閑話 アンと吸血姫

(三人称→アン視点)


 M半島東部にUドックと呼ばれる乾ドックがある。

 旧世紀時代に旧帝国海軍の駆逐艦建造で名を馳せた歴史的遺物だ。

 同地はかつての旧跡として、密かな観光名所だった。

 しかし、それも昔の話。

 怪異が出現し、人類がその脅威に晒されるようになるといつしか、その存在すら、忘れられていた。


 ところが今、Uドックは活気に満ち溢れている。

 建設機材が鳴らす金属音と人の声がそこかしこから、聞こえてくる。

 奇妙なのはドックの中を行きかう人影が大人にしてはどうにも小さく見えることだ。

 背丈が成人男性の半分程度しかない。

 よく観察すれば、その人影が人ではないことに気付くだろう。

 彼らの首から上は人のそれではない。

 犬そのものなのだ。

 長い毛が全身に生えている為、衣服の類も一切、身に着けていない。

 伝説に謳われる犬人キュノケファロスと呼ばれる者の姿だった。

 忙しなく、働き続ける彼らによって、ドックに眠る巨大な黒い影は着々とその威容を整えている。


 ドックで未だ眠りについているのは軽く、見積もっても二百メートルを超えた巨大な潜水艦だ。

 艦首部分が長く、すらりとした細身で流線形の船体には闇を纏ったような黒の塗装が施されており、どことなく攻撃性を秘めた見た目は鮫や鯱を思わせる。

 船体の両弦から、張り出すはしけに似た補助船体にはまるで彩りを加えるように純白の美しい翼が広がっていた。

 そこには各々二基の推進装置が備え付けられているが、スクリュープロペラの類は見当たらない。

 この推進機には海中の電流と磁場により発生するローレンツ力を推進力として、利用する電磁推進と呼ばれる方式が採用されていた。


 船体後方に位置する艦橋部の前方には三連装の主砲が二基、設置されていた。

 艦橋と主砲の下部にあたる箇所には格納庫も存在しており、ハッチからは射出装置が備えられたカタパルトが伸びていた。

 この潜水艦が単なる潜水艦ではない『潜水空母』であることを示唆していた。


 ドックの様子を上から、見渡す位置に二つの人影がある。

 足首までをしっかりと覆った裾丈の長い、黒のメイドドレスに身を包んだ黒髪の少女が車椅子を静々と押していた。

 車椅子にはレースをあしらったクラシカルなデザインのボンネットをかぶり、喪服のように見えるシックなゴシックドレスを纏った少女が座っている。

 ボンネットからは顔を隠すレースのヴェールが伸びており、少女の顔ははっきりと分からない。

 ただ、ヴェールの切れ目から、陽光に触れ、煌めく白金色の長い髪が零れ落ちていた。




 あたしはアン。

 荊城ドルンブルグの主であるお嬢様に仕える唯一のメイドにして、忠実なる番犬だ。

 あたしは失いかけた命を救ってもらった。

 お嬢様とあの人のお陰であたしは今、こうして生きている。

 だから、あたしはお二人の為なら、なんだってするつもりでいる。

 それが例え、光に抗う道だろうと関係ない。

 あたしの光は間違いなく、お嬢様なんだ。


 活気に溢れたドックの喧騒と建造途中の巨大船を見渡せる場所へとお嬢様の乗る車椅子を押して、やって来た。

 かねてより、完成が間近との報が入っていた。

 スケジュールの都合が合わず、ようやく都合が付いたのが今日だったのだ。

 ところが昨夜の外出でお嬢様の体調はあまり、芳しくない。

 おまけに日中だ。

 良くない条件が重なってしまった。


「ねぇ、アン」

「はい、お嬢様」

死者の船ナグルファルが完成したら、この世界は滅びの時を迎えるのですって。人間はおかしなことを考える生き物ですのね。面白いですわ」


 意外なことにこの状況でもお嬢様の機嫌はよろしいようだ。

 鼻歌を歌いながら、とても物騒なことを仰る。

 歌のリズム感がやや狂っているのはいつものことなので、気にしちゃいけない。

 お嬢様がすることに間違いはない。


 荊城ドルンブルグで暮らす者の鉄則ルールはただ一つ。

 お嬢様が白と言えば、黒でも白。

 それが鉄則ルールだ。


「ちい兄様。もう少し、時間が要りそうですけど、よろしいかしら?」


 お嬢様の影が意思を持ったみたいに伸びていく。

 みるみる巨大になった影はまるで大きな蛇のようになっている。

 知らない人が見たら、腰を抜かすんじゃないだろうか。

 あたしだって、知らなかったら、危なかったと思う。


 影はさらに伸びていって、ドックで建造中の大きな船へと吸い込まれていく。

 誰もそれを不思議に思わないらしい。

 そもそもが、犬人キュノケファロスは気付いてすらいないのかもしれない。

 あんなにはっきりと見える影が見えないなんて、どうなってるんだか?


「アン。そろそろ、帰りましょう」

「はい、お嬢様」


 気が付けば、いつの間にか、日が落ちかけている。

 太陽が水平線の彼方に沈み、月が顔を覗かせれば、あたし達の時間が始まるのだ。

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