第19話 さようなら


「エミリさん、イツキさんっ……! おふたりとももう……体から光がっ……!」


 ミヤビは小さな体を震わせながらそう言った。

 光が放たれている二人も自身の体に起きていることに気づいているようで、まじまじと光の粒子を見ている。


 少しでも体を動かせば、同じように光が流れるように出る。ウエディングドレスの裾を持ってクルリと回ったエミリは、まるで天の川のようにキラキラと光が放たれる。


 もうこの世に留まることができないことを示す光が出てきたら、不安になるのではないかと思っていたヨウスケの想像とは違っていた。


「僕らもそろそろ、終わる時間なのか……まあ、そうだよね。あの日からもう七日経つものね……」

「めっちゃ早い! もう年老いたおばーちゃんになった気分だわ」


 体感的には、辛い時間ほど長く、幸せな時間ほど短く感じる。

 平等に与えられた時間でも、感覚は人それぞれだ。


「ふふふ。そうだね。エミリの言うとおり、本当にあっという間だった。死んでから色々とありがとうね、二人とも。僕らがいろいろと迷惑かけてごめんね」

「迷惑だなんて、そんなことないっす! マナーも何もない馬鹿な俺にもいろっーんなことを教えてくれて……それに俺、こういう変わったことをやれて楽しかったんで! 俺、やりたいこと、やりますから!」

「ふふ。ありがとう、ヨウスケくん。そう言ってもらえると、とても嬉しいよ。しっかりやることやれるといいね」


 そう言って笑うイツキは、いつも通りの優しい顔だった。

 思わずその様子に、ヨウスケがドキッとしたのは誰にも気づかれていない。

 きっとイツキみたいな人は、男女問わずに人気があるんだろうななんていう感想を抱いた。


「てかさ、てかさ。ウチらの体から光出てるとか、まじヤバくない? こんな光が出てるのでも、全然痛くもかゆくもないのってヤバくない? ちょーミステリーすぎる」

「ヤバいというか……ものすごく不思議だよね。ほら、人間の組成ってたんぱく質とか水とか……そういうもので出来てるはずの体から、何で、どうやって光が放たれるのかわからないもんね。不思議」

「あっ! そういうの漫画で読んだよ。水を数十リットル、炭素何十キロ、あとはアンモニアとリンと塩? その他の元素をもろもろ入れて、人の血を入れると人ならざるものが生まれるやつ!」

「そうそう。その成分にどこにも光るものなんてないのにね?」

「てか光って最早何。光エネルギーじゃん。よく分かんないけど、つまりはヤバいってことっしょ? ウチらマジヤバい」


 どんどんと光が放たれ続けているというのに、ペラペラと話すことからしてもエミリの調子はいつもとなんら変わらなかった。

 挙げ句の果てには、最近読んでいたのであろう漫画の話を楽しそうにイツキにしている。


 いつもとあきらかに違うのはミヤビだ。交互に二人の顔を見ては、ぼろぼろとずっと泣き続けている。落ちた涙はドレスが受け止めた。


「うん? あははっ! 今になってミヤビちゃんが泣くなんて、変なのっ! せっかくのキュートなお顔が台無しだよ! ほら、泣かないでって」

「でもっ……二人がっ」


 エミリがミヤビの涙をぬぐってあげる様子は、まるで姉妹のようだった。

 ヨウスケの周りには姉妹だけの友人はいない。いるのは、兄弟と妹の三兄弟ぐらいだ。男女の場合では、このような優しい場面は見られない。ヨウスケの妹も含めて、基本的には喧嘩ばかりの兄妹しか知らない。

 だから姉妹という関係に幻想を抱いているのだった。


「ね、ミヤビちゃんもさ、ヨースケくんもさ! 二人に残りどれだけ時間があるのかわからないけど、その間に好きな事を、やりたいことをやって、言いたいことを言って、それで……」


