第24話 月夜 刺客と逃亡者

 スコル大公国は東側が海に面していて、拠点の一つに港湾都市ファングがあった。この半島でも指折りの漁港であり、今のような非常時においては軍の船も出入りしていた。


 日も暮れて人気ひとけのなくなった港町を駆けぬける小さな姿が、闇にまぎれて船着き場から出て行った。停泊してい大型の軍艦から降りてきたようだ。


「上手く抜け出せた。あとは待ち合わせの場所にさえたどり着ければ……」

リオンは走りだした。


 時折、雲の合間から顔を覗かせる月の光の他にはこれといった明かりもなくよくわからなかったが、リオンは旅装束ではなく、チュニックに帯を巻き付けただけの軽装に細いズボンを履いている。足元は足首まで紐の巻き付いたサンダルだ。

腰には一本、細長い剣が吊るされていた他には小さな皮の袋が同じ素材の紐で肩から斜めに掛けられていただけである。

左手には小振りのランタンを持っていて、立ち止まるとそれに火を入れた。もう一方の手の中には折りたたまれた地図があった。不慣れな土地なのか、それとも闇の中で迷ってしまったのか、進路を確かめたい様子だ。


 ランタンの明かりがともるとリオンの影が路面にふわりと映し出された。背は高くない、小柄で華奢きゃしゃといえるだろう。髪は肩に付く程度の長さがあったが布でしっかりと結ばれていた。暗くてほんとうの髪色ではないとしても月光を浴びて時折、黄金にきらめく。年齢は十五になるかならないかくらいの少年のようだ。ランタンに近づけた顔は、夜間でよくわからなかったということを差し引いても見たこともないくらいに美しかった。


「方角は合っている。あの煉瓦レンガ橋だ」

ランタンの火を吹き消すとまた走り出した。路地を抜けようとしたその時、人の気配がした。


「おっと、ここまでだ」

物陰から現れた巨漢の男がその行方をはばんで立ちふさがった。男は両手で大ぶりの剣を構えている。


 リオンは、とっさに後ろに後ずさりながら腰につるしていた細身の剣を抜いた。レイピアとよばれる装飾が彫り込まれた美しい剣で、さらには柄の先には大きな黄色い宝石が埋め込まれていた。その持ち主の相当に高い身分をうかがわせた。   


「お退きなさい、さもないと容赦はしないから」

リオンは切っ先を大男に向けた。


「こっちも商売なんでな、そういうわけにはいかないな!」

 

「えいっ!」

リオンの一撃が大男の手の甲に突き刺さり握られていた両手持ちの剣は地面に落下し、夜の静寂を破るような高らかな金属音を鳴り響かせた。

もしストーンやルカニオスのようなプロの殺し屋ならば音も立てずに敵を倒していただろう。リオンは剣術の腕に覚えがあるようだったが、それは学校で学ぶような技であり、実戦で人を斬ったことはなかったのかもしれない。

剣が路面を転がり落ちた音は、ほかの追手たちにリオンの居場所を教えることになってしまった。さらにまずいことに、リオンはそのことに気付いていない。


「すこし眠ってなさいな……」

相手の武器を払い落としたリオンは持ち前の機敏さを生かして大男の背面に回り込むとその後頭部に強烈な肘打ちを与えて気絶させ、そのまま走り去った。


 数人が手際よく橋のあちらこちらに回り込む、リオンの位置を察知した追手たちがすぐそばまで迫っていた。


 スコル港の付近には、いくつかの区画があるがリオンの向かう先は貨物専用の船着き場であった。もっとも端に位置し深夜の時間帯には人の気配はほとんどない。貨物専用区画は出島になっていて船着き場と岸部との間には一本の大きな石造りの橋によってつながっていた。


「あれ、おかしいなあ。街の灯りが見えてこない……」

実は道をどこかで間違えていた。リオンはほんとうは港の近くにある街へ抜けたかったようだ。


 夜風が冷たくリオンの頬をでて吹いていく。

春はそこまで近づいているとはいえここは海辺であったし真夜中の冷え込みは相当なものだ。

 天空では雲は流れ去り星明りで照らされていたので階段を上ってく足元に不安はなかった。逆に追手たちがこの獲物を見つけることにも苦労はなかったのである。


 追手たちの脚は速かった。まるで素早い野獣が追いかけてくるように、殺気が背後から迫ってきていた。石畳に微かな足音が響く。まだ姿は見えないけれど追手がすぐ近くまで来ている。実戦慣れしていなくとも勘の鋭いリオンにはわかった。

