Episode 1-11


講堂の入り口を背に、久芳の足が止まった。

名月は濡れた傘を広げて、僅か数段しかない階段の上に立つ久芳を見上げていた。

ざんざんばらに、雨が地面をてかてかと濡らした。やや冷えた湿気が、足首から徐々に這い上がってくる。


「ん~……どっちだと思う?」

「俺か之茂おとうとなら後者」 


即答する名月に、久芳は「ふーん」と気のない相槌を打った。

へら、と頬の筋肉を緩め、「ナツキくんのはずれ~」と呑気な声で返す。

その言葉を聞いて、名月は片眉を吊り上げ、嘘だろとぼやく。


「……捨てるのかよ、弟のこと」

「まー俺もあの親の息子だからね」

「だって……」 言葉を一度詰まらせ、繋げる。

「連れて行きたいって言ってたじゃねえか。

 別に俺を選ぶ理由なんてねーだろ、何考えてんだか」

「ナツキくんにはまだ分かんないかぁ~?」

「ああ?」 

「……”愛情深い人だ”って。さ。笑っちゃうよな。

 俺がもし騙されてたんなら、ナツキくんも一緒に騙されてくれってことよ」

「……あっそ。やっぱお前、性格悪いわ」


再び、雷の音が轟き始める。

人々は雷の音を聞くや、次々と喫茶店やビルといった建物の中へと逃げていく。

びく、と名月も例にもれず怯え、俯くようにして久芳の影に隠れる。

そんな中で、久芳は反対に、天を仰いでいた。

降りしきる雨のせいで、空をまともに見たことなんて、一度も無かったからだ。

ふと気づいたのだ。どうして空をまともに見るなんて考えが、浮かんだのだろうと。

灰色の雲と空が、やけに低く感じた。


「おい……早く行こうぜ」

「ん~……」


一瞬、何かが引っかかった。

空を見上げど、空が白く明滅したり、どこかで落雷由来と思しき地響きが起きるだけだ。

急ぎ足の名月の後を追って、久芳は天啓の腕団の本部へと向かう。

ざばざばと足元の水溜まりを蹴るたびに、足首に纏わりつく湿った冷気が、重みを増すような気がした。 



天啓の腕団の本部は、白い三階建てのビルだ。

到着すると、天啓の腕団の自動ドアが二人を迎え入れた。 

ロビーでは受付嬢が、淡々と応接や面談の案内、アポイントメントの電話をとったりする忙しない様が見て取れる。

団員専用のゲートはロビーの右手にあり、忙しそうに白服の団員たちが行き来している。

会員証をちらと見せれば、団員たちの目から疑心の色は消え失せ、「ご自由にお通りください」と告げた。

ゲートの側にある装置の溝にカードをスライドさせれば、いともたやすく扉が開き、中に入ることが出来た。

あまりにざるすぎる警備に、名月は信じられないとばかりにスタッフ達を見やった。


「チョロすぎ。警備どうなってんの?危機感なさすぎじゃね?」

「警察もマトモにいないような町だしなあ。職員たちもほら、キオクソーシツ病かも。だからこんなにヌルい空気してるのかな」

「こんな調子じゃ、あの西澤のオッサン一人でも案外裏切れたんじゃねえの。

 匂うぜ、あのオッサンも、この本部とやらも。マジで俺達騙されてるかもな」


名月はぶつくさと毒づき、鼻をつまんだ。

「薬液臭い」と眉間の皺を深めている。

そう?と久芳は鼻をひくつかせた。確かにシミひとつない清潔な内装だとは思うが、薬品の匂いとまではいかない程度だ。


「ナツキくんもしかして鼻いい?」

「わかんね。他人と比べたことねーし」


言いながらエレベーターを目指す。階段は極力使いたくない。

中に乗り込み、案内図を見る限りでは、この建物は三階建てのようだ。

一階がロビー、二階と三階は研究・実験フロアと書かれてある。

エレベーターのボタンには1F、2F、3F、屋上とある。

だが奇妙なことに、1Fの下に空白のボタンが存在していた。地下でもあるのだろうか。押しても反応がないので、諦める。

同乗者はいないようだ。エレベーターが上昇し始める。

無言の合間に、思い浮かべるのは弟のこと。

彼を置いていったら、誰が世話するのだろう。母は弟に会っただろうか。

それとも素知らぬ顔をして、外に出し、弟の世話を誰かに押し付けたりするのだろうか。そんなとりとめもない妄想を繰り広げる。

だが、はた、と気づく。今、一瞬だけ、弟の名前すらも忘れかけていたことに。


