第23話 閉じ込めるのを、嫌う
中世の人々の特徴として、閉じこめることを嫌う傾向がありました。
たとえば、頼朝は罪人ですが、閉じこめられもせず、伊豆国を歩き回っています。源平ものを読みはじめると、まずそこで、あれ? と思います。
在原業平なども、一時、京から追放されるのですが、毎晩、京都に帰ってきていた、という話があります。
これは『流罪』の話ですが、その下に、『徒罪』というものがあって、徒罪では、獄舎に閉じ込められます。
京都には、左京・右京のふたつの獄舎があり、検非違使の屋敷なども、代替に使われました。
獄舎からの脱獄は、簡単。
囚人は手かせ足かせも嵌められず、邸内は自由に行動できたといいます。
たとえ相手が罪人といえども、閉じこめることへの忌避感があったのです。
遊女宿もまた、江戸時代の遊郭と中世とでは、おおいに異なります。
中世では、基本的に、女性を閉じ込めることをしない。
女性たちは、自由に出歩いて、お宮参りに行ったりする。
遊女宿の主も女性で、女性主体の組織が形成されていたものと思われます。
また、たとえば、屋敷には、天井がない。
ひとつの大きな空間にしきりを作って、部屋を作ったりするのですが、上部は通じている。
屋敷の中心部に、
そこには普段は入らず、神さまをお祀りしたりして、特別視している。
……といったように、さまざまな面で、閉じこめることを避けるのです。
◆
この中世の人々の意識を考えると、前回までの、樽の話につながってきます。
樽というのは、桶に蓋をしたもの。
構造としては、ただそれだけです。
それを、中世の終わりまで、作ることができなかったのは、中世の人々に、密閉に対する忌避観があったからではないか、と思うのです。
桶は、古事記や日本書紀の神話の時代から登場します。
一般に使われるようになったのは、十世紀ごろとのことです。
そのような由来から、中世の人々は、桶そのものに、なんらかの神秘性を感じていたかもしれません。
その神秘性を有する桶を、密閉することへの忌避観こそが、長い年月、「桶に蓋をする」という簡単なことを思いつかなかった、(……あるいは、恣意的に避けてきた)、大きな理由のひとつではないかと、思うのです。
◆
ここまで考えると、今現在のわれわれでさえ、そういう「強力な、社会的な思い込み」(バイアス)のなかにいる可能性にも、思い至るわけです。
こうするのが当たり前。こうあるのが当たり前。これはしてはいけない。あれはしてはいけない。
……そういう常識の、たった一歩むこうに、「桶に蓋をするだけでよかったんだ」的な、大革命の種が、ねむっているのかもしれませんね。
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