第七場 開咬

 宇野が帰った後、当初の予定通りに『鉄哉の声色作成』を実行に移すための準備が進められていた。礼史としては一香に申し訳ない気持ちがあったが、何より窓が前に進むために納得できることが大事だと思っていた。だからどう転んだとしても、この作戦を行うことの意義は大きいと考え、他のことは考えないように努めた。


 いよいよ夜になった。必要なものは全て揃っていた。

「リハーサルをしたいんですが、いいですか?」

 窓が口を開くと、世良が頷いた。

「いいよ、やってみよう。じゃあ手はず通り、私の会社携帯から電話するということでいいね?」

「はい、助かります。さっきの話だと、会社携帯からかけた電話は、会社からの電話番号に見えるんですよね?」

「そうだよ。むしろ自分の番号を表示させたい時には、先頭にそれ用の番号を付けて発信しないといけない。何も意識せずに電話すれば、会社の番号になる」

「じゃあ携帯を借りても?」

「はい、どうぞ」

 窓は世良から手渡された携帯を開いた。所謂ガラケーだ。礼史も横から画面を覗き込んだ。窓がリダイヤルのキーを押すと一番最新の発信履歴は『南波蒼人』となっている。その下に『本田礼史』と書かれた発信が二件見えた。日付は昨日だ。それ以前の発信履歴は知らない人物で、日付も二月以上前だった。

「世良さんって、もっと蒼人さんと連絡とってるイメージでしたよ」

 礼史が茶化すように言うと、世良は首を傾げる。

「連絡とってるけど?」

「でも発信履歴にお蒼人さん一つしかないですよ」

「ああそういうことか。古い携帯だからね、リダイヤルに同じ番号は一つしか残らないだけだよ」

「確かに昔の携帯、そうだったかも!」

 礼史は納得するとともに懐かしくなった。今やスマートフォンが当たり前の時代になり、皆が手のひらに少し前のパソコンを持ち歩いているような状況だ。だが少し前までは、このパカパカと開閉するおもちゃのようにすら見えるガラケーが一世を風靡していたのである。

 礼史が技術革新への感慨に耽っていると、窓は納得したように隣で頷いている。

「なるほど、昨日の九階に行った時の蒼人さんへの発信と、礼史の家で受けた電話の二件がリダイアルにあるわけか」

 窓は世良の方を向いて発する。

「リダイアルに帆ノ宮さんが無いんですが、番号分かりますか?」

「ああ、電話帳にあるはずだよ」

 窓は携帯を何やら操作すると、その番号を見つけたらしく、親指を立てて見せた。

 そして今度は礼史の方を向き言う。

「よし、じゃあ今からテストするから、礼史は携帯持って声が聞こえないところに移動して。そうだな、管理人室の外に行って」

「ええ……俺かよ、ちょっと一人で外行くの怖いんですけど」

「仕方ないでしょ、僕と世良さんは携帯とソフトを操作しないといけないし、そもそも僕は携帯置いてきちゃってるし」

 これには礼史も何も言い返せない。泣く泣く携帯をもって、ドアの方に向かった。

 管理人室のドアを開けて外に出ると、やはり暗かった。礼史は少し離れたところに移動し、携帯を構えて今か今かと着信を待ちわびた。

 すると携帯が鳴動する。着信の表示は『㈱タマル・システムズ』となっている。想定通りだ。礼史は急いで通話アイコンをスワイプした。

『…………』

 携帯を耳にあててみたが、無言だった。失敗かと思ったその時――。

『聞いてくれ。秀勝の亡霊が出たんだ』

 礼史は思わず本当に鉄哉から電話がかかってきたかと錯覚した。そのくらい紛うことなき鉄哉の声だった。

「すげえ! 本当に鉄哉さんだよ、これ!」

『……そうか』

「え?」

 礼史は心臓が止まるかと思った。鉄哉が反応したのだ。

『……ああ』

 またもや鉄哉の声。礼史の心臓がすごい速さで音を奏でている。

『……そうか』

『……ああ』

『聞いてくれ。秀勝の亡霊が出たんだ』

 ――あれ?

