第30話 わたしのナイト

 甲板かんぱんの上で警備していたのは黒い外套マントをまとったレントゥ傭兵騎士団だ。

甲板へぬっと手が伸びてきて、船尾の端に立っていた傭兵のひとりがいきなり海へ引っ張り込まれた。水しぶきが起こるが、すぐに甲板に上がって来た。


 仲間が駆け寄って来る。「どうした?」


「なんでもない。足を滑らせただけだ、気にするな」水浸しの男は外套マントを頭からかぶっていた


「うんっ? 見慣れない顔だな、新入りか? 先輩に挨拶くらいしろよ」


ズブリッ……。問うた傭兵の脇腹にショートソードが深々と突き刺さる、声もなく倒れた。


「こんな挨拶で許せ……先を急ぐのでな!」水浸しの外套マントの男は、騒ぎに気付いて近寄る傭兵たちを次々と叩き斬った。


 港湾都市ファングに係留されている大型の帆船、リオニア王国の軍艦であるが今は所属の分かる旗等はすべて外されていた。軍事に詳しい者が見ればすぐにリオニア傭兵騎士団の旗艦だと分かるので、隠密行動というよりは世論に対する建前に過ぎない。


 リオンを連れ去ったレントゥの船だ。

二人は船内の船長室にいた。レントゥの私室も兼ねている。

リオンは椅子に拘束されていた。船で使うロープは丈夫でほどけそうにない。


「リオン。そろそろ観念して話してくれないか」


「話しません。レントゥ兄様にいさま、はやくほどいてください」


「どうしても話してくれないのなら、自白剤を使わなくてはならない。君を苦しめたくはない、早く答えてほしい。をどこに隠した? 」


「言うわけないでしょ。言うことを聞かないのは兄様にいさまのほうです。こんなことをして許されるとでも? 」


「リオン、悪いようにはせぬ。この私のものになってくれ」


兄様にいさま、なにを言うのです。わたしは」

 

「どうしても君が欲しいのだ」

 

兄様にいさま、いえ、レントゥ!  貴方は自らの使命を忘れたのですか。ロックス殿やドラッケン殿が命をしてまで守ってこられたことを忘れ、それらをおのが野望と欲望のために使おうなどと……」

 

「違う。私欲などではない、リオニアの無能な統治者どもに変わり、この私が世界を変えていく。リオン、君が誰よりも平和を願っていることはよく知っている。この私なら出来るだろう。すべての敵を滅ぼし、戦争を終わらせる。それに必要なが目の前にあるのだ」


「違います。このそろってはならないのです。『帝国』が甦ったとして、新しい皇帝となる者がもしもその強大な力を誤って使ってしまったら、間違いなく世界は闇に消えてしまう。小さな争いは起こることもあるでしょう。飢えや疫病に苦しめられることもあるでしょう、人々は愚かでもよいのです。それぞれに応じた地道な歩みを進めて生きていければよいと私はただ祈るだけです」


「そんな非効率な歴史は許せない。理想のために多少の犠牲は必要だ」


「多少なものですか。どれだけの者が命を落とすことになるか、わからない貴方ではないでしょ? 私が一番恐れているのは、力を持ちすぎた一握りの者が過ちを犯すことです。レントゥ、貴方にはそうなってほしくはありません。どうしてもあの剣を取り戻し、三つのものを手に入れたいというのなら、私はここで命をちますよ!」


「早まったことはよせ。自分の価値がわかっていないのか。歴史的に取り返しのつかないことになる」


「私が誰であっても同じです。人の命に価値の大小などないのです。もし貴方が使命を放棄するなら、私もこれからは自由に行きます。さあ、この拘束をはずしなさい。今まで、して大切に育ててくれたことには感謝します。兄である貴方を慕っております。が、女性として貴方を愛することはできません」


「まさか、誰かに恋したわけではあるまいな。君にこの私を愛してくれなんて言っていない。立場がわかっておられない。値打があるのはそのだと。リオン、君は無力だ。この私の保護がなければ一日も無事ではいられないこともわからないのか。獅子に守られている子兎のようなものだと」


