7日目

第29話 家族


 決意新たに、最後の一日をひとりで過ごすことになったヨウスケが向かったのは、住み慣れた自分の家だった。学校から出て、毎日通っていた道を歩く。早朝ということもあって、すれ違う人はまだ多くない。犬の散歩をする老人や、仕事へ向かうサラリーマンがいれど、見知った顔はなかった。


 そんな人々を見るヨウスケは、どの命も尊いものだとわかっているから優しい目をしていた。そして死後初めて帰ったときとは違い、その足取りは強いものになっている。


「ふう……ただいま……」


 歩いて帰り、自分の家の前に立つ。

 今度は手が震えることはない。慣れたように、閉ざされた玄関の扉をすり抜ける。

 時間帯も相まってか、まだ中から声は聞こえない。しかし、時間的にも誰かしら起きているはずだ。

 今のヨウスケは一人。中で家族がどんな状態であっても、ヨウスケが精神的にダメージを受けたとしても、もう誰も声をかけてはくれない。


 前回はあの野良が、そしてミヤビが支えてくれた。その支えはもうない。

 でも、みんなを見送って、心が成長した今ならば家族に会っても逃げ出すこともないと確信していた。


「ただいまっと。母さん? 父さん?」


 丁寧に並べられた靴。そこにヨウスケのスニーカーはない。父親のビジネスシューズに、母親と妹の小さな靴。そして祖父母の渋い色の靴があるだけだ。もう、ヨウスケの荷物は減らされていた。しかし、玄関にある小さな棚の上には、家族全員が写る写真が置かれている。ヨウスケもうつったそれを毎朝見ることになっているのだろう。

 そんな小さな変わりように加え、ついこの前、ヨウスケが死後初めて帰宅した時とは漂う空気がどことなく違う。重い空気が少し和らいでいるようにも感じた。


 ヨウスケは靴を脱ぎ、家の中へと入っていく。

 玄関から最も近いリビングへと向かえば、そこから見えるキッチンに母親が立っているのが見えた。

 後ろ姿だけでもわかるほどに、やつれてしまった母親。そろっと近づいてみれば、その顔には暗い悲しみが浮かんでいる。


 息子を無くしても、生活を取り戻して、生きていくために必要な家事をやらねばならない。ヨウスケが亡くなってもう七日目。少しずつではあるが、現実を受け止めて前を見ているのだろう。


「おはよう」


 リビングに父親が入ってきた。

 まだ寝癖が着いた頭ではあるが、きっちりとネクタイを締めている。しばらく休みを得ていたご、収入がなければ生活できない。悲しみを抱きながら、仕事を再開しているのだろう。


 働かなければ生きていけない。

 生前はだらしなくて、嫌いだった父親ではあるが、大黒柱としてしっかりとしている父親の姿を見て泣きそうになった。


「ご飯、できているわよ」


 母親が泣きそうな声で小さくそういうと、父親は自らご飯をよそった。

 今までの生活では見ることができなかった光景である。

 朝食の支度をしている最中、祖父母、そして妹もリビングへ来た。

 高齢なだけあって、もとから細かった祖父母もさらに細く、小さくなっているように見える。


 一方で妹はというと、相変わらずウサギのように目を真っ赤にして腫れぼったくなっていた。あんなに女の子は可愛くなくちゃいけないと騒いでいたのに、髪はボサボサで、虚ろな目をしている。