 ミヤビをなぐさめつつ笑ってはいるが、次第に声が震えだし、エミリの目からは静かに涙がこぼれ始めた。

 ずずっと鼻をすすり、指で涙を払ってからエミリは言う。


「この世界に生まれてよかったって、そう思えるようにしなよ、ね!」

「……ふぁい!」


 顔をくしゃくしゃにして、笑っていた。

 女の子同士の友情とはこういうものもあるのか、なんて思いながら見守る。友情を描いたドラマのようで、ヨウスケはただの、部外者、そして視聴者のように感じた。


「ヨウスケくん」


 感動の場面を見ていると突然名前を呼ばれて、肩が動く。顔の向きを変えればイツキの目が、ヨウスケを真っ直ぐと映す。


「ヨウスケ君。僕は君に会えて本当によかったよ。出来れば……過去には戻れないし、できっこないんだけどさ、本当は死ぬ前に会いたかったなあ。それだけが心残りだ」

「っ……すんません」

「やだなぁ、謝らないでよ。今のはちょっとした愚痴になっちゃったね。本当に言いたいのは、君へのお礼だ。だって、君は他の人と違って、話を聞いても僕を否定しないでくれた。それだけで僕は救われたよ」

「いや、俺は、なにも……できなく、て……」


 ただただ、場の空気を悪くするような発言をして、イツキの話を聞いていただけ。

 ヨウスケを嫌うことなく、身の上話をしてくれたイツキの話を聞いて、イツキが提案した内容にそのまま乗っていただけ。

 まさにおんぶにだっこの状態。

 ヨウスケ自身からは何もしていない。ずっと受け身でいただけ。だから、イツキに「会えてよかった」なんて言われる理由なんてない。そう思ったら、何も言葉がでなくなった。


「何にもできていないなんてことはないよ。そこにいるだけでも、話を聞くだけでも。たったそれだけでも心は助かるんだから」

「それじゃ、俺はただの置物じゃ……」


 何もせずにそこにいるだけ。それでは人間として意味があるのかわからず、ヨウスケの気持ちは沈んでいく。


「ヨウスケくんはもっとやんちゃな人かなって思っていたけど、自分を過小評価しすぎている神経質な人だよね。周りの人を良く見ている。会話がなくなるのも怖くなっちゃうんでしょ? もしかして、死んじゃう前に何かあったのかなって思ってた」


 サッカーに対してはともかく、普段のヨウスケ自身の行動に対して評価は高くない。思ったことを言って空気を悪くしてしまったことは数知れない。

 思い当たる節が多く、ヨウスケは口をぎゅっとつぐむ。


「……人は話さないと何もわからない。だから、話すことは大切だよ。でも話したら関係が壊れるかもしれない。僕らは生きている間はそれが怖くて、何もできなかった。それだけはずっと後悔していたんだ。でも、死んでから初めて君に話せた。それで救われた。消える前に大切な人に会ってないことだけは、残念だ。だから――……」


 イツキの大きな手がヨウスケの頭の上へ伸びる。その手のおかげで、イツキの顔を見ることはできない。

 幼い頃は父親によくなでられていたが、成長するにつれてされることはなくなった。


 だから兄のような父親のような優しさをもつイツキに撫でられ、恥ずかしさと安心感を感じた。


「どうか、君は何も後悔しない最期を迎えるために、例え会話することができなくてもきっと気持ちは届くだろうから、大切な人にはちゃんと会いに行くんだよ」


 そう言って乗せられた手の質量がどんどんなくなっていく。慌てて顔をあげると、二人の下半身はすでに光の粒子となり、消えていた。そして、指先からも光が溢れる。


「ああ、もう時間みたいだね。残念だけど、僕らは先に逝くよ」

「じゃーね!」


 本当に残念そうな顔をするイツキと、笑いながら大きく手を振るエミリ。次々に光が溢れていくと、二人は優しく笑い合う。


「ねえ、エミリ」

「うーん?」


 イツキの声に、エミリはどうしたの?と言わんばかりの表情を向ける。


「ありがとう、エミリ」


 優しい声でほほ笑むイツキ。エミリは一瞬だけびっくりした顔をしたのち、すぐにいつもの調子を取り戻す。


「こっちこそ、ありがと、イツキ。馬鹿なウチにも付き合ってくれて」


 イツキが最期に感謝を伝えたかった相手はエミリだった。

 近い距離にいるから、伝えることも難しいこともあるようで、イツキとエミリは満足した顔で光に包まれ消えていった。


 最期にパリンと、ガラスが砕ける音が聞こえ、淡い青色がきらめいた。


 ――ありがとう。


 光の粒子が空へと上っていくとき、ヨウスケの耳には、二人の声でそう聞こえた。

 気のせいかもしれない。空耳かもしれない。


 でも、確かなのは暖かい光が二人をよく表しているようだった。

 だからヨウスケの心は悲しみではなく、穏やかだったことは間違いない。

 光が天へ上り、見えなくなったときには、チャペルに夜が訪れた。

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