 流石の礼史もおかしいと感じた。直様走って管理人室に戻る。

 窓と世良が機材を囲んでニヤニヤと笑っていた。

「おい、今の何だよ?」

「伯父さんの声で、相槌を二つ作ってみたんだ。どうだった?」

「めちゃくちゃビビったわ! 本当に鉄哉さんかと思ったぞ!」

 世良が笑いながら言う。

「じゃあ、実験は大成功ってことで」

「いや! 言っといて下さいって! 俺本当心臓止まるかと思いました!」

 窓と世良がまた笑う。実験が成功したことへの喜びもあるのだろうが、礼史からすればその光景には苛立った。

「ちなみに礼史、番号表示はタマルになってた?」

「……ああ、それは間違いない」

「よしオーケー。それなら多分電話に出る」

 窓は納得したように深く頷いた。礼史の憮然とした様子は気にしていないらしい。


◆◆◆◆


 いよいよ、作戦結構の時刻となった。

 流石の窓も緊張の面持ちで、機材の前にスタンバイしている。

「……じゃあ、かけるよ?」

 世良の言葉に、窓は固唾を呑んで頷いた。それを確認した世良の指が、帆ノ宮の携帯番号を表示したところで、発信ボタンを押下する。

 ――プルルルル、プルルルル。

 呼び出し音が、パソコンに接続されたスピーカーから静かな部屋に響いた。

 ――プル、音が切れる。

『はい、帆ノ宮です』

 帆ノ宮が電話に出た。管理人室の中の緊張がピークに達する。

 窓がタイミングを図り、鉄哉の音声を出力した。

『聞いてくれ。秀勝の亡霊が出たんだ』

『……あれ? 鉄哉さん? 今、会社ですか?』

 帆ノ宮が鉄哉と認識した。それはいいのだが、大事な電話の内容に対して何のリアクションもない。窓が用意した相槌を入れる。

『……ああ』

『そうですか、また屋上に、花を持っていったんですか?』

 帆ノ宮の返しに、窓が目を見開く。礼史も予想外の回答に軽く混乱した。

 しかし、窓は冷静だった。用意した二つの言葉を組み合わせていく。

『……ああ』

『聞いてくれ。秀勝の亡霊が出たんだ』

 会話として成り立っている。鉄哉の合成音声だということもバレてはいない。

 にも関わらず、帆ノ宮の口は予想外のことを発する。

『鉄哉さん、またですか?』

 帆ノ宮は続ける。

『何度も言っていますが、そんなに気に病まないで下さい。事故だったんです。あなたが何をしたわけではないでしょう』

 管理人室の三人は思わず目を見合わせた。そんな会話を聞かれていると夢にも思っていないだろう帆ノ宮は、ペラペラと言葉を発し続ける。

『あなたと秀勝さんが直前まで電話で口論なさっていたのは知っていますよ。でもね、だからと言って、あなたのせいじゃない。確かに秀勝さんの耳に毒を吹き込んだかのも知れないですが、実際に毒を打ち込んだわけでもないでしょう。だからあれは、秀勝さんが酒に酔って起こした事故なんです。いい加減に割り切って下さい』

 窓は呆然としながらも、きちんと相槌の操作を行った。

『……そうか』

『そうですよ。あまり気に病まないで下さいね。

 それはそうとこっちも大変ですよ。娘がおかしくなって部屋から出てきません!

 まったく、あなたの甥が変なことをするからです!』

『……そうか』

『じゃあもう切りますからね、鉄哉さんも早く帰って下さいよ』

『……ああ』

 その相槌を最後にして、窓は通話の終了を合図した。それを見て世良も速やかに携帯を操作して通話を終わらせる。

 その瞬間、一同からフウと息が漏れる。無意識に息を殺していたらしい。

 しばらくして、窓は眉間に皺を寄せて腕を組む。

「……そうか」

 礼史も隣から発する。

「何て言うか、予想外だな」

「うん。あまりに上手く聞き出せすぎて、途中で笑いそうになったくらいだよ」

 窓は含み笑いした。しかし直様暗い表情になる。

「会話から察するに、伯父さんはもちろん、帆ノ宮さんも、父さんのことを殺したとは考えにくいね。むしろ恨んですらいないような気がしたよ」

 窓が戸惑っていることが手にとるように分かった。

 自分の尊敬する父を亡くし、ぶつけようのないストレスのようなものをずっと抱えていたのだ。そして結婚記念パーティーでのヒールっぷりにより、ようやく敵を見つけたと思った。明確なストレスの矛先を見つけた。更には亡霊が『鉄哉に殺された』とまで宣ったのだ。その刃を向けて、ようやくこのストレスから開放される。そんな風に思っていたのではないかと思う。

 でも実際には、敵だと思った人間も、自分と同じように故人を偲んでいたのだ。またストレスの矛先をなくしてしまった。戸惑いの中に、戻ってしまった。

 礼史は親友の心を慮って、問いかける。

「……どうするよ、この先」

 窓は黙って虚空を見つめていた。そして目を開いたまま呟く。

「……楽しかった」

「え?」

 礼史は思わず上擦った声で返事をした。

「楽しかったな、ソフト開発」

 窓は世良の方を向く。

「……思いついたものが形になって、その通り動くのって、楽しかったです」

 どうやら『鉄哉の声色作成』のために作成した、音声合成のソフトについてのことを言っているようだった。世良もそれを理解したようで、笑顔で頷く。

「……そうだね。私も久々に夢中になったよ」

「今回、思った結果とは違ったけど、すごい収穫を得ました。

 礼史、開発って楽しいよ! 僕は改めてこの仕事がしたいって思った!」

 窓の目は輝いていた。

 礼史はその顔を見て驚いた。ここ一年ずっと見ることが出来ていなかった、親友の心からの笑顔だったからだ。

 やはり、今回の作戦は成功だったんだ。礼史は確信した。結果は思った内容とは違ったけど、それでも親友は前に進むことが出来たように思えた。そのことが嬉しかった。

 だが同時に、礼史の中に違和感が残っていた。

 一つ一つの疑問は大したことはないように思う。それでも、その疑問点というアトランダムに点在していたものが、どこか一本の線で繋がりそうな、そんな気持ちの悪さが礼史の中に残っていた。

 ――この違和感はなんだろう。

 思いはしたが、今は事が順調に進みかけている。礼史は口には出さずに、自分の中に留めることにしたのだった。

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