 自分に似たその目を見て、ヨウスケの心がチクリと痛んだ。


「俺もここに、いたんだよなぁ……」


 家族全員分の朝ごはんがダイニングテーブルに並べられる。その一角の空いた席。そこがヨウスケの定位置だった。

 今はそこに、何も置かれていない。


「あ、お兄ちゃんにもあげなくちゃ」

「お願いね」


 妹がヨウスケの使っていた茶碗にご飯をよそい、それを持って移動する。

 そのあとをついて行くと、和室へと入って行った。そこには今までなかった棚に、笑うヨウスケの写真。そして、白で包まれた骨壺が置かれていた。

 そこへご飯を供えて手を合わせる妹。小さく震えているように見える。


「ありがとな」


 妹の頭に手を乗せてつぶやいた。

 もちろん、実際には触れられていない。すり抜けてしまうからだ。それでも、頭をなでるように手を乗せた。


「……おに、いちゃ……?」


 パッと顔を上げた妹に一瞬どきっとした。

 まさか自分の声が聞こえているはずはない。だけど、タイミング的にもぴったりだった動きに驚いてしまった。


「私……お兄ちゃんがいなくなるなんて……嫌だよ、嫌だ」


 やはりたった数日で家族の死を受け入れることはできない。

 手で顔を覆い、ワンワンと泣きじゃくる妹。その声を聞いて、リビングから家族がぞろぞろとやってきた。


「俺も、まだ……」


 まだ生きていたかった。その言葉を飲み込んで、ヨウスケは身につけていた荷物の中からノートを取り出す。


 黒板にメッセージを残せたように、ノートに書いて残したい。たとえ、自分が最期を迎えともに消えるとしても、少しの間だけでも感謝を伝えたい。

 テーブルもないこの和室で書こうにも、悲しむ家族を前に書けない。だから二階の自分の部屋へと走った。


 部屋はそのままの状態を維持してあった。玄関にあるはずだった靴もここに集められている。

 それ以外はなんら変わりない部屋。小学校入学時から使っている学習机を使い、ノートに書きはじめる。


 家族全員それぞれに書ければよかった。でも、父親はもうすぐ仕事へ行かねばならないだろう。そして帰ってくるころには、ヨウスケはすでにいなくなってしまう。

 だったら全員に向けたメッセージを書こう。

 きっと家族にも見える。そう信じて書き綴る。


『みんなへ

 急に死んでしまって、本当にごめんなさい。俺も、まだ生きていたかった。生きてまんなにお礼も言いたかったし、親孝行もしたかった。でもそれはかないませんでした。けれど、ずっと俺がいないことを悲しまないでください。俺はここで生まれて、幸せでした。だから恨まないで。俺の分まで生きてください。俺はこの家族が大好きです。今までありがとう。 ヨウスケ』


 綺麗な文章なんて書けない。だけど、これで本当に最期なのだと、思いのまま書いた。


 悲しまないでというのは無理だ。でも人は少しずつ、失ったことを受け入れていくものだと、ずっと前に読んだ本に書いてあった。そのタイトルすら覚えていないが、きっと家族みんななら大丈夫。だってずっと一緒に生活してきたから。きっと乗り越えられる。そう信じている。

 これが本当に最期なのだ。そう思ったら、涙が止まらなくなった。


 文字がにじんだ手紙を持って階段を下りれば、和室で妹がわんわんと泣いているのが聞こえた。その傍にみんなが集まっているようで、ヨウスケの名前を呼ぶ声や低い声で「しっかりしなさい」と励ます父の声も聞こえる。

