第32話 慈悲
「慈悲」という言葉は、「他人への思いやり」を表す言葉ですが、「悲」という文字が入っています。
この「悲しい」について、誰が、なぜ、どういうふうに悲しいのか、かねがね疑問に思っていました。
先日、近所のお寺の法話を聴きに行って、その話が出たのです。
ご住職さん、いわく、
仏さまは、悪さをしている人を見ると、悲しくなる。
つらい目に
だから、「必ずすべての人を救う」という誓いを立ててくださった。
私たちも、悪さをしている人を見たとき、悲しくなる。
つらい目に遭っている人を見たとき、悲しくなる。
そのとき、私たちはまさに、仏さまの心とひとつになっているのだ。
……と、そういうお話でした。
「悲」とは、まさに、仏心なのだと。
そうしますと、「慈」は、恵む、かわいがるなどの意味を含んでいて、あふれる愛情から生ずる、他人への思いやり。
「悲」とは、悪や苦を見たときに生ずる、他人への思いやり。
その両方をあわせて、「慈悲」ということになるようです。
(う~ん、この仏教哲学の、洞察の深さ! 人間の心理を、細かく観察・分析している……)
浄土真宗では、「
まさにそんな心もちで、他人への共感である「慈」と「悲」の心を忘れずに、毎日を平和に暮らしたいなぁ、としみじみ思いました。……もう、心がおじいさんでしょうか?(笑)
「慈悲」という言葉は、平安鎌倉の文献には幾度も出てくる言葉ですので、今日はその意味をとりあげてみました。
平安鎌倉よもやま話 KAJUN @dkjn
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