第16話 怖くない?


 さらに先へと探索していって見つけたのは、衣装ルームだった。

 男女別に別れており、女性用の部屋から楽しそうにはしゃぐ声がわずかに聞こえる。


「どうやらエミリたち、楽しそうにしてるみたい」


 部屋の外にいてもきゃっきゃっとはしゃぐ、いかにも女子というような声が聞こえる。

 楽しそうな声とは対照的に、男子の声は落ち着いていた。


「俺らも入ってみましょ?」

「そうだね」


 もちろん女子の方へ行くわけじゃない。隣り合う男女別の衣装ルームへと体をすり抜けて入った。

 衣装ルームの小さな窓から入るわずかな光に照らされて見えたのは、二面の壁にずらりと綺麗に収納されているいくつものタキシードだった。


 グラデーションになるように並べられたそれは、サイズも様々。わずかなデザインの違いがあるものの、オシャレに疎いヨウスケが、その違いに気づかない。


「すごいね。こんなにたくさん。こういうの、着れたらよかったのに……な?」


 イツキがふと目に入ったタキシードに、手を伸ばした。

 どうせ触れやしない。

 それでも、手を伸ばしたのは、生きているときのクセというものだろう。

 ヨウスケも触れないと思っていたが、その予想は外れた。イツキの手は、確かにタキシードに触れているのだ。


「さわ、れる? 触れるよ! さっきのドアみたいに! 見てよ、ヨウスケくん」

「見てますって! 俺たちじゃほとんど触れないはずじゃ……?」


 ヨウスケもタキシードへ左手を伸ばした。すると確かに触れることができる。生地の独特な感触が伝わってくる。


「今まで何にも触れなかったのに? 何だ、こりゃ」

「なんだろうね? 必要だと思われたのかな? まるで僕らを支援してくれているみたいだ」

「服の問題は解決っすね。どれでも好きなもの着放題ですし!」

「うん。だからほら、ヨウスケくんも選んで」

「えっ? 俺も!?」

「もちろん。言ったでしょ? 僕たちの恋愛対象は同性。僕はヨウスケくんに恋愛感情はないけど、同じ服で隣に並んでいてくれればなって。あの発言からするに、エミリもそうすると思うよ」


 あの発言。それはミヤビも結婚式に参加したいと言ったことであった。

 この参加というのは、参列者としてではなく、主役として参加するとの意味を含んでいる。

 それをミヤビは知らずに言った。きっと今、ミヤビもヨウスケと同じように驚いているだろう。


「ほらほら。どれにする? 黒もいいけど、もう少し冒険した色もいいよね」


 片っ端から物色するイツキは、凄く楽しそうな表情をしていた。

 ずらりと並ぶタキシード。


 ヨウスケにとっては色以外に全く違いがわからない。イツキにとっては、色の他に質感や、わずかなデザインの差、形まで全て異なっているために、あれやこれやとイツキが見比べること数時間。

 どっちがいいかと聞かれたときには、選ぶがそれ以外はイツキに全て任せきり。

 そして決まった一つのタキシード。着方もわからないそれに、試行錯誤しながら腕を通す。


「ほら似合っているよ! 僕の見立ては間違ってないね!」


 イツキがヨウスケに選んだタキシードは青みがかった落ち着いた色合いで、サイズもピッタリだった。


 この色はヨウスケがいつも大会で着るユニフォームと同じ色。なじみのある色に包まれていると安心する。

 グッと体をその場でひねり、後ろ姿を見ようとしたとき、ふと鏡に映った自分が目に入った。鏡に向かって真っ直ぐたつと、その姿はまさにタキシードに着られている。まだまだ似合うような人にはなりきれていない。

