝詰めに座った。

 宇野が口を開く。

「……実を言うと、俺もお前に会いたいと思っていたんだ」

「それは、奇遇ですね」

 しばらくの沈黙。その間に、先程の中年男が、ペットボトルのミネラルウォーターを持って現れて、窓の前に置いて、去って行った。宇野が苦笑する。

「……あれが、うちの接待役だ。どうだ、人材難だろ?」

「確かに、そうですね」

 二人とも笑った。何だか会うのが二度目という気がしなかった。

 窓が意を決したように口を開いた。

「その接待役からで構いません。僕をここで雇ってもらえませんか?」

「はあ!?」

 宇野は素っ頓狂な声を上げた。窓は真剣な顔で続けた。

「僕は本気です。本気でここで働きたいんです。ここで、宇野さんのお父さんがしたように、自分たちのアイデアを具現化したんです」

「……お前、本気か? まだ学生だったろ?」

「はい、もし雇ってもらえるなら、僕はすぐに大学を辞めます」

「マジで言ってるのか? 

 別に大学卒業まで待ってもいいだろ。そんで自分の親父の作った会社でも、ここと同じことが出来るだろう?」

「それじゃあ駄目なんです。僕はもうタイミングとか人のこととか考えたくないんです。自分のやりたいようにやりたい。自分の直感を信じたい。父さんがそうしてきたように。それに――」

 窓は拳をぐっと握った。

「――タマルは、もう僕の思い描いた、父さんの作ったタマルじゃない。だから、あそこに僕の居場所は無い。無くて良いんです」

 窓の言葉を宇野は腕組みしながら聞いていた。そしてニヤリと口角を上げた。

「……実はな、同じことを考えてたんだ」

 窓は首を傾げる。

「同じこと、ですか?」

「ああ、俺もお前と働いて見たいと思ってた。まさか、お前の方から来てくれるとは思わなかったけどな――」

 そこまで言うと、宇野は手を差し出し、握手を求めた。

「――こっちこそお願いするぜ。俺に、ノウ・ウェイに力を貸してくれ」

 窓は笑顔でその握手に応じる。

「ありがとうございます。宜しくお願いします」

 しばらく手を握り合って意思を確認しあったところで、窓が口を開く。

「……それじゃあ、僕の考えている今後についてを話していいですか?」

「え?」

「いや、だから、このノウ・ウェイについて僕に考えがあるんですが、提案してもいいですか?」

 宇野は大きく笑いながら、机をバンバンと叩いた。

「お前、思った通りの大物だぜ! どれ、聞かせてもらおうか、お前のプラントやらをさ」

 窓は不敵に微笑むと「では早速」と言って、喜々と作戦を話し始めた――。

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