第47話 ライン峠の戦い 後編



―――――竜王歴三〇七七年 五月 

 スコル・リオニア国境 ライン峠


 戦場にしては静かすぎる夜が過ぎていく。両軍に動きはない。


 報告が入ったのは夜半過ぎだった。

「大変です。ティグリス閣下、夜襲です。ラグナロクが動き出しました」

ティグリスの天幕に伝令の士官が駆け込んできた。見張りをしていた哨戒部隊が突如、暗闇にまぎれて忍び込んだ傭兵たちによって全滅したのだ。


「浮き足立つな、知れたことだ。照明弾、打上げ!」

待ってましたとばかりにティグリスは叫んだ。

「ルカニオス、やはり来たか。はっはは……」高らかに笑い声を上げながら、プレートメールとよばれる鋼鉄の鎧を身に着けるティグリス将軍。彼は心から戦争を楽しんでいるのだろう。ティグリスは意気揚々として出陣の用意をする。


 闇に紛れての襲撃は、特殊部隊であるラグナロク傭兵騎士団にとっては十八番の戦法である。それを予め警戒していたティグリスは裏をかいて夜警の兵を増やしておいたのだ。

 哨戒の兵士たちが討たれることも想定内、ラグナロクを罠の渦中におびき寄せるための餌にすぎない。

 ただ想定以上に、ラグナロクの猛攻は続きリオニア兵たちを薙ぎ倒して本陣まで迫っている。次々と昇る数多くの照明弾が天空を明々と照らし出していた。辺り一面は昼間と見まがうばかりの明るさになり、夜戦に長けたラグナロクの騎士たちも優位性を失ってたじろぎだした。


「馬を出せ、私も出るぞ。勝利というものは、おのれ自身の手でもぎ取ることこそ醍醐味だ」ティグリス将軍は軍馬に跨ると勇んで駆けて行った。鉄製の鎧と兜を装備し、白虎の剣と騎兵用の鉄盾を背中に付けている。馬上にある間は、長い騎兵槍ランスを使う。


 ティグリスはルカニオスと顔を合わせるまでに、倒した敵の数はすでに三十騎は超えていたであろう。『リオニアの猛虎』と異名をとり、司令官の座に就くまでは常に最前線で戦い、その武勇ひとすじに出世を重ねてきた男だ。むしろ、これが彼本来の武人としての姿なのかもしれない。司令官になってからは、様々な叡智を発揮するようにもなった。獰猛な野獣の強さに、狐のようなずる賢さまでも兼ね備えるようになったこの男の前に、倒せない敵は無いのかもしれない。


 ティグリスとルカニオスは、互いに騎乗のまま向かい合った。


「無敵伝説も終わりだな、ルカニオス。もう戦場に真紅の鎧が舞う姿も見納めか。

今後はこのティグリスの無敗伝説が語られていくだろう」

既に勝ち誇ったように叫んだ。

 ティグリスは馬を寄せると真紅の鎧をめがけて猛烈に騎兵槍ランスを突きつけた。


 ルカニオスは騎馬での戦いにおいても楯は使わない主義で、装備はロングソードと板金鎧プレートアーマーだけだ。愛馬を勢いよく後ろに跳躍させてそれをかわした。

ところが、その馬が突然、射抜かれたのだ。ティグリスの部下が弓を放ったのだった。馬が息絶え、落馬するルカニオス。「一騎打ちするつもりでなかったのか?」


「私のルールだ、将を討つには何とやらってな」腹を抱えて笑うティグリス。卑怯な手にかかった相手が面白くて仕方がないらしい。

「これでも勝ちは勝ちだ、覚悟~」長い騎兵槍ランスを脇と鎧のランスレストにしっかりと固定すると全力をのせて突撃してきた。

寸前で立ち上がったルカニオスは、胸の前に両手で構えた剣で、騎兵槍を上へ押し上げてそららした。体を横にすべらせながら反転し、通り過ぎるティグリスの馬の後ろ脚を斬り裂いた。今度はティグリスが馬から放り出された。