 家族が泣く姿をちらっと扉の方から覗いたあと、ヨウスケはリビングのテーブルの上へメッセージを書いたページを破って置く。


「読んでもらえますようにっ!」


 パンパンと、神頼みするように手を合わせる。

 そして次なる会うべき人に会うため、悲しみに包まれた家を離れようと玄関で靴を履いているとき――


「俺、そろそろ仕事に行くから……おい!」


 時間が迫っている父親が、和室から出てきた。そしてリビングへ入るなり声を上げる。


 父親の慌てる声を聞いて、家族みんながリビングへと向かった。


「これっ……そんなっ!」

「お兄ちゃんっ……!」

「ヨウスケが、書いたのだろう……この汚い字、間違いない。あの子は俺たちのことを思って化けて出てきたのかもな」


 どうやらヨウスケの残したメッセージは家族に伝わったようだった。

 信じられないメッセージを見て、再び涙が流れる。でも今度は、悲しみの涙ではない、そう思った。


「俺のために泣いてくれて、ありがとう……さようなら」


 誰にも届かない声。しかし、家族の心には確かに届いていた。

 やり残したことの一つを終えた。

 伝えることができないと思っていたが、ちゃんと気持ちを伝えることができた。

 あの紙がずっと残るかはわからない。

 でも、家族に伝えた感謝はずっと残るだろう。


「あとは――」


 もう一人。伝えなければならない相手、親友がいる。時間的に見れば、もう学校へ行ってしまったかもしれない。

 でも、ヨウスケはそうとは思えなかった。

 その理由はない。長い付き合いだからそう感じたとしかいえない。


「ハヤトがいそうなところか……」


 家でひきこもっているかもしれない。

 息抜きに出かけているかもしれない。


 気が滅入った親友が向かう場所といえば、数が絞られてくる。


 しらみつぶしに探そうと、ヨウスケの足は、家を出てまっすぐにある場所へと進んでいた。


 走っていた足を止めたのは、ヨウスケの自宅からさほど離れていないハヤトの自宅。住宅街から少し出たところにあり、広い庭にバスケットゴールがあるため見間違えることもない。


 兄であるハヤトはサッカーを、弟がバスケ。さらに妹は剣道をやっており、家族そろって運動能力に長けている。


 小さい頃にハヤトの家で遊ぶときは、弟や妹も混ざってバスケをやったものだ。

 あの頃は楽しかった。そんな年寄りみたいな言葉が込み上げてくるのを飲み込んだ。

 そしてふぅと一息。意を決してから、親友の家の中へと踏み込んだ。


「お邪魔、しますよー……」


 申し訳程度に挨拶をし、靴を脱ぐ。

 物音ひとつせず、静かだった。誰もいないだろうと思いつつ、念のためにハヤトの部屋へと向かう。


 階段を上ってから一番奥の部屋。そこがハヤトの部屋。何度も来た事がある部屋の扉をすり抜ける。


「ハヤトー?」


 昔から変わらない部屋。ヨウスケと違って整えられた部屋に、ハヤトの姿はなかった。


「やっぱりいないのか……」 


 ちょっとした好奇心もあって、親友の部屋をフラフラと見る。そして机の上に伏せられた写真立てを見つけた。どんな写真が入っているのか気になって触れてみる。


 その写真立てのガラス部分にはヒビが入っていたが、中にに飾られていた写真は綺麗だった。そこには、ハヤトと一緒に肩を組むヨウスケが写っている。

 その写真のことはヨウスケもよく覚えている。


 高校のサッカー部で初めて二人そろって公式の試合に出たときのものだったのだ。ハヤトのパスをもらったヨウスケのシュートが勝利の決め手となった。その時の喜びと言ったら、言葉にできないほどである。


 そんな写真を伏せているハヤトの心情を、ヨウスケが理解できないわけがない。


「ハヤト……」


 急に親友を失い、写真を見ることすら拒んだのだろう。

 今のサッカー部で優勝するのだっていう目標すら見たくないのか、いつも使っている練習着もバッグも無造作に部屋に残されている。


 やはりハヤトは学校へ行っていない。

 親友のところへ行かなければいけないと改めて思った。

 ヨウスケはバッグからノートを破って、文字をつづる。


 それは短いけれど、気持ちを込めたものだった。

 もし、ハヤトに出会えなかったときは、この手紙を読んでくれればいい。そうしたら、自分の気持ちが伝わるはず。万が一の方法だ。


 ささっと書いて、置きなおした写真の前に置いておく。

 こうすれば嫌でも目に入るだろう。



 写真に満足し、ヨウスケはハヤトの家を出た。そしてまた、親友探しに向かう。

 太陽はもう、高く昇っている。ヨウスケに残された時間はもう、長くない。


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