 しかし、大人になったような気持ちがあった。


「この色なら、ミヤビちゃんと並んだときにも喧嘩しないと思うよ。彼女が何色を着るのかわからないけどね」

「いやいやいやいや! 俺ら別に付き合ったりしてないっすよ!? たまったま、死んでから会ったってだけであって……」


 急にミヤビの名前を出され、ヨウスケの顔が真っ赤になる。

 手をつないだが、それだけであって決して付き合ってはいない。気がないのかと言われれば、それもまた違う。

 友情と愛情の中間。ヨウスケの中に生まれた小さな気持ちに、薄々感じつつあった。


「まあまあ。付き合ってはいなくても、ドレスを着るんだし、ちょっとは並ぶときもあるでしょ? 可愛いと思うなあ」


 そういうイツキの表情はとても明るく、楽しそうだった。きっと、友人たちと話すときは、こういう話をよくしていたのかもしれない。


「ヨウスケくんが暗くて濃いめの色。デザインもシンプル。それだったら僕は薄めの色で、遊んだデザインのものにしよう。その方が対照的で、よく映えるよね」


 イツキには並んだときのイメージが既に頭に出来上がっているようで、淡い色合いをしたタキシードをいくつも手に取っては細かくチェックしている。


 ヨウスケはいったいそれらのどこが違うのだろうと、途端に生き生きとしたイツキの後ろ姿をじーっと見つめる。


「ヨウスケくんもどう? 見てると楽しいよ?」

「いやー、俺にはよくわかんないんで」

「そう?」


 次々にタキシードを手に取っては戻すイツキ。会話がなくなることを恐れたヨウスケが唐突に聞く。


「あの。一つ、いいっすか?」

「うーん? 何? どうぞ」


 イツキは手を止めずに、耳だけをヨウスケの言葉に傾ける。


「こんな時に悪いけど、その……怖くないのかなって」


 イツキの手がぴたりと止まった。

 素朴な質問である。

 イツキは明日死ぬ。その可能性をわかっている状況で、死への恐怖心はないのだろうか。

 自分だったら、辛い。そして怖い。

 でも、そんな様子を全く見せずに、目の前のことを楽しんでいるイツキが気になった。


「怖いよ。すごく」


 芯のある声だった。

 その声からは、怖いと言うことが伝わらない。しかし、嘘を言っているようには聞こえない不思議な声。


「あの野良ちゃんみたいに、きっと僕らは明日、光になって消えていくのだろうね。そうしたら僕らはその後どうなるのかわからない。僕らが生きていた、その証が何もなくなるんじゃないかって思うと怖いよ」


 声からはわからないけど、眉を下げて残念そうな顔をしていた。ちょっと前はわからなかったが、今度はイツキの言葉の意味がヨウスケにもわかった。


「怖くても、逃げられない。だったら僕は今を楽しむ。今を後悔しないために」


 だから一緒に楽しもう、とほほ笑むイツキにヨウスケはすごい人だと思いながら「そうですね」と答えたのだった。


 イツキがあれこれ悩んでいる間、ヨウスケはぼーっとこの先について考える。

 

 死後に何が残るのか。

 ただただ普通の、ありふれた高校生をやっていた自分が死んだ後、残るものはなんだろうか。

 死んで、火葬されて、そして骨になる。

 その骨は墓へと運ばれ、そこで眠るとも言う。


 でも実際は、死んでも七日間だけはこうやって、残っている。


 じゃあ七日後は。


 自分たちが魂ごと消えた後、どうなるのだろうか。


 生きている人は? 残された人は?

 時間が経てば、死という悲しみを乗り越えた後は?

 自分のことは忘れられてしまうのでは?

 自分が存在したことを覚えていてほしい。忘れられたくない。まだ、ずっと――

 黒いもやが、ヨウスケの心をむしばんでいく。


「空想上の、非科学的でおかしな話になるけどさ。人の死っていうのは、体が死ぬっていうことじゃなくて、人の記憶から消えることなのかなって今更思ったんだ」

「記憶……?」


 いつの間にかヨウスケの隣に来て、イツキは小さな窓から空を見る。


「人に忘れられることの方が、ずっと辛い。ずっと片思いしてきた人とか、大切な家族に忘れられるのは……辛い。だけど、僕の死をいつまでも引きずっていてほしくないとも思う。だからもう、どうしたらいいのかわからないんだ。それでも今、僕に出来るのは目の前のことを大切にすることだけ。家族にも会ったしね」


 忘れてほしいけど、忘れてほしくない。

 矛盾した気持ちに悩まされているのは、みんな同じだった。


「俺……まだ、家族に何も伝えられてない。言わなきゃ、伝えなきゃ」


 ヨウスケは死んだ直後に家に帰っている。

 そのときに、家族が泣きじゃくる姿を見てしまった。その姿にショックを受け、そのまま飛び出している。


 だから何も伝えることも、向き合うこともできていない。自分のやり残したことをやっと理解し、家族に会わなきゃと決意する。


「うん。いいと思うよ。それがヨウスケくんのやりたいことならば、やるべきだ。僕もまだ、伝えないといけない人たちがいるから……ちゃんと伝えたいな」


 悲しい表情と、弱々しい声。

 大人のようなイツキの発言に支えられてきたのに、今回ばかりはヨウスケがイツキを支えなきゃと思った。

 同時にイツキの伝えなきゃいけない人というのが誰なのか、ピンときた。


「それって――……」


 イツキと答え合わせをすると、困ったような表情をしながら笑った。


「よかったら、協力してくれる?」

「もちろんっす!」


 誰しも抱える不安は同じ。

 少しでも不安が減らせるようにと、イツキへ協力を申し出た。


 イツキのために。

 出会って間もない友人のために。

 まずは目の前のことに一生懸命取り組むこと。それは生きている間でも死後の短い期間でも同じだった。


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