2日目

第6話 傍にいるのは一匹のネコ


 枯れることのない涙をこぼし続けていたら、いつの間にか夜が明けていた。

 真っ暗で静かな時間が終わり、月の代わりに太陽が顔を覗かせると、車の音や新聞配達であろうバイクの音、人の生活音が聞こえる。


 あんなによく見えていた星空から、うっすらと淡い空色へ。空の変わり具合で時間がよくわかる。


 長い時間であったが、ヨウスケは空腹も感じず、喉が渇くことも、どこかが痛むこともなく、ずっと社に背中を預けていた。


 顔を上げたらいつの間にか朝になっていたことに、戸惑ったのも一瞬で、すぐに隣ですやすやと眠るネコをなでる。


 触れられたことに気づいてヨウスケをちらっと見たネコは、立ち上がってぐくっと体を伸ばす。つられてヨウスケも大きく息を吸って、体を伸ばした。


「よう、野良さん。おはよーさん。よく寝たか?」


 名前を付けていないネコを「野良」と名付けて呼ぶと、小さく鳴き、毛づくろいを始めた。

 柔らかい体で、くまなく舐める姿を見つつ、これから何をしたらいいのか考え始める。


「ほんとに、どうしような、俺たち。これから何をしたらいいのか、何一つわっかんねえよ」


 泣いたことで、少し落ち着いたヨウスケは、ぼーっと野良を見つめる。

 その視線を気にすることなく、野良は足を上げ毛づくろいし続ける。


「ここに居てもなあ。変わることもないだろうし……うーん。そうだな……神社だし、まず神様にお礼言おうな」


 うっし、とゆっくりと立ち上がり、改めて社の前へと移動する。ヨウスケが移動したことで、毛づくろいをやめて一緒について行く。


 そして社の正面で立ち止まったヨウスケの足元にちょこっと座った。


 昨日と変わらずボロボロな社。

 社にあるはずの鈴はない。代わりにいたるところには、蜘蛛の巣が張り巡らされている。全体を支える柱は腐りつつあり、いつ崩壊してもおかしくなかった。

 神様がいるのかどうか怪しい。それでもこの場所は神社であることは変わりない。


 ヨウスケは年に一回、初詣のために家族全員で神社に行くぐらいである。その時も両親を見様見真似でお参りしていたので、一人でお参りなどしたことがない。だから手順がわからず、とりあえずパンと手を叩いてから目を閉じた。


「昨日は泊めてくれてありがとうございましたっ。お世話になりました」


 それだけを伝えて、目を開ける。

 神様の存在は信じているわけじゃない。

 勝負事だって、神頼みで叶うわけがない。結局は自分の努力次第だと思っていたからだ。それでも、形だけでもお礼を言おうと思ったのであった。


 やることを済まし、理不尽な現実を見ながら過ごさなければならない今、ここに長居していても仕方ない。

 何かもっと情報がほしい。

 何かできることはないのかと。


「お前はどうするんだ、野良さん」


 足元に座る野良に呼びかける。

 野良はまん丸の黄色い目で、じっとヨウスケを見つめた。


「って言っても、言葉わかんねえよな。だってネコだし。ま、俺はとりあえず、ここを出るけど、お前も元気にやれよ」

「みゃあ?」


 神社をあとにしようとしたが、野良はヨウスケについて歩く。

 決して邪魔にならない速度で、ちょこちょこと後ろを歩いて着いてきている。


「なんだ、一緒に来るのか? 俺には別にこれといって、行く当てもないけどな」

「みゃおん!」


 水平になっていたしっぽを垂直に立てており、意気揚々と歩く。

 

 朝日を全身で浴びながら一人と一匹が、古びた神社から小さな一歩を踏み出した。


「あら、可愛いネコさん。お名前は?」


 神社を出てすぐ。行く当てもなく、何となく左に曲がった直後、若々しい高い声が聞こえた。


 ネコが野良のことをさしているのかわからなかったものの、聞こえた声の方へ顔を向けると、野良と視線を合わせるようにしゃがむ一人の少女がいる。


野良へ手を差し伸べて、「おいで~」と緩い声を出しては野良に触れようとしていた。


「こいつに名前はないんで、勝手に野良って名前にして呼んでるんですけど……って、え? あれ?」


 ヨウスケはふと少女の言葉に答えてから気が付いた。

 野良はすでに死んでいる身。死後数日経過している骸も実際に確認した。


 既に死者となった野良が見えており、触っている彼女。


 さっきまで否定していたヨウスケの仮説通りならば、彼女も自分と同じ立場なのかもしれないと思った。


「野良ちゃんですね! この子、すごくいい子ですねー。おとなしくて、お利口さんで、それにとってもかわいい」


 少女はじっと見つめるヨウスケを気にすることもなく、野良と目を合わせるようにしゃがみながらずっとなでている。

 野良も気持ちよさそうに、ごろっと体を倒してはお腹を見せていた。


「え、ちょ。あのー……」

「きゃっ、かわいい!」


 いつになっても触れ合うことをやめない少女に言葉をかけるも、全く聞く耳を持たない。


 ひたすら野良をなで回している。

 そんな状況が続くこと十分ほど。

 野良の方が先に飽きてしまい、少女の手から離れるようにヨウスケの足下へ移動する。


「あらあら」


 ここで少女はやっと立ち上がった。

 胸のあたりまで伸びた黒い髪が、真っ白な肌を際立たせる。


 ヨウスケよりも二十センチくらい小さく見える少女はか細く、薄いパジャマのような服を着ているものの、足元には何も身につけていない。


 あまりにも奇妙な姿の少女に、ヨウスケの口は開いたままだった


「ご、ごめんなさいっ! あまりにも野良ちゃんがかわいくてついつい……嫌われちゃったかな? 本当に、ごめんなさい!」


 焦るように頭を下げる彼女の言葉で我に返り、たぞたぞしくお気遣いなくと言って見せる。


「私、ミヤビっていいます。フラフラしていたら可愛いネコちゃんを見つけてついつい……」


 ミヤビと名乗る少女は、ペコペコと頭を下げる。明らかにヨウスケに向けて話す彼女に、ヨウスケは驚きながらも言葉を振り絞る。


「あ、いや、それは別にいいんですけど。それよりも、あの、俺のこと、見えてます、か?」


 初めて自分のことを認識してくれた人に、今までに言ったことのない言葉を述べた。

 あたりまえに生活していたら絶対言わないような言葉。今のヨウスケには、この言葉しか思い浮かばなかった。


「ええ。もちろん、見えていますよ」


 にっこりと優しく微笑みながら言うミヤビのその言葉が、嬉しかった。

 やっと自分を見てくれる人に出会えた。話せる人がいる。当たり前のはずなのに、それがすごく嬉しい。

 しかし、喜びもつかの間、次の言葉がヨウスケを凍らせた。


「あなたも……死んでしまったのですね」

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