第7話 広島宮島、そして広島の甘い夜

よく眠れない夜だった。それでも朝はやってくる。

うつらうつらとしただけのような気もするが、ここは広島で、

短い彼女との時間を1秒たりとも無駄には出来ない。


とりあえず公園の様なところで水道を見つけ、顔を洗ってカミソリで髭を剃る。

頭もちゃんとシャンプーで洗う。

顔と頭を拭いたタオルをよく濡らして車内に持ち帰り、身体を拭く。

本当は風呂やシャワーを浴びたいところだが、こんな朝早くからやっている銭湯はない。


ゴソゴソと着替えて近くのコンビニに向かう。

適当に朝飯を買って車内で食べる。


起きてから、いや昨晩からずっと考えているが、分からない。

昨日の夜のことだ。


実は家族と血縁のない養女であるということを彼女から打ち明けられた翌日、

どんな顔をして会えばいいのか。


なかったことにはならない訳で、今日も1日彼女と一緒、それも広島滞在最終日なのだ。

楽しい1日にしてあげたいし、したいのだ。


どうするべきかが決まらないまま、時間は問答無用に過ぎる。

懸命に考えたが答えが出ないまま約束の時間、約束のコンビニに到着した。

駐車場に白いワンピースを着た彼女の後ろ姿が見える。

ユックリと振り返ると、その顔は溢れんばかりの笑顔だった。

彼女の前に停めると助手席のドアが開く。


「ゴメンね〜昨日の夜は。あんな風になっちゃうなんて、自分でも驚いたわ〜。

相当溜まってたんじゃね。あははは。」


わ、笑っている…。見た感じ笑顔にウソはないけれど、

さすがに昨日の今日では私の方がぎこちない表情になってしまう。


「そんな顔しないでよ!今日はお弁当も作ってきたんじゃけん。さあ宮島にゴー!」


う、嬉しいが、この変わり身の早さというのか、切り替えの素晴らしさというか、

は俺にはないものだ。


あ、アレか?女性特有の聞いてもらえればスッキリするというヤツなのか?