「(俺、本格的にそろそろヤバいのでは)」


危機感をゆるい笑みに隠して、拳を握りこむ。

名月も緊張しているのか、伸びた前髪をしきりに指でくるんと巻いていた。

何か話すべきか、と考えた矢先、ういん、と静かにエレベーターの扉が開く。

長い廊下といくつかのドアが二人を出迎えた。それぞれ「資料室」「スタッフルーム」「監察室」というプレートの掲げられたドアが、目に留まる。

廊下に人影はない。大半が出払っているようだ。名月は警戒心を露わに、久芳の後ろにくっつく。


「……んだ、ここ」

「なんか会社みてー」

「誰もいねえのな。侵入者入ったらどうするつもりなんだろ」

「そんなに重要なものは無い、とか?」

「まさか」


一応警戒はしつつ、歩き始める。

スタッフルームへと向かってみた。小窓から覗いてみるが、誰もいないようだ。

つい先程まで、誰かが使っていた形跡はあることから、入れ違いとなったのだろう。

静かに扉を開け、中の様子を伺う。

職員たちが着替えや小休憩を行うための部屋のようだ。

ロッカーがずらりと並び、シンプルなラグを敷いた上にはちゃぶ台、そして仮眠用のベッドがこれまたずらり、と並んでいる。

妙な生活臭と無機質さが同居する空間となっていた。


「マジでフツーの会社っぽいね。そもそも天啓の腕団って何してるかもナゾだけど」


ロッカーを開ける。団員用の白と青を基調とした衣装、天啓の腕団教本、ロッカーの持ち主のものと思わしき私物がいくらか。

……それに何故か、玩具のような拳銃めいた何かが仕舞われている。

団員用の衣装には見覚えがあった。彼等がいつもミサを執り行ったり、天啓の腕団がイベントを開催する際に着用するものだ。曰く「聖服」というらしい。

教本は、天啓の腕団が提唱する教えについて書かれている。

玩具めいた拳銃は……どうやら引き金を引くだけのシンプルでいて、奇妙な形状だ。

只の玩具だろう。でなければ用途が分からない。


「天啓の腕団とかいう奴等って、どんな神様信じてるわけ?」

「そういや、俺もろくに話聞いてないから知らないんだよね」


教本を手にとり、ぱらぱらと開く。

信仰に興味は持てないが、敵を知る事は必要か。眩暈のするような小難しくとも突飛すぎる「神話」に目を通す。

──彼らの信奉する神は、この地球が誕生する際に「雨雲の上」にある「楽園」から「降臨」したとされる、太陽の化身だ。

唯一神であるために名などなく、描写されるその姿は、異様と形容するに他ならない。

その身の丈は20m以上もあり、群体として存在している。

円筒状の、かなり太い胴体からは、人を救済するであろう「天の腕」なる両腕が生えているという。

「御印の輪」なる星形の頭部からは、人が到るにはあまりに及ばない智慧が詰まっており、時に、背から生やした翼で、降臨の際には力強い雷鳴の音を鳴らし現れるという。

神はあらゆる学問に精通し、特に生命創造を得意とした。彼等はあらゆる生命たちを創造し、特に己らに似た存在として人間を創ったのだという。

今、神は長い眠りについているが、人々が願うならその姿を顕現させ、彼等を救済に導くという──


「これ、本当に神様なのか?」 

読み終えた後、名月はうへえ、と舌を突き出した。 「ガキの考えた最強のクリーチャーみてえ」

「さぁ~……?俺も宗教のことなんてさっぱりわかんねーし」

久芳は本を閉じて苦笑する。「なんかビジュアルにするとすっげーキモそうだな。イエス=キリストは人間の形してるだろ」

「だっけ。にしても、なんでこんなもん信じようとするんだか」

「知らね。興味ねえからやることやって行こうぜ」


万が一に備え、変装していくことにした。

ロッカーから団員服を拝借する。サイズがないのでは、と不安になる久芳だったが、幸いにも団員服はフリーサイズらしい。

少々つるつるてんな恰好にはなるが、団員として潜入するなら申し分ない。

名月はというと、厳しい表情で部屋の外を気にしている。


「ナツキくんすげーこわい顔してんじゃん」

「敵の本拠地ド真ん中だぞ。警戒するに決まってんだろが」

「はは、まーね」

「お前は暢気すぎ。ったく……」


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