 

「貴様か、こんな作戦を考えたのは。ロンディル卿を利用してスコルの国を盗るつもりか。我等ラグナロクが倒れたとしてもまだ国にはグラフィアス将軍がいる」

まだ立ち上がれないティグリスを追い詰めるルカニオス。


「グラフィアスだと。落ち延びて潜んでいるあの坊やが動くと思うか。仮にグラフィアスが立ち上がったとして現在のスコルに兵隊なんぞいるものか。そうだ、もう一つ面白い話がある。ストーンとか言ったな、ロンディルに刃向かい反乱を企てたストーンという男も公開処刑になったぞ」ティグリスは楽しげに高笑いする。相手が動揺した隙をみて、騎兵槍ランスを手放すと背中にあった剣を抜き、盾を手にした。


「なにっ、ストーンを?!」ルカニオスの表情が曇った。そして、ルカニオスの気落ちがその動きまで鈍らせていった。ストーンには期待をかけていたのだ。気力だけで持ちこたえていたが、疲れが伸し掛かってきていた、剣裁きに冴えがなくなっていく。


 優勢と見たティグリスは、いよいよルカニオスを追い詰めた。「その首、もらった!!」

 そう言いながらも、ティグリスの動きは巧妙だった。またもや一騎打ちと見せかけておいて巧みに罠に誘導するティグリス。ルカニオスの背後から潜んでいた伏兵が三人、パッと現れて狙いすました弓矢を連射、不意をついて放たれた矢は歴戦の傭兵の体に次々と何本も降りかかる。数本が鎧の隙間を貫通した。


「卑怯だぞ」苦し紛れにうなるルカニオス。普通の兵士だったら気を失っていたかもしれない。


「何とでもほざけ、勝てれば満足だ」ティグリスの狙い澄ました一撃が激痛に耐えるのが精いっぱいでまともに動けなくなったルカニオスの頭上に振り下ろされた。何かが割れる音が響いた。飛び込んできた誰かの鎧に大きな亀裂が入っていた。

「隊長~!」悲痛な叫びを上げながら一人の老兵が割って入ってきたのだ、カノンだった。


「ちっ、邪魔者が」舌打ちするティグリス。

もう一度、攻撃態勢をとろうとしたティグリスに向かって無数の火矢が飛んでくる。ヨハンたちが放ったのだ。辺り一面が火の海だ。視界も悪くなる。

カノンはぐったりとしているルカニオスを抱えながら味方のいる方向へと駆けていった。


「逃がすか」執拗に追うティグリスだが、ヨハンたちが楯になって進路を塞いだ。

「へっ、ここは通さんわい!!」森の奥へ通じる山道の前にヨハンを真ん中にしてラグナロクの傭兵たちが七人、立ちはだかった。


「所詮、多勢に無勢だということを教えてやる、蹴散らせ」ティグリスの号令とともに無数の騎馬隊が突撃を繰り返すが、ただの一騎たりとも突破することができない。

「手こずりやがって、次、突撃せよ」ティグリスの命ずるままに第二陣、第三陣と騎兵たちの猛烈な突撃が続いた。

 それでも突破口は開かない、赤い鎧の男たちはたじろぎさえしないで並び立つ。


 苛立ちを隠せずティグリスは叫ぶ。「どけ、下がれ、この役立たずたちが。やはりこの俺が切り伏せて通るしかないようだな」

 馬から降りて大剣を携えながら楯になっている七人の前に歩み出たティグリスは、その表情を凍らせてしまった。

「なんだと、信じられんが。我々は、こんな恐ろしい連中と戦っていたのか。俺は見くびっていたようだ、ラグナロク。貴様たちこそ、真の武人なのか」


 すでに七人の傭兵たちは息絶えていた。彼らは微動さえしない。鋼鉄で造られた武人の彫像のようにして、文字通り動かぬ壁となって立ち尽くしていた、流血を浴びてさらに真っ赤になった真紅の鎧兜をまといながら。


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