にしては、話が重すぎた。

でも無理をしているようにも見えない。


混乱しつつも残された彼女との時間を大切にし、

楽しませたい、一緒に楽しみたい、という思いに集中することにした。


宮島はフェリーで渡るがクルマは持っていかない。


本州側の駐車場にクルマを停め、

歩いてフェリー乗り場に行って頻繁に往復している船に乗る。

ほんの少しの船旅を楽しんで、宮島に到着する。

砂利を踏みしめながら有名な厳島神社への参道に並ぶ土産物屋や

食べ物屋さんを横目に神社に向かう。


昨夜の重々しい雰囲気は全くない。

昨夜のことを引きずっていない彼女と、楽しもうと決めた割には引きずりまくっている自分。

救いは楽しそうに話してくれる彼女だけだ。


恥ずかしがって写真を撮らせてくれなかったのだが、

旅行中に持っていたいからと頼み込んで何枚か撮らせてもらった。


ファインダーから見える、木陰からチラリと顔をのぞかせ、

ニッコリと笑う彼女はとてもチャーミングだった。


ベンチに座って彼女が作ってくれたお弁当を食べることにした。

質実剛健なタッパーに可愛い細工をしたリンゴとかウインナー、卵焼きが入っている。

鉄板すぎるくらい鉄板だが、まんまと嬉しい。


だいぶ気持ちも昨夜の出来事から解放されてきた。


と思ったら右の耳に生臭い息をかけられ、声をあげて飛び上がった。

シカである。

高崎山のサルほどではないが、

ここにもスキあらば観光客から食べ物をせしめようとする野生のシカがいるのだ。


そんな私を見て彼女は声をあげて笑った。

シカには大いに不満だったが、彼女を喜ばせることができたのでまあ良しとしよう。


お弁当を食べてお土産屋さんをまわり、ソフトクリームを食べたら、

帰りのフェリーにちょうどいい時間になった。

レンタカーは夕方には返さねばならないのだ。


まだ夜がある、と思っていたのだが、実際にはそんなに時間はなかった。

渋滞にはまり数時間かけて広島市内に戻るとクルマを返し、

荷物をバイクに戻さねばならなかった。

バイクになると一気に自由度が減る。


ヘルメットも実は1つしかないので、タンデム(二人乗り)も出来ないのだ。


2人とも徐々に口数が減ってくる。

陽は落ち暗くなっても大学構内でウダウダしていた。

バイクと荷物があるので、酒を飲むわけにもいかない。

とりとめもなく話していたら、あっという間に21時になってしまった。


「明日のフィールドワーク、出発が朝5時なんよ…」


そうなんだ、じゃあ早く寝なきゃね…。


セブンティーンアイスの自販機の前でミントチョコを食べながら元気なく話す。

分かってはいるが別れたくはない。

ノロノロと彼女を送る準備をする。


ヘルメットをかぶりBAJAのエンジンをかける。

いつも通り機嫌よく元気なエンジンだ。不必要に調子がいい。こんな時はキック一発でかかる必要などないのだ。


むしろ調子が悪くてエンジンがかからなかったりすると、

彼女が心配して一晩だけ部屋に泊めてくれたり…なんてことはない。


彼女の自転車の後をBAJAの強力なダブルハロゲンライトが照らしながらノロノロと進む。


彼女のアパートにはあっという間に着いてしまう。

アパートからは少しだけ離れたところで停まった。


もう夜だし、例の男子禁制のアパートの住人や大家に見られたくないという配慮だろう。

人通りも少ない道だ。


とうとう(個人的には)ドラマティックな2泊3日の終わりである。

元気なくうつむきながらモジモジしていると、彼女が言った。


「ありがとう、とっても楽しかったよ。昨夜はゴメンね。

今日1日、スゴく気を遣わせちゃったね。

でも嬉しかった。

今まで誰にも言ったことはなかったのに、初めて言えたの。

本当よ。

とっても楽になったの、あなたのおかげ。」


ニッコリと笑って彼女は言った。


またもや自分の矮小さに愛想が尽きる…

単に別れるのが嫌だという子供っぽい感傷に浸ってしまい自分のことばかりである。


彼女を楽しませたい?


口ばかりで自分のことばかりであったと白日に晒された気持ちだ。

彼女との別れの寂しさと自分自身への失望でガックリと肩を落とした。

顔にも態度にも出ていただろう。

もう隠しようがない。


要は未熟な男なのだ。


どうしようもなく寂しい気持ちになって、サヨナラを言いたくない生き物の塊になっていた。

ふと見ると、彼女が手招きをしている。



近寄っていくと、もっと近くと手招きをする。

さらに近寄ると、頭を抑えられた。

彼女の背丈は私よりは15センチは低い。


手を私の頭に伸ばそうとすると自ずと近寄らなけば手が届かない。

近っ、と思った瞬間…


目の前に彼女の顔がきて柔らかいものが唇に触れた。


「じゃ、おやすみ。これからも気をつけてね。

旅のところどころでハガキをくれると嬉しいな。

じゃあね!」


踵を返し彼女が走っていく。

運動神経がよくはないはずなのに、

思ったよりも早く遠ざかっていく彼女の後ろ姿を呆然と見送った。

遠くにカンカンカン…という彼女がアパートの階段を走って上がる音が聞こえた。


コレっていわゆるファーストキスってヤツか…?


余りに突然で何も準備していなかったため、「柔らかい」以外の印象がない。

余りにももったいない…。


というか、俺がリードせずに彼女に頭を抑えつけられる、

というシチュエーションってどうなんだ?と自問自答もする。


茫然自失で数分間そこに立っていただろうか。

後ろからきたクルマのヘッドライトで、道が明るく照らされ我に返った。


うん、今日は終わった。

今からをどうするかだ。


とりあえずとやかく言われなさそうなのは、やはり実績のある宇品港だろうと思い、

夜10時を過ぎていたが、バイクのヘッドライトを頼りにテントを張った。

下がコンクリートなのでペグは打てない。

こういう時はテントのフレームに引っ掛けることにしている。

外幕がめくれなければいいのだ。


テント自体は中に人間が入っているので飛ぶことはまずない。

いつも通り北枕だけを確認し、割と目立たなさそうな港の端っこにテントを張った。



最後の最後に今までの人生で最高の出来事があった。

広島バンザイ…であったが、

同時に私の胸には大きな葛藤が生まれつつあった…。

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