第13話

 ルドルフは大人二人に挟まれて長椅子ソファに腰かけていた。

 大きな革張りの長椅子は三人が並んで座っても、窮屈には感じない程度の余裕がある。

 長椅子はふかふかで、座ると体が沈み込む。ルドルフは汚れを付けてしまわないように、背中を真っ直ぐに保つことを心掛けなければならなかった。


 三人の前には大理石で作られた応接用のローテーブルがあり、そこにはお上品に受け皿に載せられたカップが三つ並べられていた。

 セオドアもリードも出された飲み物に口を付けていないのは、やはり警戒しているからだろうか。二人をならい、ルドルフもカップに触らなかった。


 どのくらい待ったのかはわからないが、少年がおし黙っていることが苦痛になるほどの時間は経った。いつも軽口をたたき合う二人が黙っているのだから、余計に気が詰まる。

 ルドルフがたまらず二人に話しかけようと口を開きかけたところで、部屋の扉が開き、用心棒らしき男二人を伴ってクロエが入ってきた。

 男達はそのまま長椅子の後ろに立つ。


「ごめんねぇ。思ったより時間がかかって。もう一度全部のテーブルに酌して回らなきゃならなくなったもんだから」


 クロエはそう言いながら、三人が座っている向かい側にすっと腰を下ろし、美しく伸びる白い脚を組んだ。

 彼女が座る長椅子も三人が座っているものと同じくらい低い作りになっていて、彼女が組んだ膝は自然と足の付け根よりも高い位置となる。

 見てはいけないもののような気がして、ルドルフはそこから視線をそらそうとしたが、彼女はルドルフの真正面に陣取っていてなかなか難しい。

 いや、仮に真正面でなかったとしても難しかったに違いないのだが、とにかく気まずかった。


「店に出てた子達に聞いたンだけど、お兄さん達、一見いちげんさんなんだって?」


 クロエは取り出した細長い煙管に火を入れて吸い付けながら、早速話を切り出してきた。煙管は高級品らしく、雁首には巻き付く蛇があしらわれている。蛇の首の下には透きとおった海のような色の宝石がはめこまれていた。


「お客に聞いても、みぃんな知らない顔だって」


「ああ、俺達三人、今日この街に着いたばかりだからな」


 セオドアは正直に、そして簡潔に答えた。

 相手の腹積もりがわからない以上、必要以上にこちらの情報を与えたくはない。


 事が弁償で済むのなら、まあ良くはないが、何とでもなる話ではある。

 あまりに法外な値段を吹っ掛けられたらルドルフとリードを連れて逃げるしかないが、そのあたりに関してセオドアの倫理的な抵抗感は薄い。無い袖はどうしたって振れないんだから仕方ないだろ、くらいのものである。

 無理にこの街でなくとも傭兵の仕事はある。元より帰る故郷などない根無し草の身だ。


 クロエは「へえ、そうだったのかい」と素直に相槌をうった。


「じゃあ、ホールの四つの死体の身元に心当たりはおありじゃないのかえ」


「命を狙われる覚えはえと言い切れるほど清廉潔白な生き方はしてねえけどな。あいつらの正体についてはこっちも知りてえくらいだよ」


 セオドアがそう答える途中で、クロエはゆっくりと見せつけるように足を組みなおし、魅力的な角度で小首を傾げる。


「オヤ、お兄さんは本当に心当たりが無いみたい。じゃあアンタに聞けばいいのかねえ? 坊や」


 クロエの視線は狩りをする猫のように、ルドルフを捉えた。 


「……ああ、そうそう、ホールでくたばってたのは確かに四人だけどね、実は厨房でも一人やられてて、正確には娼館うちン中で五人、裏の路地で一人。合わせて六人だね。ねえ坊や、二人をこのお兄さん達がやったとして、残りはアンタが一人でやったのかい?」