それも一人や二人ではないことも。


「五人、六人、このままでは取り囲まれちゃう。でも、あの橋さえ渡り切れば……」

石造りの階段をすばやく登り始めたリオン。


 サンダルの高めのかかとが甲高い音色を立てて静かな夜の中に打ち鳴らされていた。

もはや忍び足で歩く必要は感じられない。出来るだけ速く走り追いつかれないようにするしかなかった。

なんとか登りきったが橋は思っていたよりも長く感じられ、すぐ背後にまで追い詰めてきた刺客たちが放つプレッシャーの前に、それを渡りきることが果たして可能なのかと、もはや絶望感しか感じなかった。


 暗闇に紛れながら追ってきた黒装束の男たちが順に姿を現す、全部で六人いた。

石橋の幅は広い、貨物用の区画なので大きめに作られているのだろう。二人がリオンの横を通り過ぎて前方まで駆け抜けた。後方には四人。完全に囲まれてしまった。


「船から持ち出した物を渡してもらおうか。

そして、我々と一緒に来てもらえるかな。そうすれば命まではとらぬ」

後方の一人が話しかけてきた。この男が追手たちのリーダーだと思われる。


「まさか渡すとでも? 僕だって剣の腕に覚えのないわけじゃない」

リオンは呟きながら振り返った。覚悟を決めた眼差しで鉄橋の向こう側を見つめながら、腰に飾ってあった銀色の細い剣(レイピア)を抜き放った。


 リオンは素早い動きで一番近くにいた男に斬りかかった。油断していたのだろうか。まだ武器を手にさえしていなかった男は遅れをとる。細い剣先は見事に刺客の眉間を貫き、おそらく即死だ。

 「さあ、このまま帰ってくれないか。君たちはレントゥ騎士団の者だろ。僕がレントゥの弟・リオンだと知っているはず。早く、退け!!」


「ぬっ、本気か。仕方あるまい。我々もそれを取り戻すためなら、リオン様を殺してもよいと許可は得ているのでな」

刺客たちも全員、武器を引き抜いて構えた。


 橋の前方に回り込んでいた男のひとりが襲い掛かってくる。

その刃を半身に避けながらリオンは細剣の切っ先を賊の額に突き立てると男は倒れた。

またもや一撃で仕留める、まるで神技のようにもみえる速さと正確さを兼ね備えた剣戟であった。   


 しかし今度は二人が呼吸を合わせたように別々の方向から仕掛けてくる。


 もはやのがれるすべもなくなったリオンは、一方を剣で払いけつつ、もう片方の男に体当たりをした。

 だが、すぐに別の剣戟が襲った、素早い連続攻撃だ。

咄嗟に剣で受けようとするけれど、腕を打ちつけてしまって、衝撃に耐え切れずレイピアを落してしまうリオン。愛用の剣は橋に敷き詰められた石畳の上に高らかに金属音を鳴らして転がっていく。

すぐに拾うために追いかけようとしたけれど、すかさず別の男に取り上げられてしまう。


「ほぉ、良い剣だな? さすがにを名乗るだけのことはある。つかにでっかい宝石まで付いてやがる。高く売れそうだ」剣を拾い上げた初老の刺客がしげしげと眺めて言った。


「ちっ、返せ。僕のだ!」リオンは叫んだ。


「船から持ち出した物はどうした? 返してほしいのはこっちだ」

周りからは嘲笑が飛んだ。

 すでに、周囲を取り囲まれていた。見事に連携した動きである。相手はプロの刺客達、ここまでなのかとリオンは絶望した。


 その時だった、仮面の男が現れたのは。

助太刀すけだちしようか、お嬢ちゃん?」


 この緊迫した状況に似合わない落ち着いた声、自信有り気な表情。背に吊るした大振りの剣。黒っぽい船乗りのような格好に、目のあたりに洒落た黒い硝子の仮面を掛けている。


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