第12話

「迷わず自決するとはなあ。かったぜ」


 完全に事切れてしまった黒装束の男の体を床に横たえてセオドアが立ち上がったところに、ルドルフが駆け寄ってきた。


「セオドア、リード、どうしてここに二人がいるんだ?」


「いや、こっちの台詞だわ。どうやって店に入ったんだよ、お前」


 セオドアは少年に言い返した。

 見た目に明らかな子供のルドルフを、娼館側が易々やすやすと中に通すはずがないからだ。


「そいつらに追われて裏から……」


「裏ァ? おい、裏通りには入るなって言ったろ。何やってんだ」


 リードがルドルフを睨みつけた。

 しかし、ルドルフは納得のいかないといった表情で二人を見比べ、首を傾げる。


「だって、二人のどっちかわからないけど俺を呼んだだろ? だから俺はそっちに行ったんだ。そうしたら、そいつらがいて」


 セオドアとリードは無言で顔を見合わせた。二人の様子を見て、ルドルフも察する。


「……二人ともずっとここにいたのか?」


「まあな。何で俺らだと思ったんだ?」


「ロルって呼ばれた。俺のことをそう呼ぶの、二人だけだから……。そう言えば、路地に入っていった時、誰かに後ろから突き飛ばされたけど……」


 ルドルフがそう答えると、リードが怪訝そうな表情をした。


「後ろから? 誰か追ってきてたのか?」


「それは大通りからって意味? それはないと思う」


 ルドルフは状況を思い出しながら首を横に振った。

 あの時は路地の奥に気を取られていたものの、大通りから自分を追いかけて背後に迫る者がいれば気が付かないはずがない。


 しかし、ルドルフの答えを聞いたリードは、ますます表情を厳しくした。


「そいつは何だか変な話じゃねえか?」


「変?」


「だとしたら、そいつは路地で隠れていて、お前が目の前を通り過ぎるのを待って突き飛ばしたってことになるだろ」


 確かにそう言われれば不可解な話ではある。

 しかし、誰かが隠れるような場所があった記憶はないが、路地はかなり暗く、そもそも自分ルドルフはこの街の道をよく知らないのだから見落とした可能性はある。

 それに、変と言うなら始めから変だ。


「あそこに誰かがいたんだとして、何で俺を呼んだんだろう」


 名前以前に、あの声は明らかに自分に向けられて発せられていたと思う。


 セオドアがルドルフの背後に回り、「おっ」と小さく声をあげた。

 彼は目でリードを呼び、ルドルフの肩甲骨あたりの服を指で示す。

 そこには手の平ほどの面積の赤黒い汚れが付着していた。


「ずいぶん汚ぇ手の持ち主だったみてえだな」


「……返り血だろ」


 リードはそう答えたが、その汚れは乾いた血よりも黒く見える。


「俺の服に何か付いてるのか?」


 ルドルフは体をひねって無理やり背中を見ようとする。

 リードがルドルフの頭を軽く小突いて正面を向かせた。


「そんなにしても見えねえよ。帰ってから脱いでみろ。帰るまで背中で何かに寄りかかるの禁止だかんな」


 年の離れた兄弟のようなやり取りをするルドルフとリードの横で、セオドアがホールを見回し「そう簡単には帰してくれそうもねえけどな」と呟いて、皮肉な笑みを浮かべた。


 その視線の先では、ルドルフが黒装束達と乱入してきた側の扉の向こうから男達が入ってくるところだった。全員が揃いの青い衣を纏っており、明らかに客ではない。

 男達は黙って扉の周囲に立ち、それ以上はこちらに近づいてはこなかった。

 しかし、彼らの視線は油断なく三人に注がれている。妙な動きや逃げ出す素振りがあればすぐに取り押さえるつもりだろう。


 ホールを挟み、ルドルフが入ってきたのとは真逆の位置――店の構造上そちらが表となるであろう立派な両開きの扉にも四人の男達が駆け寄り、どこか恭しい様子で左右に分かれて控える。



 磨き上げられた石造りのモザイク床と吹き抜けに、まるで空気に楔を打ち込むかような固い音が響き渡った。


 それは正確に、時を刻むように一定の間隔で響き、ホールに安置されている獅子の像と真正面から睨み合う位置でピタリと止まった。


 銀髪と見紛う、艶やかに波打つ青白磁せいはくじの髪。

 やや目尻の下がった目はどこか物憂げな灰色を宿し、そこに映る世界が夢の中に沈む。


 体の線にぴったりと合わせて作られているのだろう鮮やかな青いドレスは胸元が大きく開いているだけでなく、その中央から臍の上まで深い切れ込みが入っている。

 裾は足首に達するほど長いが、右脚が付け根まで露出するほどのスリットが入っているので、足を隠すという機能はほぼ働いていない。

 三人からは見えないが、背中も大きく開いていて、白い大蛇のようにも見える毛皮が滑らかな曲線を描く細い肩を包んでいた。


 しかし、最も目を引くのは、ほとんど剥き出しになった美しく白い右脚の、その太腿に巻き付くように描かれている金青こんじょう色の蛇体だった。

 刺青いれずみの蛇体は上向きに女の太腿に巻き付いている形らしいが、蛇の頭は深いスリットのさらに奥へと潜り込んでおり、青い衣の中で一体どのように蛇が彼女に巻き付いているのかはわからない。


 彼女が踵の高い藍色の靴を鳴らすのを止めると同時に、先程の立ち回りの時とは全く種類の違う感嘆の溜め息と控えめな囁きがホールのあちこちで、また二階と三階でこちらを見下ろす人々の間から起きた。


 彼女はホールの惨状とルドルフ達、それと床に転がる死体を順々に見て、美しい眉尻を下げた。

 彼女が僅かに顔を傾けると、男の一人が身を低くしたまま素早くそばに寄る。

 男は彼女の艷やかな唇の動きに合わせるように何度か頷き、他の男達に合図を送った。


 男達が三人へと駆け寄ってくる。

 とっさに身構えた三人に、聞く者の耳をくすぐるるような蠱惑的な声が届いた。


「そこのおあにぃさん方と坊やには後で話を聞かせてもらうよ。何、ちょいと裏で茶でも飲んで待ってておくれ――」


 女はひっくり返されたテーブルの席に近づき、そこの客達に微笑みかける。


「せっかく遊びに来てくれたのに、悪かったねぇ。お詫びにもなりゃしないけど、すぐに新しい料理と酒を持って越さすよ。もちろんお代は無用さ」


 さっきまで野次を飛ばし騒いでいた荒くれ者達は、幼い子供のように頬を紅潮させ、肩を寄せ合い、互いを肘で突きあって相好そうごうを崩した。


「そんなアンタが謝ることなんて何もねえさ、なあ?」

「そうそう、アンタの顔が拝めるなんて、むしろツイてるってもんだぜ」

「何せ、ここの食事代を二倍払ったってアンタとこうやって話すなんてできないんだからよ、クロエ」


 クロエと呼びかけられた女は、髪と同じ色をした長い睫毛に縁取られた目を細め、妖艶としか表現できない笑みを浮かべる。


「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ。ちょいと外すけど、すぐ戻るからさ。待ってておくれね」


 そう言って、彼女は次のテーブルへと移動し、そこの客達に詫びの口上を述べる。


 その様子を眺めていた三人を、そばに寄ってきた男の一人が視線だけで促した。


「……逃げるとか考えない方が良さそうだな」


 リードが言うと、セオドアが「でも俺達悪くねえよなあ」と言い、上半身裸のままの自身の体を見下ろして、店の男の一人に「なあ、先に服を取りに戻ってもいいか?」と尋ねた。

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