第5話 神様は残酷だ

 自然と誰か人がいる場所には行きたくなくて、自分自身で考えつく誰もいない場所へと足が向かっていた。


 走って走って走り続けて。やっと足を止めたのは真っ赤から薄汚れた色へと変わった鳥居を持つ、人気のない神社だった。


 いくつも生えた大きな木は緑に溢れており、ほとんどその葉によって隠れてしまっているため、今にも壊れそうな社が人の立ち入りが少ないことをモノガタッテイル。その傍らには、遊ぶ人のいなくなった遊具が静かにたたずんでいた。


 なぜここに来たのか。それは学校と家の往復が基本であるヨウスケが、知っている場所は限られていたからだ。

 サッカーに必要なものを買うスポーツ用品店、年に一回ほど行く病院や歯医者、数か月ごとに行く美容院。それくらいしか、行く場所はない。


 インフルエンザの予防接種のためにしか行かない病院は、家からも学校からも離れており、この神社の前を通らなければならなかった。それぐらいしかこの神社の前を通ることはないが、毎度毎度人がいるのを見たことがない。


 そんな人気のない神社の鳥居をくぐり、社へと上がる木製の階段に腰を下ろした。


「くそっ! なんで、俺が……死んだんだよ?」


 焦点が合わず、絶望の淵に立たされた中、うまく働かない頭を精一杯働かせる。


 昨日は部活でハヤトと喧嘩をした。それでどうやって仲直りしようかと考えながら、星空の元を歩いて帰ったはず。だが、覚えているのはそこまで。それ以降は何も思い出せない。


 家に着いた記憶さえもない。もちろん家族に会った記憶も。

 気づいたときには、日が昇った次の日の朝、公園にいた。

 そこから考えるに、家に帰るまでに何かがあったのだろうかというところまで推測できた。


 その後を考えようとしても、まるで思い出すなと言っているかのように、頭がズキズキと痛む。


「くっそぅ! わっかんねえよ……なんで死んでんだよっ。もうすぐ大会だってあるのに。練習してきてんのにっ! まだサッカーやりてぇんだっ」


 本当に死んでいるのか。いや、もしかしたら死んでないかもしれない。

 これは夢なんだ。たちの悪い夢だ。

 大きな怪我も、病気にもかかったことのない自分がいきなり死ぬなんて考えられない。


 だから夢なんだ、と思いっきり頬をつねってみた。


「……痛く、ない?」


 痛みを感じたら、現実だということだ。でも痛くない。ということは、これは夢。妙にリアルな夢なんだ。


 そう思うと、あんなに辛い気持ちが一気に軽くなった。


「みゃあ」


 鳴き声にパッと顔を上げた先に、白い体に黒いブチが入ったネコが一匹、ヨウスケを見て鳴いた。

 いつもならネコを見かけたときは、少し嬉しい気持ちになるが、すぐに逃げてしまい、触れない。でも、今は場所も心構えも違っていた。


「よう、お前も一人か?」


 人にも鳥にも目を向けられずにここまで来た。だからやっと交わった視線に安堵し、ネコへと手を伸ばす。するとネコは自ら頭を手へ向けて差し出してくる。


 優しく頭をなでると、ネコはぐるぐると喉を鳴らして目を細める。

 数回なでたとき、急に耳をピクリと立てたかと思うとネコは何かに気づいたように、サッとヨウスケの手をかわして歩き出した。


「おい、どうしたんだよ?」


 ヨウスケの家ではペットを飼っていない。だから、もっと触っていたかった。

 もともと動物が好きなヨウスケは、せっかく触れたネコの行動の意味がわからず、どうしたのだろうかとネコの後をついて行く。

 向かった先は、社の裏。名前もわからない植物がいくつも茂った場所。そこでネコは足を止めて、座った。


「これ、は……?」


 ネコの視線の先。そこにあったのは、全く同じ柄を持つネコの体。

 ぴくりとも動かない体には、小さな虫が何匹も集まっている。

 妙な臭い。何匹もたかる虫。

 それがそのネコがすでに息絶えていることを示していた。


「これ、お前じゃないのか?」


 ネコにそう問いかける。


「にゃおん」


 ヨウスケの言葉を知ってか知らずか、ネコは返事をした。

 もしこのネコが、真っ黒や真っ白の単色のネコだったなら、別のネコだと思ったかもしれない。でもこのネコは、独特な柄をしているので、他のネコとかぶることはまずあり得ない。

 だから、横たわるネコと、それを見つめるネコ。この二匹が同じネコであることがわかる。


「じゃあ、お前はこのネコなのか? でも明らかに死んで……死んでるから、だから俺に気づいたとでもいうのかよ……」


 横たわる骸を前に、厳しい現実が突きつけられる。

 既に死んでいるネコと目が合ったヨウスケ。

 全く霊感のないヨウスケは、今まで幽霊なんて見たことがない。

 霊感がなくても、すでに死んでいる者同士なら、見えるし触れるし、話せるのではないか。

 自分のなかでたった仮説を認めたくなかった。


「やめろ、嫌だ。絶対、嫌だ。違うんだ。ふざけんなよ……俺は。俺は……」


 何度も首を振って否定する。

 それでもどこかで仮説が正しいと思えてきてしまい、胸が苦しくなる。そしてついに、頭を抱えてへなへなと座り込んだ。


 自分もこうやって、どこかに冷たくなった体があるのだろうか。


 どこにでもいるありきたりな高校生活を送ってきたはずなのに、いつの間にか死んでいる。


 まだまだ人生、先が長いはずだった。やりたいことだっていっぱいある。

 大会に出て、優勝したい。

 そして高校を卒業して、大学生になって、社会人になる。

 苦戦しながらも頑張って働いて、それで初めて入った給料で、親孝行したい。

 どんどん仕事も私生活も順調になって、いつかはまだ見ぬ相手と結婚したい。そして、子供が生まれて幸せな家庭を築きたい。子育てを終えたら、奥さんとゆっくり老後を過ごして、「最高の人生だった」と思いながらこの世を去る。


 それが何一つできない。そう悟った矢先、涙がこぼれた。


「嫌だ、嫌だ……俺はっ――……」


 近くには、ネコしかいない。人目を気にしなくていいのだ。

 両手で顔を覆い、我慢しなくていい涙を、ヨウスケはボロボロとこぼした。指の隙間から零れ落ちた雫は、地面に落ちるとじわっと染みこんでいくこともなく、ただただ、霧散し、消えていく。そんなことに気づく様子もないヨウスケの隣で、ネコは静かに体をよせていた。


「生きたいっ……」


 今まで言ったことも、考えた事もない言葉だった。

 当たり前が当たり前じゃなくなった今こそわかるその言葉の意味。

 やりたいことがいっぱいある。未来があると思っていた。

 それが閉ざされた今、何ができるとでもいうのか。


 神様は残酷だ。

 平気で未来を消してくる。

 当たり前を与えない。


 今はただただ感情をむき出しにして、ひたすら泣くことしかできなかった。


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