「わかるものですか。もうすぐ、わたしの騎士ナイトが助けに来るわ」


「ああ、あの傭兵剣士か。尻尾を巻いて逃げて行ったさ、情けない負け犬の目をしていた。負け犬はいつもそうだ、自分より強い犬が怖いものだ」


「そうかしら。自分が獅子にでもなったつもり? もし、狼を負け犬とみくびっているのなら、噛まれるのは貴方です」


「来ようとしてもこの船は私の屈強な部下たちが固めている。やつは近寄ることさえできない……」


ガチャ、船室の扉が開いた。

「そいつは……どうかな」水浸しの黒い外套を羽織った青年が立っていた。

目の周りに半透明の黒い仮面をつけていた。


「お前は……」振り向くレントゥ。


騎士ナイト、見参ってとこだ。待たせたな、リオン」


「ストーン!!」


「どうやってここまで来た? 私の部下たちは何をしているのだ」


「お前の子分たちなら、負け犬とやらに噛まれて、甲板かんぱんで伸びている。見に行くのなら、足元に気をつけな、甲板かんぱんは血の海だ」


「なんだと。傭兵ふぜいが」


「きさまだって、傭兵だろう」

ストーンは、着けていた半透明の黒い仮面を投げ捨てた。


「……」


「三年前だ。ちょうどこの船の前だった。おまえはもう忘れたかもしれないが。俺には忘れられない理由がある」


「なにを言っているのかわからぬが。貴様の顔は覚えている、たしかストーンとか言ったな。あのロックス殿の忘れ形見……で、間違いないか?」


「ああ、そのストーンだ。今はお前のものかもしれないが、ふたつ、ほしいものがあって、ここへ来た。さあ、剣を抜け、レントゥ!」


「おもしろい。負け犬のまま遠くで吠えておけば、長生きできたものを。

ロックス殿の息子とて、私の崇高な志の前には、消えてもらうだけだ」

不動の姿勢をとるレントゥ。そして、長刀をゆっくりと引き抜く。


この前と同じだ。レントゥには構えがない。長刀はだらりと降りたままだ。


剣術をたしなんできたストーンでも、まったく相手の出方が読めず、攻めあぐねていた。居合術かと思ったが、そうでもない。

(待てよ。やつは構えがないんじゃなく、あれが構えだとすれば。

そうか、この前、俺の脚を狙って斬ったが、あれは……脚しか狙えなかった。

こちらの攻撃がいかに速くともあの間合いの長い長刀なら先に相手の脚に届く。

構えていないと油断して飛び込めば必ず先に脚をやられるという寸法か)


「ならば……こいつはどうだ!」

ストーンは勢いよく跳ねた。敵の目前に飛び込み胴に突きを入れる。


先に当たるはずのレントゥの剣先は空を斬った。そこにストーンの脚はなく、空中に舞っていたからだ。


全体重を乗せたストーンの突きがレントゥの体を吹き飛ばす。

よろめいたレントゥに向かって、ストーンは自分の剣の刃の部分を籠手で握るとくるりと回転させた剣の柄の部分でレントウの頭を殴りつけた。


倒れたレントゥは脳震とうを起こしたのか動けないようだ。


 「しまった、この私が遅れをとるなど……ありえぬ」

 レントゥは崩れ落ちる。意識が遠のいていくのを必死でこらえる。

 (レントゥ兄様~レントゥ兄様~)

可愛らしい声がこだましている。あれはリオンか、幼い頃のリオン。

明るくよく笑う無邪気なリオン。活発でいたずらっ子で、いつも駆け回っていた。

白銀色の短くした髪の毛が赤ちゃんライオンのようで、まるで男の子のような少女だった。

彼女のあまりに高貴すぎる身分を隠すために、男装させて自分の弟として見守って来た。

レントゥは騎士の末裔とはいえ生活は苦しく船乗りでは食べて行けなくなり傭兵となる。得意な航海術と操船技術にくわえ、商才があったのか、傭兵集団を率いて富を蓄えると自らの艦隊を作り上げた。

海軍力の強化を図りたがっていたリオニア王国はレントゥの傭兵団を雇用した。

レントゥは当初、船での軍事行動が多かったので、リオンもいっしょに乗船していた。

 幼い頃はそれでよかった。

 リオンは現在十七歳になる成人してもう二年がたつ。もう弟の振りをすることもむずかしいだろう。

 なによりも、リオンは美しく成長していた。レントゥは気付こうとはしなかっただろうが、リオンの美しい姿をいちばん身近で見ていて、恋に落ちないことはむすかしい。



「まっ、負けた……この私が。とどめをさせ」


「おっと、動かないほうがいい。借りがあったな、今返す。リオンさえ、取り戻せれば俺は十分だ」


「なぜ……海竜剣を使わなかった?」


「お前も使ってないだろ。もっとも、お前と俺の海竜剣、本気で打ち合えば、どちらか死ぬけどな。じゃあな、レントゥ」

ストーンはリオンを連れて船室を後にした。


部下たちがやって来て、レントゥを助け起こす。

「生きていたのか、貴様ら……」レントゥは安堵した。

ストーンは三十人ほどいたレントゥの部下たちをすべて峰打ちで倒していた。

ひどい傷を負ったり、骨折くらいはしていただろうが。


 よたよたしながらも船の砲をストーンたちに向ける部下たち。


 しかし、レントゥはそれを制止する。

「無粋な真似はするな、今回はやつの勝ちだ。やつはで倒さなければならん」

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