第10話

 兄さんは、ホッと息を吐いた。私が本当に嫌がってないので、安心したのだろう。


 そして私たちは、お風呂のあった小屋を離れ、母屋へと歩き出した。


 入浴で火照った身体に、夜風が心地いい。疲れ切って棒のようだった足も、すっかり元通りだ。お風呂とは、偉大なものである。


 隣を歩く兄さんが、ぽつ、ぽつと、ちぎって投げるように、言葉を紡いでいく。


「お前がレダ母さんのことを嫌わないでくれて、嬉しいよ。滅茶苦茶な人だが、それでも俺にとってはたった一人の母親だからな。母親が悪く言われるのを聞くのは、やはりつらい」


「レダ母さんを悪く言う人なんて、この辺りにいないでしょ? 楽しい人だから、村でも人気者だったし」


「そうだな。レシシュ村の人たちは、いい人ばかりだから。でも、ここに来るまでの旅の最中では、色々と酷いことを言われたもんだよ。……それに、その、なんて言うか、レダ母さんは男を惹きつけるようなところのある人だから、少し栄えている町に行くと、荒くれ男たちが言い寄って来て大変だった」


「へえ……」


「中には、強引な男もそれなりにいて、暗い夜道で襲い掛かってくることも多々あった。俺は、子供ながらに『母さんを守らなきゃ』と思って剣を取り、何度も暴漢たちと戦ったよ。そのせいで、剣術や荒事に対処する能力だけはメキメキと上達していった。……俺は、普通の子供たちと同じように、普通に学校に通って、普通の生活がしたかったんだけどね」


 ちなみに、私が『聖女』として選ばれたのは、魔法の才能だけではなく、剣術の実力を認められてのこともあるのだが、その剣術を教えてくれたのはこのハーキース兄さんである。


 私は長い袖をまくり、右腕で力こぶを作るようなポーズをして、笑いながら言う。


「でも、兄さんが不本意ながらも身につけた剣術を教えてくれたおかげで、私は魔物との戦いで何度も命拾いしたわ」

「そう言ってもらえると、俺のやってきたことも無駄じゃなかったのかもしれないと思えて、ありがたいよ」

「最近でも、剣術の稽古はしてるの?」


 兄さんは肩をすくめ、素振りの真似事のようなジェスチャーをする。


「いや、全然さ。今では剣の握り方も忘れてしまったよ。牧場仕事用のピッチフォークは毎日握ってるけどね」

「そうなんだ……ふふ、子供の頃は、一度も兄さんに勝てなかったけど、今ならいい勝負になるかもね」


 私の発言を受け、兄さんはおかしそうに吹き出した。


「俺のは所詮、チンピラをあしらうための、喧嘩の延長みたいな剣術だよ。幾度も魔物と戦い、実戦で鍛え上げた『聖女』の剣術と、比較するのもおかしい。いい勝負も何も、今の俺が、お前に勝てるわけないだろう」

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