第23話 さよならチカさん

大きくて真っ黒な目は何も言わず、ジッと僕をみている。

僕は身動きできず、かといって目をそらすことも出来ず互いに見つめ合う格好になった。


波の音、潮の香り、

チカさんのムネの暖かい「やわん」とした感触に花のような香りと大きな黒目。

自らの経験値のなさを呪う。この後、どうすればいいのだ!


チカさんの左手がゆっくりと僕の顔の前に、そして「キツネ」の形に…?


「いてっ!」


チカさんはピシッと僕の額にデコピンをくらわせた。


「ふふふっ、悪口言った罰だよ。」


えええっ!?

ま、まあとりあえずこの硬直した状況が打開出来たのは良かったが、

変わらず僕は立ち上がれない。

だから、理由は聞かないで欲しい。


「ふふふ、埠頭で君に声をかけたのは、

荷物にテントが積んであったのと、熊本ナンバーだったから。

テントを持っているということは野宿ができる人、

熊本から来るくらい気合いが入っているなら

きっとベテランライダーのはず、と思ったから。


ヘルメットをかぶっていたから顔は見えなかったけど、

その赤白のめでたい出で立ちは、フェリーの中で目立っていたから、

ああ、あの子か、と分かったの。


電話ボックスから出てきたでしょ?船の電話なんてすごく高いのに、

ちゃんと連絡する子なんだなと思ってみてたの。

そしてその後何かノートを出して書いてたよね。

マメな性格なんだろうな、と思ったよ。


君は私のこと見てなかったと思うけど、私はフェリーの中から君をみていたの。

1人じゃ怖かったから、誰かと一緒に回らなきゃと思って、

フェリーの中から探し始めてた。そしてこんなステキな夜になったんだから、

私の目に狂いはなかったわ。」


そういって砂を払いつつ、チカさんは勢いよく僕の脇から立ちあがった。


「さっ、ランタンのところに戻ろう、ココは暗すぎるよ。」


ぼ、僕はもうちょっとココでタバコ吸ってます、といい火をつけた。


生殺し状態からは解放されたが、もうちょっとあのまま続いていても良かったけどなぁ…。

うん、で、今は立てないしね、だから理由は聞かないで!


それにしても中々の観察眼だ、そして論理的である。

今までそんな女性には会ったことがなかった。

多分、仕事も出来る女性なのだろう。

だから大きな仕事を任されたのだ。


チカさんはその後とてもスッキリした様子で、

ノルマのビール4本を軽々と飲みあげ、僕の助けはいらなかった。


バイクの話、彼氏の話、仕事の話をとりとめなくたくさんして、

夜もふけた23時頃に程よく酔って互いのテントに潜り込んだ。


翌朝は北海道らしい、爽やかな夏の朝だった。


伊豆あたりのテントの中で熱死しそうになって目覚める凶暴な夏の朝ではなく、

ヒンヤリとした空気と青い空、鉛色の水平線に北海道を実感した。


野宿では常にトイレが問題になる。

女性なら尚のこと大変だが、ここは夏に海水浴場となるからか、

質素ではあるが男女トイレが側にあった。


小さな公園的なベンチもあって、そこに水道も付いていたので、

水回りに困ることはなかった。


朝の日課となっているラジオ体操をしながら身体を伸ばしていると、

チカさんもテントから這い出してきた。


おはようございます、よく眠れましたか?と近づこうとしたら、


「お姉さんの寝起きすっぴんを見るんじゃない!」


と怒られた。

彼女はその足でトイレに行って顔を洗って直ぐにまたテントに潜ってしまった。


昨夜は冷凍うどんだったので、残り飯はない。

1合だけご飯を炊いて、インスタント味噌汁を入れ、

湯を沸かして味噌おじやを作っていると、チカさんが再登場した。


「おはよう!なかなかよく眠れたよ。傾斜の向きと頭の方向を揃えたり、

砂地を先に平らにしておいたりしておくことを教えてもらったからかな、

ありがと!

こういうこと、全然知らなかったから助かったよ!」


元気なチカさんで良かった。


と、その瞬間、昨夜の「やわん」が左腕に「幻触」として蘇り、1人赤面していた。


「ご飯何作ってるの?あっ、美味しそう…」


もちろんチカさんの分もありますけど、

こんなんでいいですか?と聞くと満面の笑みで


「ありがとう!やっぱ私の見る目は正しかったわ!」


と、大声で言った。

いや、ここは見る目じゃなくて僕を褒めるとこなんじゃないのかなぁ…

と思いつつも、

2人で朝ごはんを食べるのはまんざらでもない。


魚肉ソーセージを出そうとしたら


「またぁ?」


というので、とっておきのタマゴを出して目玉焼きにすることにした。


「そうでなくっちゃ!」


ベンチがあったことを思い出し、2人で並んで出来立ての朝ごはんを食べることにした。

僕はこのあと左回りで室蘭方面に行くことを告げると


「えーー!そうなの?

私は江差方面に友達がいてそっちに行くつもり。

逆方向じゃないの!こっちに来なよ!」


なんだか後ろ髪を引かれたが、とりあえず「岬」を巡ろうと決めていたので、

右回りなら、最初の北海道での岬は地球岬と決めていたのだ。


「私は1週間しか北海道を回れないし、仕方ないか…

そうだよね…ココでお別れか~」


少しだけ寂しそうにする彼女の表情に、こちらも少しだけ優越感に浸れる。


何も生み出すことのない、どうでも良いはずの感情だが、

相手から必要とされることで人は精神的に存在できるなら、

他人から一緒にいたいと思われることそのものが、

その人の存在価値を産むのではないかと思う。


お世辞にでも一緒にいたいと言ってくれる人は、

言われた人にとってかけがえのない人になる可能性を秘めている。


現に広島ではそれそのものに悩まされ、

北海道行きを断念しかかったくらいだ、


自覚はある。


いつも通りの荷造りを終え、あっという間に出発時間がきた。

マップをみると、どうやら目の前の道を左右に分かれて走り出すことになる。


中々にドラマチックではないか。


キック1発、目覚めたBAJAは砂地を蹴立てて道路に向かう。

そこで1度互いにバイクを降りた。


お揃いで買ったクマ出没注意の黄色い旗が互いの荷物にはためく。


「ありがとう、ホントにステキな夜だった。

あんな夜は今まで経験したことがなかったわ。

最後だから言うけど、キミのこと、ちょっとタイプだったから声をかけたの、

彼氏にはナイショだよ。じゃ、元気でね!」


ギュッ!


いきなりハグされて驚いたが、

最後の「やわん」を自らの身体に焼き付けた。

僕は握手で返す。


昨夜の論理的なチカさんのイメージはガラガラと崩れ落ちたが、

逆に何だか自信がみなぎる一言をもらった。

まあチカさんの彼氏に会うことは一生ないので気にしないことにする。


ありがとうチカさん、ありがとう函館!


とても良い想い出ができた。


この後の道中では黄色の旗を見るたびにチカさんを思い出すだろう。

互いに手を振って左右に分かれて走り出す。


チカさんのヤマハFZ250フェザーは

特徴的な甲高いエグゾーストを響かせて江差方面に消えていった。


北海道の青空と地平線がライダーのココロを刺激する。

きっと今日もいい一日になる。

さあ、本格的に北海道ライダーの仲間入りだ!

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