「俺だよ」


 ルドルフはクロエの灰色がかった青い瞳を見つめ返して答える。

 セオドアとリードも驚いたように少年の横顔を見た。


「でも俺から仕掛けたわけじゃない。あいつらが襲ってきたんだ。リードからは裏通りには入るなって言われてたから、それを守らずに入った俺が悪いんだ。だから、二人は悪くない。怒るなら俺だけにしてくれ」


 ふふ、とクロエがおもしろそうに目を細めて、薄く開いた唇の間から煙を吐いた。


「なかなかどうして、度胸が据わった坊やだよゥ。いくら襲われたからって四人たたッ殺した後だってのに手も震えちゃいない。……ねぇ坊や、アンタは自分が被害者だと思っているのかもしれないけど、迷惑ってェならコッチも同じか、それ以上なんだよ。殺されかけたアンタにゃ悪いけどね。外のはともかく、店内ここでアンタ達に殺された奴等に関しちゃあ、この姉さんも知らん顔できないのさ。

 坊やは知らずに入ってきたんだろうけど、そもそも娼館なかで刃傷沙汰はご法度はっとだよ。こっちは文字どおり裸で体張ってんだから当然さね。

 あの死体どもも、いつまでもお客の前にさらしとくワケにもいかないから、一旦はどけといたけどね。わかるかい? 店ん中でこういうことが起きると、後が色々と大変なんだよ。面倒くさいったらありゃしない、ねえ?」


 クロエは喋っている内容にそぐわぬ人懐っこい様子で困ったように笑う。

 垂れ目がちの、どちらかといえば穏やかで大人しそうに見える顔の造りと、ふとした拍子に纏う冷徹さ。

 ずっと話していたくなるような底知れぬ魅力があるが、花の芳香と蜜はそれ自体が生存戦略だ。

 三人をこの部屋に留め置いて、その間に客と従業員から情報を集め、裏通りへも人をやって調べさせたのだろう。まさかと思いたいところだが、三人の宿も割れてしまっている可能性がある。


 そのことに気付いたセオドアが、ぼりぼりと頭を掻きながら口を挟む。

 弁償を求められた方がずっとマシだったかもしれない。

 

「あー、その、アンタの店で暴れたのは悪かったよ。でも、こいつはまだ何もわかってねえガキだ。アンタとあの連中に関係があるのか無いのか知らねえし、そりゃ何にしたって後始末は大変だろうが、そっちの落とし前は……まあ、俺らが何とかするからよ」


 クロエはセオドアの言葉を聞いてにっこりと花が開くように笑い、恐ろしいことを言い放った。


「嬉しいね。そう言ってもらえなかったら、オストガルト傭兵団を出禁にしようと思ってたとこさ。その坊やがホールで大声で言ってたそうだからねえ。今日入団したばかりなんだろ? 新入りのせいで出禁になったら、皆んな怒るだろうねえ」


「…………そりゃ考えただけで肝が冷えるな」


 ホールでのクロエの人気ぶりを思い出しているのか、リードが呆れたように言った。


 部屋の扉が控え目に叩かれ、先程ホールから三人を案内してきた男が入室してきた。

 彼はクロエの座る長椅子の背の向こうから、クロエの耳元に何事か告げる。

 頷いたクロエは、すぐに三人に視線を戻した。


「サテ、悪いけどアタシも忙しくッてね。今日のところは一旦しまいだ。その坊やのに関しちゃ、またおって連絡させてもらうよ。セオドアの兄さん。――ああ、そうそう。お帰りはそちらの扉からにしとくれ。店の正面から子供を出すわけにゃいかないよ」


 そう言うだけ言って、クロエはすっと立ち上がり、振り返ることなく部屋を出ていった。

 セオドアは部屋に残った店の男に「あの別嬪べっぴんさん、ちゃっかり俺の名前を呼んでったな。なあ、この短時間でそこまで調べたのかい?」と馴れ馴れしく尋ねたが、返ってきたのは沈黙と冷たい視線だけだった。

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