第24話 俺のせいで。


 壊れた人形かと思うほどに、同じ言葉を狂うほど呟くたびに、どんどん影がヨウスケを浸食していく。それを気にとめることもなく、ヨウスケはつぶやき続ける。


 それに鼓動して、影が勝手に動く。ヨウスケを覆っていく様子は、守るようにも、苦しめるようにも見える。

 そんな見たこともない光景だが、ミヤビは直感でよくないことが起きているとわかった。


 このまま影によって黒く染められてしまったら、ヨウスケは悪霊になってしまうのではないか。

 そのままずっと人を恨み続けて、この世界に残るのではないか。


 まるでファンタジーのような想像だが、死んでもなお、この世に残っている時点でファンタジーだ。今更、不思議ちゃんのような考えだとはミヤビは思っていない。まして、はなから物語が好きなこともあって、固定概念を捨てて、この可能性を本気で信じている。


「ヨウスケさんっ!」


 虚ろなヨウスケに近寄って、気を確かに持ってと体を揺さぶるために手を伸ばす。しかし、触れた途端に、感じることのないはずの皮膚が裂けるような感覚が全身を走った。


 脊髄反射で手を引っ込めてから、やっと痛いとわかる。手を見れば、何かに斬られたかのよう血がドクドクと流れ落ちていた。


 ミヤビは死後に血が出るなんて思ってもいなかった。久しぶりの痛みで顔をしかめる。しかし、これ以上の痛みをヨウスケは生前負っているのだ。それを考えたら、どうってことない。それに、すでに死んでいるのだから出血量を気にすることはない。ミヤビは歯を食いしばって、顔を上げる。


「ヨウスケさん! ねぇ、ヨウスケさんってば!」


 ただ痛いだけならば、我慢できる。

 ミヤビは裂けるような痛みを堪えて、ヨウスケの体を揺さぶった。


 しかし、ミヤビがいくらヨウスケの名前を繰り返し大きな声で呼んでも、ヨウスケの目には光が戻らない。ひたすら人を恨む言葉を吐き続けては、真っ黒の影に体が浸食されていく。

 ずっとヨウスケに触れていたせいで、ミヤビの手から流れた血が、地面に赤い水たまりを作っていく。


「ダメですよ、ヨウスケさん! このままじゃ……このままじゃ、ヨウスケさんが悪い幽霊になっちゃいますよ!」


 どんな言葉も今の虚ろなヨウスケには届かない。

 ヨウスケの瞳はミヤビを写さない。ただの黒い影を写しているだけ。


 一体どうしたら見てもらえるか。

 それをじっくり考えることはできなかった。

 どうにかしていつものヨウスケを取り戻りたい。それだけの思いで、ミヤビはパッと手を上げた。


 パチンと皮膚を叩く乾いた音がする。

 唯一黒く染まっていないヨウスケの顔の右側をミヤビが思いっきり叩いた。

 血が流れ出ていたミヤビの手。そこについていたミヤビの血が、ヨウスケの頬へうつった。


 もともと体は弱く筋力もなければ、力の弱いミヤビ。加えて利き手ではない左手なので、さほど強くはないだろう。それでも今のヨウスケにはそれがかなり効果的だった。


「ミヤ、ビちゃ……?」


 うつむいていた顔を少しだけ上げたヨウスケ。虚無を見ていたヨウスケが、やっとミヤビを認識する。


 活力のない真っ黒なその瞳に、必死に涙を堪えてふんばるミヤビが映り込む。

 ずっと負の言葉を発していたヨウスケの口からも、やっとミヤビの名前が出た。


「そうです、私です」


 ミヤビは初めて人を叩いてしまったことに対する申し訳ない気持ちと、やっと自分を見てくれたことによる安心から涙がでそうになるのをこらえた。


「お、れは……」

「ヨウスケさん?」

「ぜん、ぶ……殺さなきゃ。俺を殺した、あいつだけは……殺さなきゃ。同じ目にあわせない、と……?」


 こんな目に遭わせた犯人だけは、殺さなきゃいけない。同じ目に遭わせないといけない。


 あの鬼のような顔は覚えている。

 狂ったような真っ赤な目をした男が、何度も何度も刺してきたことをはっきりと思い出していた。


 刺された箇所に手を当てて、傷口を確認しようとする。その時にやっと、自分の体に起きた異変に気がついた。


「何だよ、これっ……! 俺、どうなって……?」


 真っ黒に覆われた体と、手から血を流すミヤビ。

 何もわからず、ヨウスケは悲鳴をあげそうになった。


「ミヤビ、ちゃん……? それ、俺がっ……?」


 嫌でも記憶に残っている真っ赤な血。それをミヤビが流している。それによって、正常な思考が戻ってくる。

 ドクドクと血を流すミヤビを見て、ヨウスケ自身がまるで殺人者のようにさえ思えた。


 自分を殺した恐ろしい殺人者と自分が全く同じ。

 再びズキズキと頭が痛み始める。


「やっ、ぱり……お、れが。俺が、俺が、俺がっ……俺がいたから、俺が……全部……。じゃあ俺はやっぱり……」


 何も言えなかったミヤビから、ヨウスケ自身がミヤビを傷つけたのだと悟る。

 出会ったときからミヤビに助けられ、励まされてきたのに、傷つけてしまった。

 距離を置くことで、傷つけまいとしたのに、今回どういうわけか、意図的ではないにしても、酷いことをしてしまった。

 どうしたらいいのかわからず、うつむき、体を丸めて自分を責めることしかできなかった。


「俺のせいで。俺がいたから。俺が悪いから。俺がダメだから。俺は邪魔だから。俺がいなければ……」


 自分を責める言葉を繰り返す間にも、ジワジワと影がヨウスケを食らっていく。


「ヨウスケさん」


 パニックになったヨウスケの名前を、落ち着いた声で呼んだ。

 その声でゆっくりと顔を上げて、ミヤビを見る。ミヤビの顔は、痛みに耐えている顔でも、ヨウスケを責める顔でもなく、眉毛を下げた優しい笑顔だった。


「よかった」


 ミヤビは自分が傷つくことを恐れず、ヨウスケに抱きついた。首に手を回し、ぎゅっと体を寄せる。

 肌が触れあい、ミヤビの体温が伝わる。温かいそれが、死んでいるのに生きている矛盾をもたらすも、冷え切った心が解けていく。

 その途端、ヨウスケを覆う影がみるみるうちにと引いていった。


「ミヤビ、ちゃん……?」


 何をされているのかわからず、おそるおそる名前を呼ぶ。


「いつもの、ヨウスケさんに戻ってくれて……本当によかった……」


 ヨウスケからミヤビの顔は見えないが、すすり泣く声が耳に入った。

 自分のために泣いてくれる人がいる。

 それだけヨウスケのことを思い、考えてくれている人がいる。

 黒く染まったヨウスケの心は、温かみのある優しい色へと変わっていった。


「ああ、ごめんね……」


 肌色に戻った手で、そっとミヤビの背中に手を回す。

 一瞬だけ、その手にピクッと動いたミヤビだったが、そのままの体勢をとり続けた。


 十五分ほど経って、すっかり泣き止んだミヤビは顔を真っ赤にしてヨウスケから離れる。

 目を合わすことも恥ずかしいのか、今度はミヤビがヨウスケを見ない。


「ごめんね、ミヤビちゃん。痛かったよね」


 赤くなったミヤビの手をとる。地面にこすって擦りむいたような傷が手のひら一面に、そしてハサミで切ったような深い傷がいくつか出来ていた。


「大丈夫です。これくらい。へっちゃらですよ」

「……平気じゃないよ。その痛みは俺がよく知ってる。痛いよね。ごめんね、俺が弱いせいで……」

「確かに痛みはあります。でも、これでヨウスケさんを助けられたのならへっちゃらなんです。だって私、病院でいっぱい痛いことをしてきましたから! 痛みに強い方なんですよ」

「そっか。でも、ひとまず……手と、顔。洗いに行こうか」

「はいっ」


 血を洗い流し、顔も洗ってスッキリさせよう。そういう提案をした。

 トイレまで向かい、今回はちゃんと男女別で別れた。

 一人になったヨウスケは、トイレに入るなり、自分の顔を覆うように手で隠す。

 隠せなかった耳が真っ赤になっている。


 ここまで自分と向き合ってくれる人はいなかった。自分を犠牲にしても見ていてくれるミヤビに好意を持った。前から好意の欠片は持っていた。エミリとイツキ、共に移動していたときから。


 無邪気でありながら、しっかりと芯を持った姿が羨ましく、気になった。

 そしてトドメは今回の出来事。


 身を挺してまで、出会ってからたった数日の自分を助けようとした。

 それが彼女のやり残したことであるからかもしれない。

 人を助ける、支える。それをやりたいのだというのだから。

 それがわかっていたヨウスケの心は、ミヤビへ持っていかれた。


 一緒にいたいけど、残りの期間、ミヤビの願いを叶えたい。

 火照る顔を冷水で洗い流し、この気持ちもまだこっそりとしまっておくことにした。


「お待たせしました」


 ヨウスケが通路で待っていると、ミヤビがゆっくりと出てきた。長い髪を高い位置で一つにまとめている。


 すでにクセがついてしまった毛先が、まるでパーマをかけたように緩くウェーブがかっていた。

 髪飾りとしてつけていたものは、使える限り使ってサイドやトップに。一部の飾りは来ている服にヘアピンでとめた。


 先ほどまでと少し雰囲気の変わったミヤビ姿に、ヨウスケはどきっとする。


「ううん。全然待ってないよ。それじゃあ、行こうか」


 好意に気づかれないように、ヨウスケはなんとか平静を装った。


「行こうって……どこへですか?」

「そりゃあ……今度はミヤビちゃんのやりたいことをやりに、だよ」


 ヨウスケにもできる、ミヤビのやり残したこと。それは、「学生生活を送りたい」だった。


 ミヤビは生前入退院を繰り返していたから、あまり学校に行けていない話を聞いている。だからこそ出たものである。


 細かく計画しているわけではないが、思い当たることはある。それでミヤビが楽しいと思えるかはわからない。でも自分にできる精一杯のことをやりたい。それがヨウスケにとっての希望であり、願いでもある。


「さあ!」


 なにをするのだろうと考えるミヤビの手を、ヨウスケが優しく握った。

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